カタール国籍取得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 12:46 UTC 版)
「マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ」の記事における「カタール国籍取得」の解説
2006年10月、カタール国籍を取得したことが判明。カタールでは早速のA代表入りを期待する声が多くあがったが、エメルソンにはユース世代 (U-20) のブラジル代表としての99年ワールドユース(当時の名称)の南米予選出場経験があり、また、明らかに代表入りのみを目的とした短期間での国籍取得であるため、早々のカタール代表入りを国際サッカー連盟 (FIFA) が認める可能性はほとんどない、という見方が、世界各国のサッカーマスコミでは主流となっていたが、当時の日本国内ではいかにも可能であるかのような根拠のない記事が多く書かれていた。 この当時のFIFAの規定はフル代表以外のカテゴリーでの公式の大会の代表経験がある場合、その他の国の代表にはなれないというものであったが、その場合もFIFAが許可をすれば、新しい国籍での国の代表に入ることが出来る例外があった。ただし、国家の分離独立などで新国籍が与えられた場合の他は、 従前の国の代表で出場した際にすでに二重国籍であること 21歳の誕生日までに変更の申請をすること の場合のみに限定されており、ブラジル代表で出場した際にブラジル国籍しかないエメルソンの場合、当該規約の下でエメルソンが許可される可能性はなかった。 カタールは2006年ワールドカップ予選の際、ブラジル国籍で代表歴のないアイウトン、デデ、レアンドロにカタール国籍を与えて自国の代表にしようとしたが、FIFAは「代表歴のない国籍変更者及び国籍追加者であっても、変更あるいは追加する国に2年間以上の居住歴がない者は、変更あるいは追加した国籍の代表にはなれない」というルールを新たに設けて、適用し阻止したことがある。尚、2010年現在ではFIFA規則が2009年に改正 され、5年間以上の継続居住が必要となっている。 2007年6月、アジアカップにおけるカタール代表には選ばれず上記新ルールに基づくものであると報道された。 その後、2008年3月4日に親善試合(インターナショナルAマッチ)のバーレーンとの試合にカタール代表として初出場し、2008年3月26日には2010年ワールドカップアジア3次予選のイラク戦にて10番、マルシオ・アルブケルケ (Marcio ALBUQUERQUE) として出場した。試合後、イラクサッカー協会はエメルソンにはブラジルのユース代表歴があって、カタール代表に選ばれる資格がないことについてFIFAに正式に上申したが、当初はFIFAからパスポート偽造を理由として、その後の試合に対する無期限の出場停止処分のみが発表された。 最終的に2008年6月17日にFIFAが、エメルソンはU-20ブラジル代表歴のため、今後カタール代表でプレーする資格がないことを発表した、とAFP通信により報道された。 FIFA規律委員会は同件についての調査を行い、「カタールサッカー協会の決定に従って、当該選手はカタール代表としてのプレー資格がなく、カタール代表チームの今後の試合へは出場できない」ことを報告するとともに、同選手の資格問題についてカタールサッカー協会には非はない、と発表した。 2008年6月24日、アジアサッカー連盟 (AFC) は公式HP上で、FIFAがエメルソンのプレー資格についてのイラクサッカー協会の申し立てが、同様の抗議のために設定された締め切り(該当する試合の24時間以内に書面で事務局に提出)に間に合わなかったため、同申立が正式採用されない旨をイラクサッカー協会に通達したと発表した。 2010年南アフリカW杯の規則では「出場資格のない選手を出場させた場合、相手チームに勝ち点3を与える」というルールがあった。しかし当該国はそのための抗議を試合後24時間以内に行わなければならず、同時に調査費用をFIFAに支払わなければならない。ところがイラクサッカー協会が費用を送金したのは期限の11日後だった。従って、エメルソンのカタール代表資格が無いことは認めつつも、イラクの「抗議」自体は成立せず、試合結果は変わらないとFIFAが決定を下したのだった。諦めきれないイラクはスポーツ仲裁裁判所 (CAS) へ訴えたが、2008年9月29日、CASはFIFAの主張を認め、「試合はそのまま成立」という結論を出した。
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