フランシオンの廃止論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:20 UTC 版)
法律学者のゲイリー・フランシオン (Gary L. Francione) は、動物の権利哲学における廃止論的アプローチ (Abolitionism (animal rights)) のパイオニアであり、動物が人間の「所有物」であるという考え方をやめることによってでしか、動物の利用(毛皮、実験、畜産その他)や虐待はなくならない、と主張する。人間は所有物扱いされないのだから、種差別にならないためには、動物も所有物扱いすべきではないと主張する。動物実験や畜産における動物たちの状況を改善するための動物福祉路線の法規制に関しては、動物を利用することに対して口実を与え、現状を長引かさせるだけのものであるとして批判的立場をとり、人間の奴隷制度の例になぞらえて、「囚われている動物の状態を"よくする"動物の福祉の運動では動物の解放はありえない」と主張する。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}また、個人的なレベルで実行することができるとの理由で、動物を利用することを生活から排除する「倫理的ヴィーガニズム」思想の教育が重要だとする。すなわち、ヴィーガニズムとは動物を商品として扱うことの拒絶であり、それによって動物の固有の価値を認めることが「動物の権利」の実現につながるとの立場である。[要出典] フランシオンの廃止論は、権利論に含まれるものとも考えられるが「人間の『所有物』とならないことこそが『動物の権利』である」と、権利の意味を限定したところが、トム・レーガンらの権利論とは異なる。レーガンはこうした廃止論者たちの主張を「彼らが望んでいるのは『今より大きな檻』ではなく『空っぽの檻』である」と表現している。[要出典]また、フランシオンは、レーガンが生の主体に限定することに反対し、情感を持てば十分であり、人間よりも動物を優先して助けても構わないとしている。さらに、動物が財産扱いされない権利は平等な配慮の原則から導かれ、レーガンのような複雑な議論は不要であり、動物の道徳的重要性を指摘する理論なら全て組み込まれるべきであり、レーガンもシンガーも同じ結論に至るべきであると指摘する。 今いる家畜化された種を根絶させるべきだという考えは、廃止・根絶論的立場の特徴である。 しかし、同じく動物の権利論者で動物の搾取に反対の立場であるスー・ドナルドソンらは、 人間は動物と生きるのが自然 人間と動物の関係遮断を主張する廃止論的立場は動物愛好者を動物の権利運動に大いに同調させうるものではない これまでの動物の権利論は、動物の生息地を尊重すべきという積極的義務や家畜動物に対する関係的義務にほとんど言及していない 等の理由から伝統的な廃絶論では不十分であると指摘している。彼女らは、動物の権利運動を成功させるためにも、伝統的な廃絶論を拡張させ、人間と動物の関係性の可能性を探求し、シティズンシップ、デニズンシップ、主権の概念を応用した理論を提唱した。
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