Navy SEALs 主な参加作戦

Navy SEALs

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 23:59 UTC 版)

主な参加作戦

ヘリコプターより降下するNavy SEALsの隊員
  • 1962年、キューバミサイル危機 初代チーム2指揮官ロイ・ボーム海軍大尉によるキューバ偵察任務。
  • 1965年、ドミニカ共和国内戦に参加。
  • 1964年〜1973年、 ベトナム戦争 メコン川流域における偵察任務。ベトコン北ベトナム軍の要人暗殺・誘拐、捕虜救出作戦に従事。後にPRU(地方偵察隊)アドバイザーとして北ベトナム軍・ベトコンの体制を突き崩したフェニックス作戦に参加。
  • 1983年、レバノン内戦でチーム4が駐留する。チャック・ファーラーの著作によると日中のベイルートでのパトロール任務の他、フランスによるシリア空爆の作戦で被撃墜パイロット救出に備えてシリアに潜入していた。
  • 1983年10月、グレナダ侵攻[9] チーム6(現DEVGRU)がスクーン総督救出作戦と通信破壊作戦に参加する。その前に行われた飛行場へ発信機を取り付ける作戦は暴風雨の中の強行のため、パラシュート着水したチーム6の隊員中4名が溺死して失敗に終わる。通信基地破壊を果たしたキム・アースキン大尉12名は本部との通信が途絶え、グレナダ・キューバ軍の追撃に遭いながらも海へ飛び込んで逃げ切って全員生還する。スクーン総督邸へヘリコプターで到着したウェリントン・レナード大尉の小隊はグレナダ・キューバ軍に包囲されるも24時間にわたる攻防でスクーン総督とその家族を守りきり、自身の部隊も全員生還する。
  • 1985年10月、豪華客船アキレ・ラウロ号シージャック事件[10] 旅客機で逃亡した犯人グループを追跡した先のシチリアでイタリアの警察部隊と指揮権を巡って口論、犯人強襲には至らなかった。
  • 1987年、ペルシャ湾を航行する民間及び軍事船舶の安全確保のための作戦プライムチャンス作戦に第160特殊作戦航空連隊と共に参加。
  • 1989年12月、パナマ侵攻 マヌエル・ノリエガ将軍追討作戦。チーム2の指揮官、ノーム・カーリー中佐と護衛隊員1人が運河河口にボートを乗りつけ、4名の隊員が潜水してノリエガ所有船舶のエンジンに爆薬を仕掛けた。設置後45分に船は大破する。チーム4の4小隊(推定48名)がパティーヤ飛行場のノリエガ所有航空機の破壊を実行する。事前までの計画立案不足と、敵側の情報が錯綜した中で実行される。格納庫付近でパナマ軍に待ち伏せされ、4名が死亡、8名が負傷する。航空機破壊は成功するものの、この時の指揮官は後年まで批判を受けることになる。チーム4でパナマ駐留経験があったマイケル・ウォルシュ少佐は、隊員の安全を考え航空機のタイヤを遠距離から狙撃する作戦を主張したが指揮官と対立し、実行前に作戦から外された。
  • 1991年、湾岸戦争 イラク軍陽動作戦、被撃墜友軍パイロットの救出作戦など。
  • 1993年、ソマリア紛争でチーム6の4名がモガディシュの戦闘に参加。
  • 1998年ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、紛争地域の治安維持活動に従事。
  • 1998年、リベリアの首都・モンロビアの米国大使館で発生した銃撃戦で、大使館内に立て篭もった米国人を救出する作戦シャドウ・エクスプレス作戦に参加。
  • 2001年11月、アフガニスタンにおける不朽の自由作戦に参加。
  • 2002年3月、アフガニスタンにおけるアナコンダ作戦に参加する。陸軍のデルタフォースと共にタスクフォース11を結成し、ターリバーン政権打倒とアルカーイダ撲滅作戦に従事。CH-47ヘリより転落し、ターリバーンに射殺されたDEVGRUのニール・ロバーツ一曹の遺体を巡って、SEALs隊員や第75レンジャー連隊隊員らが激戦を繰り広げる。
  • 2003年〜2011年、「イラクの自由作戦」に参加。
