カタールリーグ移籍
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「レアンドロ・モンテーラ・ダ・シルバ」の記事における「カタールリーグ移籍」の解説
2009年8月、ガンバ大阪からカタールリーグ・アル・サッドに完全移籍した。アル・サッドからガンバ大阪に支払われた違約金は7億5000万円とされる。この年のAFCチャンピオンズリーグ2009においてガンバ大阪はすでにラウンド・オブ・16で敗退していたものの、レアンドロはそれまでに挙げた10ゴールによりこの年の大会得点王となった。 2009-10シーズンのカタール・リーグでは得点ランキング2位となる20ゴールを記録した。翌シーズン以降は新たにアル・サッドに加入したアブドゥル・カデル・ケイタやママドゥ・ニアンにポジションを奪われて出場機会が激減。2012年1月にアル・サッドとの契約を2014年まで延長した後、同年2月より6ヶ月間の期限付き移籍でアル・ラーヤンSCに移籍した。同年6月、ガンバ大阪への3年ぶりとなる期限付き移籍が発表された。 背番号はラフィーニャの移籍で空き番号となっていた「9」に決まる。7月25日のナビスコカップ・柏レイソル戦でガンバの選手として2009年8月23日以来2年11か月ぶりにJリーグのピッチに立った。8月4日の大宮アルディージャ戦、PKでJ復帰後初得点を記録。8月25日のコンサドーレ札幌戦でJでは4年ぶりのハットトリックを達成した。その後も得点を重ね、途中加入ながらチームトップ・リーグ3位タイの14得点を記録したが、チームは不振から抜け出せずJ2降格となってしまった。 2013年はレンタル期間を延長する形で残留し、19節までに13得点を記録したが、保有元のアル・サッドとガンバ大阪の契約交渉が難航し、6月末を持って契約満了による退団が決まった。また一時、古巣ヴィッセル神戸への移籍が確実視されたが その後、保有元のアル・サッド側のチーム状況が変わったことで、クラブ間交渉が暗礁に乗り上げ、移籍は成立せず、アル・サッドに復帰した。
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