かしわ‐レイソル〔かしは‐〕【柏レイソル】
柏レイソル
法人名 | 株式会社 日立柏レイソル 代表取締役社長 河西 晋二郎 |
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Jリーグ加盟年 | 1995年 |
呼称 | 柏レイソル |
クラブ所在地 | 〒277-0083 千葉県柏市日立台1-2-50 |
ホームタウン | 千葉県柏市 |
ホームスタジアム | 日立柏サッカー場(収容人数:15,900人) |
チーム名の由来 | スペイン語の「REY」(王)と「SOL」(太陽)を合体させた造語で太陽王の意味を持つ。王の偉大さと厳しさを備えながらも優しさや親しみやすさをも兼ね備える。 |
クラブカラー | イエロー |
ファンクラブ | Tel.0120-266765 柏レイソルオフィシャルファンクラブ 「アソシエイツ」事務局(日月を除く10:00〜17:00) |
ホームページ | http://www.reysol.co.jp/ |
柏レイソル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 04:58 UTC 版)
柏レイソル(かしわレイソル、英: Kashiwa Reysol)は、日本の千葉県柏市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
注釈
- ^ 1970年シーズンまでは日立製作所本社サッカー部の名称で競技に参加。1971年シーズンから日立製作所サッカー部と改めた。
- ^ 1stステージは横浜FM、2ndステージは鹿島で、年間優勝はチャンピオンシップ勝者の鹿島。
- ^ この年は、翌シーズンからのJ1リーグの所属クラブを16から18に拡大するのに伴い、J2リーグへの自動降格は無く、J1リーグ最下位(16位)の柏とJ2リーグ3位の福岡が入れ替え戦を行った。
- ^ なお、両クラブはそれぞれ前身(JSL)時代に、柏は日立製作所として甲府は甲府サッカークラブとして、入れ替え戦を戦ったことがあり、その際は日立が2戦2勝だった。
- ^ 同シーズンは過去に柏在籍経験があるMF茂原岳人も再加入したが、神戸在籍時(当時未成年)の不祥事により逮捕され、2008年5月16日付で解雇。
- ^ 2006年に特別指定選手として在籍。
- ^ 現J1相当のみの時代の2部組織であるジャパンフットボールリーグからの昇格組も1年目での優勝を果たしたチームはなく、これまでJ1昇格1年目での最高順位は2010年のC大阪の3位であった。
- ^ 前身の日立製作所サッカー部時代には1972年の日本サッカーリーグで優勝しており、トップリーグ優勝は39年ぶりであった。またオリジナル10以外のチームが優勝するのは磐田に続き2チーム目。
- ^ 翌2012年に広島、2013年にG大阪、2017年に川崎が達成し、現在は柏と広島とG大阪と川崎の4クラブのみ。
- ^ 東京V、鹿島、横浜FM、磐田、浦和、G大阪に次ぐ。
- ^ 2017年は33失点だったものの、後半30分から試合終了までの失点数がその前の15分間と同様9である。
- ^ クラブから最優秀選手賞に輝いたのは2011年のドミンゲス以来2人目である。
- ^ 2010年11月には「日立柏サッカー場のアウェー席を増築し、消防法の収容人員が18,000人に拡張される」と報じられたが[22]、クラブから正式な改修の発表はこの当時はなされていなかった。
- ^ a b ACL東地区プレーオフを敗退した場合はJリーグ杯に出場し、同大会3試合を主催予定だった。
- ^ a b POを勝利したためグループステージ3を追加。決勝トーナメント進出時はさらに追加有り。
- ^ 本来ならば4チームによる2回戦総当たりで行われるため、三協Fで5試合が行われる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大に伴うレギュレーション変更に伴い第4節 - 第6節が中止となったため、2試合のみとなった。
- ^ 「Inspire the Next」は日立グループのコーポレート・ステートメント、「LUMADA」は日立の先進的なデジタル技術を活用したソリューション/サービス/テクノロジーの総称である[26]。
- ^ Jリーグは2016年より背中下部へのスポンサー広告が解禁[28] となったが、柏はそれ以前の2014年より支援ロゴを掲載している。2016年以前に下部にロゴを提出していた例としてFC東京とガンバ大阪がある。(FC東京の場合は2009年から下部にスポンサーのロゴ(LIFEVAL(2009年)、TEPCO(2010年-2011年4月)、Mitsubishi Corporation(2012年以降))を提出している。その代わり上部にはスポンサーではなくほかのチームでは下部に入る選手名を表記。2016年の解禁後も上部には選手名を表記、下部にスポンサーを掲出の形を継続していたが2017年よりMitsubishi Corporationが上部に移動した。G大阪は1992年から1996年の間、背中スポンサーであった松下電器産業(表記:「National/Panasonic」または「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd. 」)を下部に入れていた。1997年以降は上部に移動している。背中下部スポンサーが解禁された2016年はスポンサーを掲出しなかったが2017年からはSHIP HEALTHCAREがスポンサーとして掲出している。)
- ^ J3を含めるとAC長野パルセイロ・藤枝MYFCもチケットぴあでの販売はしていない。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w “クラブガイド:柏レイソル”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年4月18日閲覧。