  • 2004年、イラクでの「ファルージャの戦闘」に参加。
  • 2005年6月、アフガニスタンの北東部山岳地帯で決行されたレッド・ウィング作戦でチーム10隊員がターリバーン拠点に潜入する。ターリバーンの主要メンバーの偵察作戦だったが、4名のSEALs隊員が150名前後(諸説あり)のターリバーン勢の攻撃を受け、マイケル・マーフィ大尉他2名が戦死、マーカス・ラトレル一等兵曹が唯一人生還する。救出に向かったCH-47ヘリもターリバーン勢に撃墜され、チーム10指揮官含む8人のSEALs隊員と8人の第160特殊作戦航空連隊隊員が死亡する、Navy SEALs創設以来最悪の出来事となった。
  • 2005年12月、米陸海空軍特殊部隊の混成部隊によるサッダーム・フセインの捜索・捕縛作戦であるレッド・ドーン作戦英語版に参加。
  • 2015〜2021年、「確固たる支援任務」「自由の番人作戦」。
  • 2011年5月、パキスタンアボッターバードの豪邸に潜伏中だった国際テロ組織、アルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディン容疑者の殺害作戦に参加。チーム6の隊員ら25名を乗せた4機のステルスヘリコプター[11] で容疑者を急襲、約40分の銃撃戦の末、邸宅を制圧した[12]。その際同容疑者とその20歳の息子ら計5名を射殺した。同容疑者は武器を携行していなかったが、「抵抗した」ため射殺されたとされる[13]
  • 2011年8月5日夜、アフガニスタンで米軍のCH47チヌークが撃墜され、22人のSEALs隊員が死亡した。これはターリバーンが仕掛けた罠によるものであった。ターリバーンのカリ・タヒル司令官が、ターリバーンの会合があるとの偽情報を米軍に流し、米軍部隊を現地におびき出した。ターリバーンは現地までの唯一の飛行ルート上にある谷の両側の山に陣取り、誘き出されたヘリをロケット弾や現代兵器で攻撃して撃墜した。これにより、米軍兵士30人を含む38人が死亡し、このうち22人がSEALs隊員(うち15人がDEVGRU所属[14])で3人が空軍特殊部隊員であった。カルザイ政権は5月のウサマ・ビンラディン殺害に対する報復とみている[15]
  • 2012年1月26日、ソマリアの武装勢力を急襲し、3か月にわたって人質となっていた人道支援団体職員2名を救出した[16]
  • 2013年10月5日、SEALsはソマリア南部ブラバにあるイスラム過激派組織アルシャバーブの重要人物(氏名不詳)の自宅を急襲した。しかし拘束に失敗した上、負傷させた「重要人物」の生死を確認することもなく撤収したため詳しい内容については不明。米当局者によるとアルシャバーブ側に数人の死者が出たが、米軍に死傷者はなかったという。
  • 2013年10日、リビアのトリポリにて1998年の米大使館爆破事件に関与したアルカイダ幹部のナジ・アブドゥルハメド・ルカイの拘束作戦を実施し成功。
  • 2014年3月16日、キプロス南東沖の公海上において、リビア反政府勢力が支配する同国東部シドラの港において3人の武装したリビア人に積み荷の原油ごと占拠されていたタンカーに突入し制圧した[17]
  • 2014年〜進行中、ISIL掃討等を目的とした「生来の決意作戦」。
  • 2017年1月28日、イエメンで急襲作戦を実施。激しい銃撃戦となり、SEALs側は隊員1人が撃たれて死亡、3人負傷。更に救出に向かったヘリコプターが着陸に失敗し、数名の負傷者が出た。イエメン側は民兵と民間人にそれぞれ死傷者が出た[18]
  • 2017年5月4日、ソマリアで地元政府軍を輸送していた米軍ヘリコプターが攻撃を受け、隊員1人が死亡、所属不明の複数が負傷。ソマリアでの米軍兵士の死亡は1993年のモガディシュの戦闘以来初[19]
  • 2023年4月23日、スーダンでの戦闘激化のため、アメリカ大使館員とその家族らを救出する作戦をアメリカ陸軍特殊部隊群第160特殊作戦航空連隊の支援を受け行う。[20]

