ニッティー・グリッティー・ダート・バンド
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ニッティー・グリッティー・ダート・バンド(英語: Nitty Gritty Dirt Band)は、アメリカのカントリーロックバンド。グループは1966年にカリフォルニア州ロング・ビーチで結成されて以来形を変えながら存続している[2]。長年の間にバンドのメンバー構成は、ダート・バンドと呼称していた1976年から1981年を含めて少なくとも12回変わっている。
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- 1 ニッティー・グリッティー・ダート・バンドとは
- 2 ニッティー・グリッティー・ダート・バンドの概要
- 3 来歴
- 4 家族
- 5 Timeline
- 6 外部リンク
ニッティー・グリッティー・ダート・バンド
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「ジョン・マッキューアン」の記事における「ニッティー・グリッティー・ダート・バンド」の解説
ニッティー・グリッティー・ダート・バンドのルーツは3つの異なる場所を起源にしている。1つ目は高校の同級生だったジェフ・ハンナ(ギター/ボーカル/ウォッシュボード)とブルース・カンケル(ギター/ボーカル/サックス/カズー)が1960年代前半に南カリフォルニアで結成したデュオである The New Coast Two であり、[フォーク]の側面を持ち込んだ。ジミー・ファッデンはハーモニカで[ブルース]の貢献をもたらし、レス・トンプソンとジョン・マッキューアン(レスは彼らの最初のグループだった Willmore City Moonshiners から以前のバンド仲間を勧誘した)が[ブルーグラス]とアパラチアの側面をもたらした。このような形成期の間に(ギタリスト/シンガーのラルフ・バーは初期のメンバーに含まれている)、1966年に彼らはフォーク=ロック=カントリーのグループであるニッティー・グリッティー・ダート・バンドを結成した。ジョンは兄のビルにマネージメントを任せ、彼らのキャリアがスタートした。1967年2月、バンドはマイナーヒットとなった "Buy for Me the Rain" とファーストアルバム『ニッティー・グリッティー・ダート・バンド(英語版)』をリバティー・レコードからリリースした。 その後の3枚のアルバムからはヒットが出ず、バンドはパラマウント映画の『ペンチャー・ワゴン』(リー・マーヴィンとクリント・イーストウッドが出演)のミュージカルの鉱夫役でオーディションを受けて合格した。撮影セットでの4か月間は、ジェフ・ハンナが始めたバンドを解散に追い込んだ。6か月後にジェフとジョンはPOGO(後のPOCO)を見て、お互いに「バンドを元に戻そう」と語り、ウィリアム・E・マッキューアン(英語版)のプロデュースで『アンクル・チャーリーと愛犬テディ』が生み出された。『チャーリー』にはジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター・ボージャングルス」のカバー、ケニー・ロギンズの「プー横丁の家」、マイク・ネスミスの「サム・オブ・シェリーズ・ブルース」と言った、1枚のアルバムからの3曲のヒット曲が収録されていた。 1970年にナッシュビルのヴァンダービルト大学でのニッティー・グリッティー・ダート・バンドで出会ったあと、ジョンは1971年6月にバンジョー奏者で新しい友人のアール・スクラッグスにバンドと一緒にレコーディングしないかと持ち掛けた(アールの息子のゲイリーが、その夜はグランド・オール・オプリではなく、このコンサートに行くように勧めていた)。一週間後にドク・ワトソンにも同じ提案をして、双方から快諾された。ビルとジョンのマッキューアン兄弟は、2人に問いかけてから8週間後に、彼らがカリフォルニア州ロングビーチで演奏していたエレクトリックなフォーク=ロックとは異なる、アコーステックの伝統的なブルーグラスとカントリー・ミュージックをレコーディングするというアイデアとともに、バンドに対してナッシュビルでのレコーディングを提案した。 そして、彼らが見落とされていると感じていた、ナッシュビルの一部に敬意を表して、その結果として、アール・スクラッグス、ロイ・エイカフ、マール・トラヴィス(英語版)、メイベル・カーター、ドク・ワトソン、バッサー・クレメンツ、ジミー・マーティン(英語版)およびバッシュフル・ブラザー・オズワルト(英語版)と言ったカントリー・ミュージシャンがゲスト出演した三枚組アルバム『永遠の絆(英語版)』(1972年)が生み出された。アルバムは評論家及び一般からの称賛を受け、ゴールドディスクに認定され、その後プラチナ認定を受けた。このアルバムはグラミー栄誉の殿堂と議会図書館に収められている。1977年、バンドはアメリカのバンドとして初めて旧ソビエト連邦でツアーを行った。
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