陰陽道 陰陽道の概要

陰陽道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 15:10 UTC 版)

陰と陽。太極図
晴明紋

陰陽道は、陰陽寮で教えられていた天文道暦道といったものの一つであり、これらの呼称は、当時の国家機関の各部署での技術一般を指す用語であり、思想ないし宗教体系を指す用語では無い。


注釈

  1. ^ 陰陽寮の中には他氏出身の六位クラスの官人もおり、特に大中臣氏や中原氏のように五位に昇る者を輩出した一族もあるが、鎌倉時代(13世紀)後期には姿を消すことになる。同様に法師陰陽師と呼ばれた民間陰陽師も安倍・賀茂氏のみならず宿曜道との競合もあって11世紀末期には姿を見せなくなる[12]
  2. ^ 安倍晴明の没後、院政期にかけては賀茂氏優勢の時代が続いた。『新猿楽記』に登場する陰陽師の第一人者「賀茂道世」は架空の人物であるが、その架空の第一人者が賀茂氏の人物とされたところに当時の賀茂氏の優位性を見出せる。これに対して、12世紀初め(晴明没後から約100年後)に編纂されたとみられる『大鏡』や『今昔物語集』において優れた陰陽師として晴明が初めて登場するが、同時代の他の作品には晴明の名前が登場しておらず、決して突出した存在として扱われていたわけではない。この時期の安倍氏が不振に喘いでいた陰陽道における立場を回復させるために、安倍氏陰陽道の祖である晴明への顕彰活動や説話創作を進めていった可能性が高い、とされている。そうした影響なのか、13世紀に入ると晴明を優れた陰陽師として登場させる文学作品(『古事談』・『宇治拾遺物語』・『十訓抄』など)に登場するになり、その名が広く世間で知られるようになった[13]
  3. ^ 平安期になると、貴族の身分と利用できる陰陽師の身分はほぼ対応していたが、院政期以後摂関家においても私的関係を重視した起用が行われるようになる[14]
  4. ^ 武家政権である鎌倉幕府も陰陽師との関係を持っていた。源頼朝が挙兵した時には賀茂氏・安倍氏の人々がいなかったため、住吉昌長・大中臣頼隆が陰陽道の事を掌り、源実朝の時代には安倍泰親の曾孫・安倍泰貞が近侍していた(『吾妻鏡』承元4年10月16日条)ことが知られている[15]
  5. ^ よって、この時点で土御門家倉橋家家学の陰陽道から離れ、そもそも陰陽師なる役職が公的存在性を失った上、戦後天社土御門神道が再興されたが、土御門家現当主は一切関与しない姿勢でいるため、明治以降現代において「陰陽師」、「陰陽道宗家」などといった役職は存在せず、民間的な存在有無は別として、公的には現存しない。

出典

  1. ^ 第2版,世界大百科事典内言及, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,精選版 日本国語大辞典,旺文社日本史事典 三訂版,占い用語集,デジタル大辞泉,世界大百科事典. “陰陽道とは”. コトバンク. 2022年9月13日閲覧。
  2. ^ a b 張麗山 2020, pp. 25–28.
  3. ^ 赤澤春彦 2020, pp. 172–173.
  4. ^ a b 小池康寿 2015, p. 36.
  5. ^ 斎藤英喜『陰陽道の神々』佛教大学通信教育部〈佛教大学鷹陵文化叢書 17〉、2007年、31頁。ISBN 9784784213665NCID BA83370022https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009132203-00 
  6. ^ 繁田信一 『平安貴族と陰陽師』 吉川弘文館 2005年 P129
  7. ^ 鈴木一馨「平安時代における陰陽寮の役割について : 陰陽道成立期に見られるその変化 (特集 古代宗教と貴族社会)」『駒沢史学』第61号、駒澤史学会、2003年11月、74-95頁、ISSN 04506928NAID 120006610495 
  8. ^ a b 小池康寿 2015, p. 38.
  9. ^ a b 近世陰陽道の研究, p. 53.
  10. ^ 近世陰陽道の研究, p. 52.
  11. ^ 山下克明 2022, pp. 66–67.
  12. ^ 赤澤春彦 2011, pp. 63–82, 204–206.
  13. ^ 山下克明 2022, pp. 11–13, 18–20.
  14. ^ 赤澤春彦 2011, pp. 175–194.
  15. ^ 赤澤春彦 2011, p. 328-330.
  16. ^ 赤澤春彦 2011, pp. 34–63, 164–167, 226–227.
  17. ^ 小池康寿 2015, p. 33.
  18. ^ 近世陰陽道の研究, p. 44,45,48.
  19. ^ 圭室文雄 『日本人の宗教と庶民信仰』 吉川弘文館 2006年 P279
  20. ^ a b 小池康寿 2015, p. 34.
  21. ^ a b 繁田信一 2006, p. 72,74,75,76.
  22. ^ a b 近世陰陽道の研究, p. 75,76,77.
  23. ^ a b 岡田荘司 2010, p. 136,137.
  24. ^ 木場明志「近世土御門家の陰陽師支配と配下陰陽師」『大谷学報』第62巻第3号、大谷学会、1982年12月、54-67頁、ISSN 02876027NAID 120005768577 


「陰陽道」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「陰陽道」の関連用語

陰陽道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



陰陽道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの陰陽道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS