黒木為楨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 02:26 UTC 版)
親族
- 後妻:黒木ヒヤク(百子、1868-1961) - 旗本中山勝重次女、黒田清隆養女、清隆の前妻の妹)
- 長男:黒木三次(1884-1944) - 前妻との子。妻の竹子(1895-1979)は松方巌の娘。家督を継承。帝都復興院参与・貴族院議員を務め正三位勲三等伯爵に昇る。
- 三男:黒田清 (伯爵)(1893-1951) - 黒田清仲伯爵(内閣総理大臣黒田清隆陸軍中将伯爵の子)の養嗣子となり、伯爵の爵位を継ぐ。
- 長女:つね(1877-1922) - 川田甕江長男・鷹の妻
- 次女:愛子 - 高橋是清長男・高橋是賢の妻
脚注
参考文献
- 秦郁彦『日本陸海軍総合事典』(第2版)東京大学出版会、2005年。ISBN 4130301357。 NCID BA73066386。全国書誌番号:20887138 。
- ゲームジャーナル編集部『坂の上の雲5つの疑問』並木書房、2011年。ISBN 9784890632848。 NCID BB09223989。全国書誌番号:22013693 。
関連書
- 柘植久慶『黒木為楨 : 日露戦争の勝利に最も貢献した名将』PHP研究所〈PHP文庫〉、2010年。ISBN 9784569675640。 NCID BB04923531。全国書誌番号:21860788 。
- 『日露戦争七人の陸将 名将の条件 大山巖・児玉源太郎・福島安正・黒木為楨・立見尚文・秋山好古・一戸兵衛』柘植久慶、学研パブリッシング (2010/12)
- 來原慶助, 芹沢武光『日露戦争における黒木為楨大将』南方新社、2012年。ISBN 9784861242366。 NCID BB0858410X。全国書誌番号:22060128 。
- 森孝晴「ジャック・ロンドンに対する薩摩武人の影響 : 黒木為楨の場合」『立命館経済学= 立命館経済学』第58巻第3号、立命館大学経済学会、2009年9月、43-58頁、doi:10.34382/00001586、hdl:10367/1002、ISSN 0288-0180。
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「黒木為楨
- ^ 20世紀初頭のライプチヒ-植物学者大野直枝のドイツ日記 増田芳雄、人間環境科学 8 9-38, 1999 帝塚山大学人間環境科学研究所
- ^ 『官報』第503号、大正3年4月6日。
- ^ ノーベル書房編集部編『陸軍郷土歩兵聯隊写真集 わが聯隊』 ノーベル書房、1979年。p95
- ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
- ^ 『官報』第2584号「叙任及辞令」1892年2月15日。
- ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
- ^ 『官報』第5740号「叙任及辞令」1902年8月21日。
- ^ 『官報』第7253号「叙任及辞令」1907年8月31日。
- ^ 『官報』第525号「叙任及辞令」1914年5月1日。
- ^ 『官報』第3153号「叙任及辞令」1923年2月6日。
- ^ 『官報』第527号「賞勲叙任」1885年4月8日。
- ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
- ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
- ^ 『官報』第2971号「叙任及辞令」1893年5月27日。
- ^ 『官報』第5072号「叙任及辞令」1900年6月1日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)
- ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
- ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第6919号「叙任及辞令」1906年7月23日。
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