「仮面ライダー」と「変身ブーム」
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「第二次怪獣ブーム」の記事における「「仮面ライダー」と「変身ブーム」」の解説
「第一次怪獣ブーム」との違いは、『帰ってきたウルトラマン』と同じ4月に毎日放送(当時はテレビ朝日系列)で放映開始された東映制作の『仮面ライダー』によって明確にされた、「変身」と言う概念である。 当時のマスコミはこの社会現象を「怪獣ブーム」とする一方、この『仮面ライダー』起源の「変身ブーム」「ヘンシンブーム」と呼び習わしていた。前回のブーム時とは異なり、今回のブームでの子供たちの嗜好は、遊びに直結しやすい「等身大変身アクション」に傾いていた。前回ブームの主役であった円谷プロが制作した『帰ってきたウルトラマン』は、常時30%に迫る視聴率を上げていた『仮面ライダー』に、ついに視聴率で勝つことが出来なかったのである。 1972年(昭和47年)に「変身ブーム」は最高潮に達し、児童が本家『仮面ライダー』の番組中のアクションを真似て負傷する事故が多発、2月には死亡事故も発生するなど社会問題化した。同様の問題は、昭和30年代の「忍者ブーム」の際に、「忍者ごっこ」で子供たちが負傷する、という前例があるが、制作局の毎日放送はこれを重要視し、ついには番組中で主人公「本郷猛」による呼びかけが行われる事態となった。この呼びかけは次作『仮面ライダーV3』(毎日放送)にも引き継がれている。 この空前の「変身ブーム」を語る際に欠くことのできない事項として、東映生田スタジオの存在がある。『仮面ライダー』を制作するために東映の資本下に新設されたこの東映生田スタジオは、以後『仮面ライダーシリーズ』を中軸に、『超人バロム1』(よみうりテレビ)、『変身忍者嵐』(毎日放送)、『イナズマン』(NET)など、次々に等身大変身アクション番組を送りだし、まさに「変身ブーム」の屋台骨となった。
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