護佐丸とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 方言 > 沖縄大百科 > 護佐丸の意味・解説 

護佐丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 08:39 UTC 版)

護佐丸(ごさまる、 - 1458年)は、15世紀琉球王国中山)の按司恩納村出身。大和名は中城按司 護佐丸 盛春(なかぐすくあじ ごさまる せいしゅん)、唐名は毛国鼎(もうこくてい)。ただし何れも後世に付けられたものである。第一尚氏王統建国の功臣で、尚氏6代の王に仕えながら晩年に謀反を疑われて自害し、忠節を全うしたと伝えられる。毛氏豊見城殿内の元祖。


  1. ^ いしゐのぞむ「古琉球史を書き換へる」『純心人文研究』第28号、長崎純心大学、2022年2月、213-240頁、CRID 1050291768469112064ISSN 13412027国立国会図書館書誌ID:032010890 
    及び八重山日報日曜談話連載「小チャイナと大世界」129、令和四年六月二十六日。 https://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0220626.html  及び「尖閣島名の淵源(下)補説」、『純心人文研究』29、令和五年二月。  https://n-junshin.repo.nii.ac.jp/records/267
  2. ^ しまぬゆ 1 ―1609年、奄美・琉球侵略 著者 「しまぬゆ」刊行委員会編; 出版社 南方新社 P72


「護佐丸」の続きの解説一覧

護佐丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 05:02 UTC 版)

まんが首里城ものがたり」の記事における「護佐丸」の解説

もともと、北山読谷按司城主であったが、北山王・攀安知暴走反感持ち中山尚巴志帰順し1419年巴志とともに北山打倒する巴志は彼を北山守護職及び座喜味城主とした。巴志死後歴代国王信頼厚く、「義理重んじる家来」とされたが、近隣城主である阿麻和利策謀にはまり1458年自刃する。彼の末子大城賢雄により仇討ち果たされた。

※この「護佐丸」の解説は、「まんが首里城ものがたり」の解説の一部です。
「護佐丸」を含む「まんが首里城ものがたり」の記事については、「まんが首里城ものがたり」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「護佐丸」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「護佐丸」の関連用語

護佐丸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



護佐丸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウルマックスウルマックス
©2024 Local Information Agent Co,Ltd
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの護佐丸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのまんが首里城ものがたり (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS