ダリエン計画
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ダリエン計画(英: Darien scheme、ダリエン・スキーム)は、1690年代末に行われた、スコットランド王国の投資家による失敗に終わった植民計画である。現パナマ共和国グナ・ヤラ(グナ族自治区)にニューカレドニア(New Caledonia、「新スコットランド」の意)植民地を建設し、バルボアと同様にパナマ地峡を陸路で横断して大西洋のダリエン湾から太平洋へと通じる交易路の開拓を目論んだ。
- ^ スコットランドを襲った飢饉を『創世記』で描かれた7年間の飢饉になぞらえた表現
- ^ この「インド」は西インド=アメリカ州も含む
- ^ スコットランド会社の創設を承認する際に議会で行った宣言にもその態度が表れている。 「私はスコットランドにあまり役に立っていないが、この布告によって生じるかもしれない不都合が起こらないような方策が見つかることを願っている(I have been ill-served in Scotland, but I hope some remedies may be found to prevent the inconveniences which may arise from this Act)」[14]
- ^ 出発の日付に関しては、7月8日[22]から7月26日[23]まで、資料によって記述が異なる。
- ^ 2014年のBBCのレポートによると、この水路跡がカレドニアの唯一の識別可能な残骸である[24]
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- ^ “Darien Apocalypse” (英語). www.ragnarbrothers.com. 2021年1月28日閲覧。
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ダリエン計画(1695年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 10:54 UTC 版)
「スコットランドによるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「ダリエン計画(1695年)」の解説
ダリエン計画(英語版)は恐らくスコットランドによる植民地経営で最も良く知られており、かつ最悪の結果に終わったものである。1695年、スコットランド議会でアフリカ・インド貿易のスコットランド会社を設立する法律が成立した。これにはイングランド王を兼務するスコットランド王ウィリアム2世による国王裁可が与えられた。この法では会社にアフリカとアジアでの31年間貿易独占権を与え、船舶に武器と装備を施し、アメリカ、アジアおよびアフリカで住民がおらず所有権主張も行われていない地域であれば、植民地を建設する権限を与えていた。これらの権限はイギリス東インド会社に与えられたものと同等であり、イギリス東インド会社はスコットランドにライバル会社ができることに反対していた。 この会社の資本金は40万ポンド(スコットランドの流動資産の3分の1から4分の1に相当すると推計されている)であり、スコットランドのみで集められた。これはイングランド商人やイングランド政府がアムステルダムやハンブルクで株が売られるのを妨げたからだった。この対抗策により、当初意図されたようにイングランドで株が売られることも妨害された、 1696年、2,500人のスコットランド人移民が二手に分かれて、パナマ地峡のダリエンで貿易植民地を造るために出発した。これら開拓者は元軍人、宗教関係者、商人、水夫および郷士の若い息子達で構成されていた。土地は一人当たり50ないし150エーカー (0.2 - 0.6 km2) が割り振られた。植民地政府は地域社会で運営されたが、その議長は2週間毎に交代することになっており、そうすることで開拓者が直面する問題を解決するために滞りが起こらないようにした。 その問題の中にはスコットランドで飢饉があったために食料に不足したこと、スコットランド人に植民の経験が乏しいこと、マラリアなどの病気、悪天候および、スコットランド人が入植した土地の領有権を主張しているスペインが近くにいること、などがあった。この貿易植民地では太平洋と大西洋双方から通り掛かる船舶との貿易をする目的があったが、鬘、靴、聖書、毛織物製品、および土管など貿易対象品があまり良いものではなかった。 この植民地は、1695年の法律ではウィリアム2世の援助を受けることを約束されていたが、イギリス王室あるいは西インド諸島やジャマイカにあるイングランド植民地から何の援助も受けられなかった。スコットランド人移民はスペイン人からの襲撃を受けた。1699年、かれらはジャマイカ人の船長を雇って私掠船としてスペインの船舶を襲うことでこの問題に対処しようとしたが、あまり実績を残せなかった。その後間もなく、スペインが兵士500名の遠征隊を派遣して、スコットランド人移民を一掃した。このとき開拓者の多くが既に病気や飢えで数を減らしていたので、この結果は効果的であり、スコットランドの植民地は終わった。
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