「高句麗語」とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 17:39 UTC 版)
高句麗を含む古代の東北アジア、朝鮮半島の言語史料は非常に乏しく、当時の言語の実際を知ることができる史料はほとんど存在しない。このため、当時の言語を巡る研究は中国の史書における当時の言語状況への言及や、地名・碑文などから抽出可能な単語などを通じて行われている。しかし、これらの情報から「高句麗語」という単一の存在を仮定することは必ずしも可能ではない。金芳漢は古代の言語の研究について「これは何も地名研究にのみ限ったことではないが、百済、新羅、加耶、高句麗という国があるからと言って、これらの国に一致した別々の言語が存在したと言えるのであろうか。また三国史記地理史において、地名が新羅・百済・高句麗に分類されているからといって、これに一致する三つの言語が存在したのだろうか(中略)とりわけ、高句麗語の概念を規定するのは困難を極めるであろう。ともかく、私たちに与えられた貧弱な資料のみによってそのような問題を解決するというのはほとんど不可能に近い。私たちは、ただただ与えられた条件下で最も合理的に推定していくしかないのである」と述べている。従ってここで説明する内容は全て、これら非常に曖昧な情報から様々に試みられた推定の結果であり、高句麗語という言語の存在、近隣の言語との関係、さらには語彙や文法等について確実な情報は今なおほとんどない。
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