黒澤明 作風

黒澤明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 12:19 UTC 版)

作風

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三船敏郎(左)と志村喬(右)は黒澤作品の常連俳優であり、『醉いどれ天使』『野良犬』などでは志村が師匠、三船が弟子に相当する役を演じた。

黒澤作品は強い人間信頼と人生肯定を特徴とし[103]、現実社会で困難な状況に追い込まれた主人公が、それを契機にして人間的に再生する姿を描くことが多い[54]。評論家の都築政昭は、黒澤作品の主人公は強い正義感と犠牲的な精神で困難に立ち向かうが、そのような人物は現実感に乏しいため、黒澤は人間のあるべき姿を願望として描いていると指摘している[104]。映画批評家の佐藤忠男は、黒澤は生きる意味を探求するというテーマをくり返し描いていると指摘している[105]。終戦後に作られた『醉いどれ天使』『静かなる決闘』『野良犬』などでは、主人公は強い正義感や使命感を持って社会悪と闘い、逞しく生きる的な英雄として描かれており、敗戦後の混沌とした社会に対して肯定的に生きることの意義を訴えている[106][105]。その作風は人生の意義、社会的献身の意義を問う『生きる』と『赤ひげ』で頂点に達したとみなされている[3][105]

黒澤は師匠と弟子の関係をテーマに扱い、人間的に未熟な青二才がすぐれた師匠の教えを受けて一人前に成長するという物語を描くことが多い[17]。そのテーマは監督第1作の『姿三四郎』から描かれており、この作品では青年柔道家の三四郎が師匠の矢野正五郎の教えを受けながら、心身両面で成長してすぐれた柔道家になる姿を描いている[17][107]。そのほかの師弟関係を描いた例として、『野良犬』の佐藤刑事と村上刑事、『七人の侍』の勘兵衛と菊千代、『椿三十郎』の三十郎と若侍たち、『赤ひげ』の新出去定と保本登が挙げられる[108]。1950年代までは三船敏郎が弟子に相当する主人公を演じていたが、『椿三十郎』『赤ひげ』では三船は未熟な者を指導する側の役を演じた[54]

黒澤はその時々で自身が関心を持つ社会問題をテーマに採り上げ、批判的内容の作品を作っている。例えば、『醜聞』ではイエロー・ジャーナリズム、『生きる』では官僚主義、『悪い奴ほどよく眠る』では汚職、『天国と地獄』では誘拐、『生きものの記録』『夢』『八月の狂詩曲』では原爆をテーマに扱っている[54]。佐藤によると、黒澤作品の社会批判の姿勢は、通常の社会批判映画を作る映画作家が好むような問題の犠牲者に観客の同情を集めたり、大衆に連帯をうながすという物語の形式を極端に避けており、その代わりに黒澤作品の主人公は大衆をあてにせず、個人的な解決方法を取ることが多いという[109][110]。また、佐藤は自分だけで解決する主人公の描き方について、その独特な生き方は普通の日本人には理解し難いが、そこに日本人の大勢順応的傾向に反対する黒澤の主張が込められていると指摘している[110]

脚本

監督作品は基本的にすべて自分でシナリオを書いているが、大抵の作品には共同執筆者がいた[注釈 11][111]。黒澤は共同執筆をする理由として、「僕一人で書いていると大変一面的になるおそれがある[112]」と語っている。共同執筆の方法は、脚本家全員で同じシーンを書き、それを比較して良いところだけを取り入れて決定稿にするというものだった[113]。大映製作担当の市川久夫は、谷口と共作の『静かなる決闘』の共同執筆について、「毎日、話の段取りを予め決め、同じシーンを二人が別々に書き、終わったところで対照し、よい方に統一しながら書き足してゆくといった方法だった[114]」と述べている。橋本忍小国英雄と共作の『生きる』『七人の侍』では、黒澤と橋本が競うように同じシーンを書き、小国がそれを取捨選択して決めるという役割分担で執筆した[72]。橋本は「黒澤組の共同脚本とは、同一シーンを複数の人間がそれぞれの眼(複眼)で書き、それらを編集し、混声合唱の質感の脚本を作り上げる―それが黒澤作品の最大の特質なのである[113]」と述べている。

製作方法

黒澤は撮影に入る前に、まず被写体を本当にそれらしく作れるかどうかを重視した[115][116]リハーサルは他監督の作品よりもたくさん時間をかけ、俳優が役柄や性格をしっかりと掴み、演技が自然に見えるまで周到に稽古を重ねた[115]。『どん底』では撮影期間が1ヶ月なのに対し、リハーサルにはそれよりも長い40日近くもかけている[117]。また、役の雰囲気を作らせるために、本読みの段階から俳優に衣裳を着けさせたり、撮影期間中も俳優同士を役名で呼ばせたり、役で家族を演じる俳優たちを一緒に住まわせたりした[115]

セットも実在感を追求するためリアルに作られ、巨大なセットが組まれた[118]。美術監督の村木与四郎も、黒澤作品のセットの特長を「みんな大きなロケセットを1つデーンと建てちゃう点」と語っている[118]。画面に写らないような細部も作り込んでおり、『羅生門』では門の屋根瓦4000枚のすべてに年号が彫られ、『赤ひげ』では撮影のために焼いた茶碗に茶渋がつけられ、薬棚の引き出しの中にまでが塗られた[116][118]。黒澤はある程度はリアリズムを徹底したが、必ずしも史実通りにすることにとらわれず、視覚的にどう写るかを優先して大胆にイメージを広げることもあった[118][119]。『用心棒』の宿場町シネマスコープの画面に合わせて道幅を広くしており、『蜘蛛巣城』の城門も実際の寸法より大きくしている[119]

黒澤の撮影方法は、複数のカメラでワンシーン・ワンショットの長い芝居を同時撮影するというもので、この手法は「マルチカム撮影法」と呼ばれた[120]。マルチカム撮影法は『七人の侍』で決戦場面など撮り直すことが難しいシーンを、数台のカメラで一度に写すことから始まったもので、次作の『生きものの記録』から本格的に導入した[120][121]。黒澤はこの手法を使うと俳優がカメラを意識しなくなり、思いがけず生々しい表情や姿勢を撮ることができ、普通の構図では考えつかないような面白い画面効果が得られるとしている[72]。撮影監督の宮川一夫によると、黒澤は芝居が止まるのを嫌ってこの手法を使用したという[122]。大抵のシーンでは2、3台のカメラを使用したが、『赤ひげ』では5台のカメラを使って8分に及ぶシーンを長回しで撮影した[120]

編集作業は黒澤自身が行った。黒澤は撮影を素材集めに過ぎないとし、それに最終的な生命を与えるのは編集であると考えていたため、他監督の作品のように編集担当に任せることはせず、自分で編集機を操作した[123][124]。マルチカメラ撮影法を採用してからは、複数カメラで撮影した同じシーンのフィルムをシンクロナイザーにかけ、一番いいショットを選んで繋げるという方法で編集をした[123][125]。複数カメラで長いシーンを撮影すると、スタッフは映像のイメージがつかみづらくなるため、黒澤は撮影したシーンのラッシュフィルムが仕上がるとすぐに編集してスタッフに見せ、ロケーションにも編集機を携行した[123][126]。そのため撮影が終了する頃には、編集もほとんど済んでしまうことが多かった[126]

表現スタイル

黒澤はカメラの動きを観客に意識させないようにした[127]。カメラを勝手に動かすことはなく、俳優が動くときのみカメラを移動させ、俳優が止まればカメラも停止させた[121][127]。カメラが対象物に寄るのも不自然だと考え、ズームレンズは基本的に使わず、その代わりに望遠レンズを多用した[121]。黒澤は『野良犬』のワンシーンで初めて望遠レンズを使い、『七人の侍』から複数カメラの1つに採用した[128]。望遠レンズだと画角が狭くなり、被写体の遠近感が失われて縦に迫るように見えるため、迫力ある画面を生んだ[121][129]。また、望遠レンズを使うとカメラ位置が遠ざかり、その分俳優がカメラを意識しなくなり、自然な表情が撮れるため、黒澤はクローズアップも望遠レンズで撮影した[129]

黒澤は画面に写るものはすべて重要だと考え[125][127]、1つの画面に人や物がたくさん詰まっているような画面構図を好んだ[54]。そのためパンフォーカスを使用して、被写体を画面の手前から奥に立体的に配置し、奥行きのある「縦の構図」にすることが多い[120]。パンフォーカスはレンズの焦点深度を深く絞り、画面内の被写体全部に焦点を合わせる技法である[120][128]。黒澤は『わが青春に悔なし』でパンフォーカスを試みようとしたが、敗戦直後の電力不足で諦めており、『生きる』から存分に活用した[130]。パンフォーカスでレンズを深く絞ると光量が減るため、大量の強いライトを使わなければならず、黒澤が撮影するとスタジオが電力不足になり、他の仕事が出来なくなったという逸話がある[128]

場面転換には「ワイプ」を使用した[125]。ワイプは画面を片側から拭き取るように消して、次の画面を表示する技法である。サイレント映画でよく使われたが[131]、1950年代頃には映画ではほとんど使われなくなり、アメリカではテレビシリーズで採用された[132]。黒澤はワイプをフェードディゾルブなどの代わりに使用したが、これらの技法を全く使用しなかった訳ではなく、フェードは柔らかな印象を与えるときだけ使い、ディゾルブはかなりの時間経過を示すために用いた[132][125]。ワイプの主な使用例は、『生きる』で市役所に陳情に来た主婦がたらい回しにされるシーンで、責任回避する各部署の職員を被写体にしたPOVショット英語版がワイプで重ねられている。

1940年代から1950年代の作品では「アキシャルカット英語版」という技法を使用した[133]。アキシャルカットはディゾルブやトラッキングショットを使用せずに、角度を変えないジャンプカットで焦点距離を変化させる技法で、突然被写体が近づいたり離れたりする印象を与えた[134]。映画批評家のデヴィッド・ボードウェル英語版は、黒澤はアキシャルカットを頻繁に使用して、瞬間的な動作を強調したり、静止した瞬間の時間を延ばしたりしていると指摘している[135]。『姿三四郎』では村井半助が柔道の試合で投げ飛ばされたシーンや、三四郎と小夜が階段を下りながら会話するシーンなどで、アキシャルカットが使用されている[135][136]

映画批評家のドナルド・リチーは、黒澤の色彩表現はイメージの役割に合わせて色を決め、色彩そのものに意味を持たせるというものであるとしている[125]。『どですかでん』では内容に即してセットや地面を赤や黄の原色で染めて、奔放に色を使用している[83]。『影武者』以降は鮮やかな色彩で細部まで描き込んだ絵コンテを用意するようになり、その絵コンテ自体が芸術作品として成立することから、作品発表のたびに画集が出版された[85][137]

映画技術

黒澤はカラー映画には慎重な態度を取り、『赤ひげ』までの全作品はモノクロで撮影した[125]。ただし、『天国と地獄』のワンシーンでは煙突の煙に着色してパートカラーにする試みをしている[54]。黒澤はカラーに踏み切らなかった理由について、映画の色彩が絵画的な色彩とは程遠く、自分の考える色彩を表現することができないからだとしている[138]。照明技師の石井長四郎と森弘充は、黒澤が重視するパンフォーカス撮影はカラー映画では難しく、そのためにカラーに踏み切らなかったとしている[139]。黒澤初の全編カラー映画は『どですかでん』で、以後の作品はすべてカラーで撮影した。

黒澤作品の画面サイズは、『どん底』まではスタンダードサイズ(画面比率は1対1.33)だったが、黒澤は画面が狭すぎるスタンダードサイズに不満があり、『隠し砦の三悪人』以降はシネマスコープ(画面比率は1対2.35)を採用した[140]。黒澤は同作について、「最初のシネスコ・サイズで大きな画面にいろいろ入るので、おもしろくて思う存分撮った[72]」と述べている。『デルス・ウザーラ』では初めて70ミリフィルムを使用したが、『影武者』以降の作品はすべてビスタサイズ(画面比率は1対1.66)で撮影した。撮影監督の斎藤孝雄によると、黒澤は画面全体を埋めなければ気が済まない人で、シネマスコープの広い画面を埋めるのが大変になったことからビスタサイズに変更したという[141]

音楽

8本の黒澤映画で作曲を担当した早坂文雄

黒澤は映画音楽で、わざと映像と音楽の調和を崩す「音と映像の対位法」を好んで使用した[142][143]スクリプター野上照代は「映画音楽は足し算ではなく、掛け算でなければならない」のが黒澤の持論だったとしている[142]。黒澤とコンビを組んだ早坂文雄は、黒澤の映画音楽に対する考え方は「画面と結合することによって、ある連想作用によって、そこになにかが喚起され、その音楽自体に別な意味が附与されてくるようなものでなくてはならない[144]」ものだったとしている。対位法を使用する時は、音源をその画面に登場する既成のレコード曲やラジオから流れる音楽、背景の歌声などの現実音にする場合が多かった[142]。対位法の代表的な使用例は『醉いどれ天使』と『野良犬』で、前者では主人公が闇市を歩くシーンで「かっこうワルツ」を流し、後者では佐藤刑事が犯人に撃たれるシーンで「ラ・パロマ」、村上刑事が犯人と対峙するシーンでクーラウの「ソナチネ」のピアノ曲を流している[144]

黒澤は映画音楽を作曲家任せにせず、作曲家に自分の欲しいイメージを伝え、それに強くこだわった[45]。普段からよく音楽を聞いていた黒澤は、イメージを伝えるために既成曲を示し、それに似た音楽にするよう指示することが多かった[85][145][146]。『羅生門』ではラヴェルの「ボレロ」、『赤ひげ』ではブラームスの「交響曲第1番」やハイドンの「交響曲第94番」、『乱』ではマーラーの「大地の歌」に似た曲が作られている[146]。『赤ひげ』以降はラッシュ時に自分が選んだ名曲を付けるようになり、その曲に合わせて編集することもあった[45][145]。そのため注文の厳しい黒澤と作曲家との軋轢も多く、『影武者』では佐藤勝が降板し、『乱』では武満徹とダビングをめぐり対立することもあった[45]

黒澤組

蜘蛛巣城』のオープンセットに集まった黒澤組の面々(1956年撮影)。左から一人おいて矢野口文雄岸田九一郎野長瀬三摩地斎藤孝雄三船敏郎千秋実志村喬斉藤照代村木与四郎、黒澤、根津博、中井朝一本木荘二郎

黒澤は長年東宝に所属していたこともあり、同じスタッフやキャストと仕事をすることが多く、彼らは「黒澤組」と呼ばれた。黒澤組の主な人物と参加作品数は以下の通りである(スタッフは3本以上、キャストは5本以上の参加者のみ記述)[147]


注釈

  1. ^ 黒澤優の夫は、歌手の松岡充である。
  2. ^ 勇の先祖は代々神職をしていたが、戊辰戦争官軍に味方し、その功績で帯刀を許されて士族になった[5]
  3. ^ その5つの作品は『建築場に於ける集会』(水彩画)、『農民習作』『帝国主義戦争反対』『農民組合へ』(以上油絵)、『労働組合へ』(ポスター)である[22]
  4. ^ 黒澤の自伝によると、丙午(須田貞明)は「30歳になる前に死ぬ、人間30を越すと醜悪になるばかりだ」と口癖のように言っていたという。丙午はアルツィバーシェフの『最後の一線』を「世界最高の文学」と推奨し、主人公の自殺への信条に賛同していて、黒澤はそれが文学青年である兄の誇張した考えに過ぎないと思っていたが、兄の口癖の通り27歳で自殺した[24]
  5. ^ 東宝の助監督はサード、セカンド、チーフと昇進するが、プロデューサー・システムを導入して製作者の権限を強化していたこともあり、チーフ助監督を「製作主任」と呼んでいた。黒澤はセカンドをやらずにチーフに昇進している[16]
  6. ^ a b 黒澤は『わが青春に悔なし』の完成前に、山本と関川秀雄とともに『明日を創る人々』(1946年)を共同監督しているが、黒澤はこれを「自分の作品とは思えない」として自作のリストから外している[42]
  7. ^ 時代劇三部作は、黒澤が小國英雄菊島隆三橋本忍と企画を練り、当初は『蜘蛛巣城』(本多猪四郎監督)、『隠し砦の三悪人』(鈴木英夫監督)、『仇討ち』(堀川弘通監督)で決定したが、『仇討ち』は話が暗いとして取り上げず、『用心棒』に変更された[54][59]。『仇討ち』は1964年今井正監督で『仇討』として映画化された[59]。最終的に三部作は『蜘蛛巣城』『どん底』『隠し砦の三悪人』となった。
  8. ^ 『嫉妬』の他のエピソードは、キャロル・リードジャン・コクトーヴィットリオ・デ・シーカロベルト・ロッセリーニが担当する予定だった[34]
  9. ^ 1976年に文化功労者に打診されたときは「政治が映画に関心を持ってくれた」と受け止めてもらうことを決め、受章時のインタビューでは、各国とも文化政策の一環として映画に力を入れているが、日本の政治は映画に無関心であると主張した。また、日本映画界をめぐる危機感についても言及し、このままだと残るのはポルノと暴力ものだけで、次々と名監督が無くなる中、残った私は日本映画の荒廃に責任を感じていると語った[64]
  10. ^ 黒澤は『黒き死の仮面』の舞踏会のシーンをフェデリコ・フェリーニに演出させ、手塚治虫のアニメーションを部分的に使うことも考えていた[34]。1976年に手塚は「黒澤さんね。日本では作れなくて、ソ連で『デルス・ウザーラ』を作ったけれど、また今度、ソ連で映画を作るんです。そのとき、ぼくは黒澤さんといっしょに仕事することに…。(中略)恐怖映画なんだ。エドガー・アラン・ポーの短編を映画化するんだ[86]」と述べている。
  11. ^ a b 自作と認めている30本のうち、脚本にクレジットがないのは『わが青春に悔なし』と『素晴らしき日曜日』の2本だけだが、この2本も黒澤が脚本に参加している[34]
  12. ^ 外国の優れた脚本家に贈られる賞で、黒澤のほか橋本忍菊島隆三小国英雄の3人も合わせて受賞した。

出典

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黒沢明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 08:13 UTC 版)

黒沢 明(くろさわ あきら)




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