  1. ^ a b 極秘 70頁
  2. ^ Contact Us” (英語). Navy SEAL Foundation. 2022年10月12日閲覧。
  3. ^ ビンラディン殺害の米海軍特殊部隊元隊員、沈黙破る AFP 2013年2月12日
  4. ^ “ビンラディン暗殺めぐり続く「沈黙の掟」破り、米海軍の苦悩”. AFPBBNews (フランス通信社). (2014年11月10日). https://www.afpbb.com/articles/biz/3031325?ctm_campaign=sub_biz_news 2014年11月11日閲覧。 
  5. ^ 米海軍特殊部隊 Navy SEALs 写真特集 時事ドットコム
  6. ^ a b c d 新人隊員選抜の「猛訓練」で2人死傷 米海軍特殊部隊SEAL”. CNN.co.jp. 2022年2月6日閲覧。
  7. ^ a b c d CNN.co.jp : 新人隊員選抜の「猛訓練」で2人死傷 米海軍特殊部隊SEAL”. web.archive.org (2022年2月6日). 2022年2月6日閲覧。
  8. ^ 米海軍「シールズ」候補生の訓練に大きな欠陥”. AFP (2023年5月26日). 2023年5月26日閲覧。
  9. ^ 極秘 138頁-144頁
  10. ^ 極秘 144頁-145頁
  11. ^ “米、墜落ヘリの機密漏れ警戒 ビンラディン容疑者殺害で”. 日本経済新聞. (2011年5月7日). http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE2E5E2E39B8DE2E5E2E7E0E2E3E39494EAE2E2E2 2011年5月7日閲覧。 
  12. ^ “作戦わずか40分、命令はビンラーディン殺害”. 読売新聞. (2011年5月3日). https://web.archive.org/web/20110504004627/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110503-OYT1T00074.htm 2011年5月3日閲覧。 
  13. ^ “ビンラディン容疑者は「抵抗した」 武器は携行せず”. CNN. (2011年5月4日). http://www.cnn.co.jp/usa/30002639.html 2011年5月7日閲覧。 
  14. ^ アフガン:米兵30人死亡 政策批判、必至 オバマ米大統領、苦境に 毎日新聞東京朝刊(2011年8月8日)2011年8月9日閲覧。
  15. ^ 米軍ヘリ撃墜は「タリバンのわなだった」 アフガニスタン高官 AFPBB News(2011年08月09日 15:52)2011年12月31日閲覧。
  16. ^ ソマリアで人質2人救出、米特殊部隊が武装勢力を急襲 AFP 2012年01月26日
  17. ^ “リビア反政府勢力下の原油タンカー、米特殊部隊が制圧”. AFPBB News (フランス通信社). (2014年3月17日). https://www.afpbb.com/articles/-/3010483 2014年3月18日閲覧。 
  18. ^ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170130/k10010857401000.html
  19. ^ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170506/k10010971991000.html
  20. ^ [1]
  21. ^ a b 米陸軍グリーンベレー隊員、マリで殺害 海軍SEAL隊員が関与の疑い”. CNN.co.jp. 2023年1月27日閲覧。
  22. ^ a b Former Navy SEAL killed fighting in Ukraine” (英語). Washington Post. 2023年1月27日閲覧。
  23. ^ a b 極秘 110頁-119頁
  24. ^ a b “米海軍長官とトランプ氏、軍法会議めぐりなぜ対立 フォックス・ニュースの影響は”. https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-50554791 2020年11月21日閲覧。 
  25. ^ 柿谷哲也; 菊池雅之 『最新 日本の対テロ特殊部隊』三修社、2008年、P.115-116。ISBN 978-4384042252
  26. ^ 特集 海上保安庁特殊警備隊(SST) | Off Shore Dream 海上保安庁の総合情報サイト






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