- ^ “2015年度(平成27年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2016年8月20日閲覧。
- ^ a b “ホームタウン”. 柏レイソル. 2013年4月28日閲覧。
- ^ a b DECADE 柏レイソル10年史 文化工房 星雲社、2004年、p68-71 ISBN 4-434-04119-3
- ^ ストライカー 1994年12月17日号 P.9
- ^ “Jリーグカップ 1996 準決勝”. Data J league. 2024年3月11日閲覧。
- ^ “Jリーグカップ1999決勝”. Data Jleague. 2024年3月11日閲覧。
- ^ レギュラーシーズンではクレーベルが2回、小林祐三、小林亮、明神、土屋、平山、波戸が1回。甲府とのJ1・J2入れ替え戦第2戦で永田である。
- ^ 魅惑の攻撃サッカーで柏がJ1を面白くする。~レイソル躍進の理由と展望~ -NumberWeb: 2011年7月27日
- ^ 『社長交代のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2011年2月18日 。2013年4月28日閲覧。
- ^ 本物の強さを証明した柏がJ1初制覇! 名古屋、G大阪の戦い方と徹底比較。 - NumberWEB: 2011年12月5日
- ^ “柏 ネルシーニョ監督が来季も指揮”. SponichiAnnex. (2013年10月17日) 2013年10月23日閲覧。
- ^ “柏GK中村復帰も悪夢3失点 指揮官へ「辞めてくれ!」の怒号”. スポニチ. (2018年11月4日) 2018年11月26日閲覧。
- ^ “監督交代のお知らせ”. 柏レイソルオフィシャルサイト. (2018年11月10日) 2018年11月10日閲覧。
- ^ “柏、C大阪に快勝もJ2降格が決定。神戸は残留。PO圏は最後まで大混戦”. フットボールチャンネル. (2018年11月24日) 2018年11月24日閲覧。
- ^ “降格決定済の柏は2連勝。勝点39で“自動降格チーム史上最高成績”に”. フットボールチャンネル. カンゼン (2018年12月1日). 2018年12月8日閲覧。
- ^ 『2020JリーグYBCルヴァンカップ決勝 11月7日(土)開催中止のお知らせ』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2020年11月4日 。2020年11月22日閲覧。
- ^ 『2020JリーグYBCルヴァンカップ決勝 開催日・試合会場・テレビ放送決定のお知らせ 2021年1月4日(月)/国立競技場で開催 フジテレビ系列にて全国生中継(予定)』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2020年11月12日 。2020年11月22日閲覧。
- ^ “【柏】最下位の横浜FCに敗れサポ「降格しても監督は続けるのか」布部GMが拡声器を使って説明”. 日刊スポーツ. (2023年5月13日) 2023年5月20日閲覧。
- ^ “監督交代のお知らせ”. 柏レイソルオフィシャルサイト. (2023年5月17日) 2023年5月20日閲覧。
- ^ 三協フロンテア株式会社スタジアムネーミングライツ及びユニフォームスポンサー契約締結
- ^ 日刊スポーツ西日本版(大阪・名古屋・西部本社発行)2010年11月30日
- ^ 2010年12月10日・朝日新聞
- ^ スタジアム増築に伴うホームゲーム開催時の運営方法変更について
- ^ フットボールガイスト、レイソル公式サイト
- ^ “日立グループ・アイデンティティとは”. 日立製作所. 2023年9月23日閲覧。
- ^ 『『株式会社日立ビルシステム』ユニフォームスポンサー契約締結のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2019年4月26日 。2019年5月31日閲覧。
- ^ “『スポンサー募集!Jリーグユニ背面下部の広告解禁”. 日刊スポーツ. (2015年12月15日)
- ^ 『『2013年モデルレプリカユニフォーム』を注文されたお客様へ』(プレスリリース)柏レイソル、2013年1月30日。 オリジナルの2013年2月5日時点におけるアーカイブ 。2013年4月28日閲覧。
- ^ 『『柏レイソル クラブ創立30周年記念ユニフォーム』着用試合のお知らせ』(プレスリリース)柏レイソル、2022年1月15日 。2022年1月21日閲覧。
柏レイソル (2006-2008)
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「石﨑信弘」の記事における「柏レイソル (2006-2008)」の解説
「2006年J2第51節・最終節」も参照 2006年には柏レイソルの監督に就任。彼の指導を受けた山根巌、岡山一成を獲得し、崩壊しかけたチームを再生させた。若手の底上げを図りながらチームをまとめ、J2では突出した資金力とフランサやディエゴなどの選手の存在により、終盤まで優勝争いに絡む。ヴィッセル神戸とのマッチレースとなった2位争いでは石崎が「神戸の結果次第という状況だが、それは考えずに自分たちのやり方を貫く」 と語ったとおり、最終節の湘南ベルマーレ戦で勝利し、石崎自身にとって「4度目の正直」となるJ1昇格を経験した。 2007年は引き続き柏の監督を務め、李忠成や菅沼実など若い選手を起用した。フランサや移籍してきた古賀正紘や太田圭輔の活躍もあり、シーズン前半戦は優勝争いを演じ、年間8位の成績でシーズンを終えた。 柏での指揮が3年目になった2008年は、一時3位となるなど好調であったが、その後失速して32節まで残留争いに巻き込まれ、2008年限りで柏の監督を退任(事実上の解任)となった。退任決定後、第88回天皇杯準優勝に導いた。
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