覚如とは? わかりやすく解説

覚如

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/21 10:22 UTC 版)

覚如(かくにょ、覺如[1])は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての浄土真宗浄土真宗本願寺派第3世宗主・真宗大谷派第3代門首・真宗木辺派第3代法主。大谷本願寺住職。


  1. ^ a b 覺如…新字体が用いられる以前の文献に用いられた旧字体。
  2. ^ a b 文永7年12月28日は、西暦(ユリウス暦、グレゴリオ暦換算ともに)では1271年だが、文永7年は、年が明けていないので「1270年」と考える。文献の「覚如の生年」の年の西暦を、和暦に基づいて1270年と表記する場合と西暦に基づいて1271年と表記する場合があるので注意が必要である。
  3. ^ 観応2年は、北朝の元号。南朝の元号は、正平6年。
  4. ^ a b c グレゴリオ暦換算。本願寺派では、グレゴリオ暦に換算した生没年を用いる。
  5. ^ 覚如の子である従覚慈俊が記した覚如の伝記『慕帰絵詞』の第一巻に「母儀は周防権守中原のなにがしとかや號しける其母なり」とある。(参考文献:国立国会図書館デジタルコレクション 慈俊『慕帰絵々詞』巻一 ・ 『真宗聖教全書』三 歴代部、従覚『慕歸繪詞』巻一、P.773。)
  6. ^ 当然であるが真宗十派の内、高田派・佛光寺派・興正派・山元派・誠照寺派・三門徒派・出雲路派は、本願寺派・大谷派・木辺派の流れにある覚如とは別の流れにあるためそれぞれの歴代には含まれない。
  7. ^ 『執持鈔』(しゅうじしょう)
  8. ^ 『口伝鈔』(くでんしょう)
  9. ^ 『改邪鈔』(がいじゃしょう)
  10. ^ a b c 上田良準『阿日房彰空と樋口安養寺』、印度學佛教學研究 9(1)、1961年、p. 306
  11. ^ 大田壮一郎「初期本願寺と天台門跡寺院」大阪真宗史研究会 編『真宗教団の構造と地域社会』(清文堂出版、2005年) ISBN 4-7924-0589-0 P19-26
  12. ^ この額を法智が、高田の如来堂に掲げたのが、「高田専修寺(本寺)」の寺号の起源とする説がある


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