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中城城跡

名称: 中城城跡
ふりがな なかぐすくじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 沖縄県
市区町村 中頭郡北中城村中城村
管理団体
指定年月日 1972.05.15(昭和47.05.15)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S47-5-168[[中城]なかぐすく]城跡.txt: 沖縄東海岸中部中城湾に沿った高台上に、東北から西南一直線に連郭式に築かれた城で、裏門からはいって、次第に高く、かつ広くなる三の丸二の丸本丸は、それぞれ堅牢優美石塁で囲まれ、石の階段と門で各郭に通じている。とくに三の丸城壁のように外側から目立つ石組五角形の石を積みあげ、またアーチ門の回りは特に大きな切石を用い、石塁の角が丸味を帯びているのも特徴であるが、全体としてきわめて堂々たる外観を呈している。城の規模は必ずしも大きくはないが、東南側は自然の絶壁をなし、西北側は10メートルほど低い位置外郭石塁走り、城の繩張り日本中世の城に似たものがある。
 築城は[[読谷按司]よみたんざあじ]護佐丸いわれるが、護佐丸座喜味城から中城城居城移したのは、尚泰久の妻となった自分の娘の住む首里に近いということのほかに、王権を[[勝連按司阿麻和利]かつれんあじあまわり]から守るためであった。勝連城は、この城から直線で8キロ中城湾をはさんで東北指呼の間にある堅固な城である。つまり、護佐丸阿麻和利が、それぞれ相手居所のよく見え位置築城して対峙したわけである。しかし1458年護佐丸阿麻和利に滅ぼされ、中城城は王の直轄となり、第2尚氏時代には王子居城となった。
 中城城は、近年琉球政府文化財保護委員会の手一部修理加えられたが、当初遺構をほとんどそのまま残し、その技法構造において沖縄城郭史上いっそうの完成度を見ることのできる城である。とくに、三の丸には門が1つ二の丸には三の丸からはいる門と本丸通じる門が2つ設けられ、殿舎遺構、「いべ」というように、あらゆる条件備えている。しかも、この城こそが、沖縄における第1尚氏による中央集権確立に重要な役割を果たし、沖縄のいわば中世的な戦乱最後築城であったことはきわめて注目すべきであり、今後保有整備努力すべきであろう
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中城城跡

読み方:なかぐすくじょうあと

沖縄本島中部中城村西方から北中城村の南側にのびる丘陵地帯にある。300あまりあるとされる沖縄グスク中でももっとも遺構残り、また中城湾勝連半島知念半島を見渡せる眺望すばらしさで知られている。14世紀後半ごろ、先中城按司(さきなかぐすくあじ)が数世紀渡り、西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主な部分を築き上げ1440年護佐丸(ごさまる)によって北の郭、三の郭が増築され現在見られるグスクの形が完成した。2000年12月2日、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産にも登録された。






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