西浦聡生 西浦聡生の概要

西浦聡生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 00:47 UTC 版)

西浦"ウィッキー"聡生
基本情報
本名 西浦 聡生
通称 格闘猿
暴発アーティスト
国籍 日本
生年月日 (1983-08-08) 1983年8月8日(40歳)
出身地 長崎県東彼杵郡
所属 シューティングジム横浜
→STGY
KRAZY BEE
身長 174cm
体重 65kg
階級 フェザー級バンタム級
ライト級
バックボーン 修斗
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来歴

2005年5月29日、ウィッキー聡生のリングネームでプロ修斗デビュー。中村浩士にKO勝ち。

2006年10月14日、修斗ライト級(-65kg)新人王決定トーナメント決勝で石澤大介に判定勝ちし、新人王獲得。

2006年12月25日、修斗で田村彰敏と対戦し、0-3の判定負け。

2007年3月16日、修斗で門脇英基と対戦し、2-1の判定勝ち。

2008年2月11日、CAGE FORCE初出場となったCAGE FORCE EX -eastern bound-のフェザー級王座決定トーナメント1回戦でキム・ジョンマンと対戦し、パウンドでKO勝ち。

2008年9月27日、CAGE FORCE 08の初代フェザー級王座決定トーナメント準決勝で孫煌進と対戦し、3-0の判定勝ち。12月6日、CAGE FORCE 09のトーナメント決勝で星野勇二と対戦し、0-3の判定負け。準優勝に終わった。

DREAM

2009年3月8日、DREAM初出場となったDREAM.7のフェザー級(-63kg)グランプリ1回戦でエイブル・カラムと対戦し、0-3の判定負けを喫した。この試合からリングネームを西浦"ウィッキー"聡生に変更した。

2009年7月10日、オーストラリアで開催されたShooto Australiaでグスタヴォ・ファルシローリと対戦し、0-2の判定負けを喫した[1]

2009年10月14日、DREAMの記者会見で「DREAM海外武者修行シリーズ第1弾」としてDREAMのバックアップを受け水野竜也とともにマット・ヒュームの主宰するAMCパンクレイションでトレーニングすることが発表された[2]

2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14所英男と対戦し、右フックから追撃のパウンドでTKO勝ち。

2010年9月25日、DREAM.16石田光洋と対戦し、1-2の判定負けを喫した[3]

2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜で初のキックボクシングを行い、K-1王者の大和哲也K-1ルールで対戦し、全体を通して大和よりも大きなパンチを多く当てて印象を取るも、0-1の判定でドローとなった[4]

2011年5月29日、DREAM JAPAN GP宇野薫と対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2011年11月6日、シュートボクシング初出場となったSHOOT the SHOOTO 2011で鈴木博昭と対戦し、0-3の判定負けを喫した。

Road to UFC: Japan

2015年リアリティ番組Road to UFC: Japan」に参加。ジョシュ・バーネット率いるチーム・バーネットに所属。フェザー級トーナメント1回戦でハルク大城と対戦し、パウンドでTKO勝ち。準決勝で石原夜叉坊と対戦し、1-2の判定負けを喫した。

RIZIN

2015年12月29日、RIZINの旗揚げ興行であるRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYSに出場し、K-1ファイターのHIROYAとK-1ルールで対戦し、2Rまでは拮抗した試合だったが3R KO負けを喫した。

2017年10月15日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2017 1st ROUND -秋の陣-RIZIN.7)に出場し、K-1王者のアンディ・サワーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2019年9月1日、ONE Japan Series: Road to Centuryでクレベル・コイケと対戦し、ダースチョークで一本負け。

人物・エピソード

  • ノーガードの構えとフェイントから繰り出される打撃を武器とする変則ファイター[5]
  • 独学で描く絵画が趣味[6]修斗の試合会場のロビーで絵画の展示会が開催されたこともある[7]
  • リングネームウィッキーは猿の鳴き声に由来し、「スタンド時の構えが猿の動きに似ているから」という理由でシューティングジム横浜会長の川口健次によってつけられた。
  • ファイトスタイルと絵画が趣味であることから、CAGE FORCEでは暴発アーティストのニックネームで呼ばれ、また、リングネームとその動きから、DREAMでは格闘猿のニックネームで呼ばれた。
  • 体には自分がデザインしたタトゥーが彫られている[5][6]。トランクスのデザインも自分で手がけている[6]



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