「レールバス」のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 03:42 UTC 版)
「国鉄キハ01系気動車」の記事における「「レールバス」のその後」の解説
前述のように富士重工業が同様にバスの設計に準拠する車体を備えた羽幌炭礦鉄道キハ10形(1959年〈昭和34年〉)1両・南部縦貫鉄道キハ10形(1962年〈昭和37年〉)2両の合計3両を製造した後、日本の鉄道事業者においては「レールバス」のコンセプトは顧みられることもなく長く等閑され続ける結果となった。 再認識されることになったのは、国鉄合理化が真剣に議論されるようになった1982年(昭和57年)に、やはり富士重工業の手でLE-Carとして再度バスの設計を流用した小形気動車が設計・試作されて以降である。もっとも1984年(昭和59年)以降、実際に第三セクター鉄道や名古屋鉄道・近江鉄道に導入された富士重工業の4輪小型LE-Carは、ラッシュ時輸送力不足への対処の限界や踏切警報装置とのマッチングの悪さ(軽量すぎて、時々警報装置が作動しない問題点があった)を露呈して、早々により大きなボギー式気動車・電車に置き換えられ、このクラスの小形旅客気動車は日本の鉄道で運用し難いという厳しい現実を実証してしまった。 なお、富士重工業は2002年(平成14年)に鉄道車輌製造から撤退した。
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