オーストリア自由党(FPÖ)の結党
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「オーストリア自由党」の記事における「オーストリア自由党(FPÖ)の結党」の解説
オーストリア自由党(FPÖ)の前身・独立連盟(ドイツ語版)(VdU)は様々な利益集団の連合体であったが、1949年に国民議会選挙に参加した。多くの旧ナチ系団体と同様に、1945年におこなわれた戦後最初のオーストリア国民議会選挙には加わることが出来なかった(参加したのは国民党、社会党、共産党のみ)。農民同盟や大ドイツ民族主義党等のかつてオーストリアに存在していた政党の支持者たちは、オーストリア社会民主党(SPÖ)と国民党(ÖVP)と並ぶ第3陣営を形成しようとした。しかし、党結成に関する陣営内対立が生じ、分裂を繰り返した。 内部混乱を経て、1955年11月3日にオーストリア自由党は設立準備会合を開催した。1956年4月7日にウィーンのヨーゼフシュタットで設立党大会を開催した。その際、最初の党首としてアントン・ライントハラーが選出されたが、ナチ党員という過去を持つだけでなく、ナチス親衛隊旅団指導者という党幹部経歴すら有していた。ナチ党幹部だった経歴のため、1950年から1953年まで彼は逮捕拘束されていた。党首ライントハラーは1938年のオーストリア併合以前にナチ党に入党していた確信的国家社会主義者であり、アルトゥル・ザイス=インクヴァルト内閣の農業相にも就任し、1945年までドイツ第三帝国議会議員だった。「国家主義思想の本質において、ドイツ民族の帰属を告白すること以上に重要なことは存在していない」と彼は就任演説で語った。1966年、当時の党首フリードリヒ・ペーターが党内の国家主義者と自由主義者勢力間のバランスを計ろうとした後で、党内において対立が生じた。この党内調整が党内極右からの批判を招くことになり、とりわけ、ブルシェンシャフト(伝統的学生組合)勢力の離反し、その結果、オーストリア国家民主党(1967–1988)という極右政党が生まれた。なお、このオーストリア国家民主党(NDP)は国家社会主義(ナチズム)の再興を図ったとして、1988年に解散を命じられた。 オーストリア自由党(FPÖ)は長い間、国民議会選挙で6%程度を得るにとどまり、前身の独立者連盟(VdU)時代よりも低迷していた。しかし、二大政党による勢力均衡状況を議会で維持出来るようにオーストリア社会民主党(SPÖ)とオーストリア国民党(ÖVP)にも取り入った中間派的存在であった。1970年、武装親衛隊中尉の経歴を持つ党首フリードリヒ・ペーターの下で、オーストリア自由党(FPÖ)はオーストリア社会民主党(SPÖ)のブルーノ・クライスキー暫定少数派内閣を支持した。1971年の国民議会選挙でオーストリア社会民主党(SPÖ)が単独過半数を確保し、ブルーノ・クライスキーの政権基盤が固まった。オーストリア社会民主党(SPÖ)への不自然な支持の代償として、オーストリア自由党より規模の小さな政党を不利にする新選挙法を成立させた。1980年の党大会において、ノベルト・シュテーガーが率いる党内自由主義勢力が僅差で勝利した。約5%という最低の投票率を記録した1983年の国民議会選挙の後で、社会民主党と自由党の連立内閣が成立した。党首ノベルト・シュテーガーは副首相としてフレート・ジノヴァツ連立政権に加わった。ノベルト・シュテーガーは自由主義勢力という印象を得ようと尽力し、新しい支持層の獲得に努めた。 オーストリア自由党(FPÖ)は1983年の政権参加以降も汎ゲルマン主義、オーストリア特有のドイツ民族主義という根源にこだわり続けた。国防相フリートヘルム・フリシェンシュラーガーも法務相ハラルド・オフナーもドイツ民族主義的発言を続けた。1985年、戦犯としてイタリアで長年服役していたナチス親衛隊少佐のヴァルター・レーダーが釈放され、母国オーストリアへ帰国した際、自由党出身のフリシェンシュラーガー国防相は握手で歓迎した。オーストリア自由党(FPÖ)大学生組織の全国代表という経歴を持ち、1967年にオーストリア自由党から分裂して極右政党オーストリア国家民主党(NDP)を設立したメンバーの一人だったノベルト・ブルガーは、法務相ハラルド・オフナーを以下のように評した。「我々の世界観に関して法務相ハラルド・オフナーとは全く違いはない。なぜなら、彼は隠れオーストリア国家民主党(NDP)党員ではなく、真のドイツ人だからである」とブルガーは語った。
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