高句麗語とは? わかりやすく解説

高句麗語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/17 17:01 UTC 版)

高句麗語(こうくりご)の項目では、かつて東北アジアに存在した高句麗(紀元前1世紀頃 - 668年)の領域で使用されていた言語について解説する。高句麗の言語はしばしば「高句麗語」という名称で学者らによって言及されるが、実際に単一の高句麗語と呼ぶことが可能な言語が存在したのかどうかを含め、実態はほとんど明らかではない。


  1. ^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Koguryo”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History. http://glottolog.org/resource/languoid/id/kogu1234 
  2. ^ a b 李 1975, p. 39
  3. ^ a b c 金 1985, p. 95
  4. ^ a b c d 金 1985, p. 107-108
  5. ^ a b 伊藤 2013, p. 62
  6. ^ a b 馬淵ら 1980, p. 6
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  8. ^ 李 1998, pp. 64-74
  9. ^ 李 1998, p. 71
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  11. ^ 李 1975, p. 43
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  17. ^ 金 1985, p. 117
  18. ^ 金 2003, p. 35
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  20. ^ a b Lee & Ramsey 2011, pp. 34-35
  21. ^ a b Kim 2009, p. 766
  22. ^ 板橋 2003
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  26. ^ 金 1985, p. 97
  27. ^ a b 井上 2013, pp. 205-206
  28. ^ a b 金 1985, pp. 118-123
  29. ^ 李 1975, p. 40
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  32. ^ a b 馬淵ら 1980, p. 1-6
  33. ^ 「国語及び朝鮮語の数詞に就いて」『芸文』7-2・4(1971年『新村出全集 第1巻』
  34. ^ 板橋 2003, pp. 169-173
  35. ^ 伊藤 2020, p. 112
  36. ^ Beckwith 2004, pp. 24-28
  37. ^ Pellard 2005
  38. ^ 板橋 2003, p. 134
  39. ^ Lee & Ramsey 2011, p. 44
  1. ^ 『三国志』「魏志」自体の情報も伝聞・推測によって記されたものとも言われる。「魏志」は高句麗と夫余の習俗・言語などの近縁性を語る文を「東夷舊語」で始めているが、李成市は『翰苑』が引く『魏略』秩文などの用例から、これは極めて疑わしい内容を伴う場合に用いられる表現であることを指摘している。田村専之助は「旧語」の多くは中国人自身の思想であることを留意しなければならないとしている。李成市はこれらから「少なくとも「魏志」高句麗伝による限り、高句麗が夫余の「別種」であるということは伝聞・推量の域を出ないということになる。」と述べる[9]
  2. ^ 「東夷舊語、以為夫餘別種、言語諸事、多與夫餘同」(『三国志』「魏志東夷伝」)
  3. ^ 板橋義三は前朝鮮語から扶余祖語・朝鮮祖語が分岐したことを想定し[24]、李基文はやはり夫余・韓祖語から原始夫余語・原始韓語が分岐したという想定で系統図を示している[25]。金芳漢は濊・沃沮の言語が当時の高句麗の言語と同じであったかどうかについて、三上次男の見解も紹介しつつ、特に濊の言語について高句麗と同じであったと考えるのには問題があるとする[26]。伊藤英人は扶余系諸語の系統の研究状況について「半島中北部、東部には夫餘系諸語が話されていたが、夫餘系諸語が同一語族に属するかも判然とせず、それら諸言語の系統も不明である」とまとめている[5]
  4. ^ この推測は後に高句麗五部が方位を用いた東西南北内、もしくは前後上下に改名された事実とも符合する。ただし灌奴部は南部に、絶奴部は北部に改称されているが、この推測では灌は北、絶は南の意味となり矛盾する。村山・金はこれを何等かの理由により南北が誤記されて逆転して記録されたものとして処理している[28]
  5. ^ ただし、李基文は2011年の書籍においてもなお、粛慎系の言語がツングース系であるかどうかについて確かではないとしている[20]
  6. ^ 実際に言語学者Kim Nam-Kilは概説において、朝鮮語の起源論の概説において扶余語(Puyo language)をツングース語の一派である古代朝鮮語の方言(dialects)として説明を行っている[21]
  7. ^ ただしBeckwithの説に対しては言語学者トーマス・ぺラードが論証に問題がある(Unfortunately, Beckwith’s ambitious work is heavily flawed in many aspects, of which I will provide only a few examples.)としてその多くを批判している[37]。また板橋義三も、Beckwithの高句麗語と日本語の比較について、重複や読みの不明確性を指摘している[38]


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