タントラとブラヴァツキー夫人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 02:47 UTC 版)
「左道と右道」の記事における「タントラとブラヴァツキー夫人」の解説
西洋において左道と右道という術語が用いられるようになったのは19世紀のオカルティストで神智学を創始したブラヴァツキー夫人による。彼女は南アジアの諸地域を旅行した後に、インドやチベットで多数の神秘家・魔術実践者に出会ったと主張した。精神的実践の一環として儀礼で性行為を行い、墓場に集まって飲酒や食事を行ってヒンドゥー教の社会的タブーを破ることを強調するインドのタントラ的実践であるヴァーママールガの訳語としてブラヴァツキー夫人は「左道」という概念を展開した。「ヴァーマ-マールガ」という語はサンスクリットで文字通りには「左手の道」を意味し、ブラヴァツキー夫人はここから左道という語を造語した:178。 ブラヴァツキー夫人がこの語を用いはじめたのはヨーロッパにもどってからである。ヨーロッパではもとより「左」が種々の否定的な物事と結び付けて考えられていたために、左道を邪悪なものを指す語として普及させるのは容易だった; 歴史家のデイヴ・エヴァンズが指摘しているように、同性愛者は「左手の」と呼ばれ、プロテスタント諸国ではカトリックの信徒は「左足の人々」(英: left-footers)と呼ばれていたのである:177。こうした「左」と社会の否定的側面との結びつきは聖書に遡る: そしてすべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。 — マタイ 25: 32-33、新共同訳
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