きょう‐ごう〔ケフガフ〕【協合】
きょう‐ごう〔ケウガウ〕【叫号】
きょう‐ごう〔キヤウガウ〕【強剛】
きょう‐ごう〔キヤウガウ〕【強豪】
きょう‐ごう〔ケウガフ〕【▽校合/×挍合】
きょう‐ごう〔キヤウガフ〕【競合】
読み方:きょうごう
[名](スル)
2 私法上、単一の事実または要件について、評価あるいはその効果が重複すること。また、刑法で、同一行為が数個の罪名にあたること。
3 コンピューターで、異なるソフトウエアやハードウエアが、同じファイルにアクセスしたり、同じデバイスを利用したりすることで、動作が不安定になったり、データ更新の整合性が失われたりすること。
きょう‐ごう〔ケウガウ〕【×驕傲】
姜合
キョウゴウ | (?~?) | |
姜合は内学(予言術)に長け、関右で名を知られていたという。同郡の李庶とともに漢中の張魯に身を寄せた《文帝紀》。 曹操が魏国を建立したという報が届いたとき、辺境の人々は彼が王位に就いたのだろうと思ったが、姜合は李伏という者に「公になられたのであって、まだ王位に就かれておりません。しかし、いずれ天下を定めるのは魏公の子桓(曹丕)さまです。神がそう命じられているので予言書に符合しておるのです」と語った《文帝紀》。 李伏がその言葉を張魯に言上すると、張魯は「根拠となる書物を知っているのか」と訊ねた。姜合は「孔子の玉版(玉に文章が刻まれたもの)でございます。天子の命運は百代のちまで知ることができます」と答えた。このことから張魯は曹操に帰服したいと考えるようになった《文帝紀》。 曹操が漢中平定の軍勢を催すと、姜合は一足早く帰順したが、しばらくして鄴で病没した。李伏が姜合の言葉を奏上したことから、曹丕は受禅すべしとの議論が起こったのである《文帝紀》。 【参照】孔子 / 曹操 / 曹丕 / 張魯 / 李庶 / 李伏 / 関西(関右) / 漢中郡 / 魏 / 鄴県 / 武都郡 / 王 / 公 / 玉版 / 内学 |
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