泉区 (仙台市) 歴史

泉区 (仙台市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 06:20 UTC 版)

歴史

仙台市以外の仙塩地区の自治体の国勢調査人口の変遷。1975年までに泉市が塩竈市を抜いた。

泉市は、高度成長期から丘陵部の宅地開発が徐々に進められ、仙台市のベッドタウンとして発展し、市の人口は石巻市を抜いて県内第2位まで到達した。1988年(昭和63年)、仙台市に編入合併され、1989年平成元年)に仙台市の政令指定都市移行に伴い泉区となった。

仙台市との合併に際しその是非を問う会議が泉市内の各地域で開催され、マスメディアはその過熱ぶりを報道し、最終的には住民投票を行うほど市民の世論が二分した。初期の対立軸は、マイホームを求めて主に仙台市から移住してきた新住民と、地元商店街の商店主・旧奥州街道沿いの住民・営農者などの旧住民で、新住民は泉市への帰属意識は薄く通勤通学する仙台市との合併賛成、旧住民は泉市への帰属意識(地域コミュニティ)が強いために併合され泉市らしさが無くなることへの抵抗感による合併反対という対立構図であった。

しかし、その単純な対立構図はより理由が鮮明になり熱を帯びていった。当時、仙台市においてもバブル景気によって地価が上昇しており、泉市が合併で仙台市となればネームバリューで、さらに政令指定都市ともなればもっと地価が高騰するであろうという予見から不動産業のみならず利益を得たい企業側関係者は合併の強力推進派となった。他方、合併によって泉市よりも高い旧仙台市の基準の地方税や水道使用料金などを課せられると知った旧住民は、合併によるメリットよりもデメリットが大きいと町内会やビラで訴え新住民への浸透を図った。マスメディアの事前調査では、住民投票の行方は合併派と反対派は拮抗してまったく分からなくなった。

旧仙台市は東北の中心的役割を内外ともに誇示するため、政令指定都市の名目は絶対に必要な条件であった。これについては、仙台市のみがそれを欲していたわけでなく、21世紀を目前に東北各市からも関西・中部・九州の大都市圏に匹敵する東北都市圏を仙台市が牽引して作るべきだという意見が多かった。時節柄、首都機能移転構想にも多大な影響を受けている。しかし、当時の政令都市化の要件である人口80万人には満たなかったため、このままでは単独での政令指定都市化は難しいと判断され、隣接の泉市や宮城町、秋保町との合併を模索していた。

泉市は急激な人口増加により交通や下水道などの生活インフラが立ち遅れていた。仙台市は、当時水田が広がっていた現在の泉中央地区を中心に、仙台市地下鉄南北線泉中央駅延伸、将監トンネル県道仙台泉線)や都市計画道路・北四番丁大和町線(宮城県道264号大衡仙台線)の早期建設、七北田公園仙台スタジアム)や泉運動公園シェルコムせんだい)の整備、上下水道整備、コミュニティセンターの建設などのインフラ整備、さらに泉市で初の地方博覧会グリーンフェア仙台)の開催を提案した。

熱を帯びた議論やビラ合戦の末、住民投票条例制定の直接請求において泉市の有権者の43%にあたる37,775人の署名が集まり[1]、「市民投票に関する条例案」が泉市議会に議員提案されたが、1987年(昭和62年)11月4日の昭和62年11月臨時会で否決された[2]。しかし、僅差だったことを理由に泉市長の職権で「市民意向投票実施規則」が制定され、同年11月29日に住民投票が実施された[3][2]。投票結果、投票率74%、賛成33,331票(得票率52.6%)、反対29,703票(同46.9%)、無効・その他354票(同0.6%)となった[3]。合併反対派は、市民の世論が半々であるのに拙速に合併協議を進めているとしてリコール運動を始めた。両市は3月末日としていた当初予定を前倒しし1988年(昭和63年)3月1日に泉市を仙台市に編入合併した[1]。そして1989年平成元年)4月1日、仙台市の政令指定都市移行と同時に旧泉市が泉区となった。泉市が名称や範囲をそのままに泉区に変更されることは合併時の取り決めであり、新たな区名の公募や審議はなかった。このため、既存の政令市の区名称と重複しない名称を方針としていた他区[4]とは異なり、既存の横浜市泉区と区名が重複することが確定していた。

なお、この公共事業をバーターにした当時の仙台市長石井亨ゼネコン汚職事件で逮捕・起訴されて実刑判決を受けた。

2007年2月、区のシンボルマークが制定された[5]

泉区の特例

合併経緯からか泉区は仙台市の他区と比べて特別的扱いが多いと見られている。

  • 泉市時代からの引き継ぎで、他の区では制定されていない「区の木・花・鳥」が唯一制定されている。
  • 泉区役所(本庁舎)は、旧泉市役所をそのまま活用しているため、敷地面積が他の区役所よりも広い。現在は、旧泉市役所庁舎であった、区役所本庁舎の東側に区役所東庁舎が設置されている。
  • 泉区役所は、泉中央駅から徒歩数分の立地にあり、これまでは区役所前~泉中央駅を結ぶ「歩行者専用道路」(途中から広場になり、さらにペデストリアンデッキに変化する)でしか接続されていなかったが、泉中央駅の改築により、区役所の敷地内に地下鉄入り口が新設された。
  • 泉市時代から仙台市地下鉄八乙女駅まで通っていた。
  • 街区表示板は合併後2回更新されている(泉市→泉区〔ローマ字併記無し〕→泉区〔ローマ字付き〕)。板の色は、他区のほとんどの地域のように青ではなく、[要出典]泉市の時代からの緑色をそのまま使っている。
    • 住所は、泉市○○→仙台市○○→仙台市泉区○○と変更されている。

  1. ^ a b 第225回宮城県議会(昭和63年2月臨時会)会議録 2月5日-02号 四番 雫石五郎議員の発言より(宮城県議会
  2. ^ a b 公文書開示請求の内容及び処理状況(平成17年度) (PDF) (仙台市)
  3. ^ a b ヤマ場を迎える「平成の大合併」と住民投票 (PDF)自治労連・地方自治問題研究機構 Information Service No.30 2002年9月25日)
  4. ^ 横浜市青葉区の成立は、仙台市の政令指定都市移行よりあとの1994年である。
  5. ^ 泉区のシンボルマーク”. 仙台市公式ホームページ. 2018年4月14日閲覧。





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