虹 虹の認識の歴史

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 14:33 UTC 版)

虹の認識の歴史

虹「生き物」説

古代ギリシャでは紀元前300年頃まで、中国では西暦1000年頃まで、日本では西暦1200年頃まで「虹は生き物だ」と考えられていた。その後は多くの著者が「虹は生き物ではない」として「虹は生き物だ」と書く本は無くなった[25]。中国では「蛇=へび」「蛙=かえる」と同様に「むしへん」を用いて「虹」と書いた。虹には「霓(げい)」という文字でも虹を表した。「虹(こう)」は「オスの虹」で「霓(げい)」は「メスの虹」の意味だった[26]。また、古代中国の『礼記』の「月令」には「虹は3月に現れて10月に消える」という話が書かれていて、多くの本に引用されていた[27]。この場合、虹は春に発生して秋に姿を消す虫や蛇のように考えられていた。冬に雨が少ない地域ではこのような現象が見られたと思われる[28]。英語圏では「レインボウ」と呼ぶが、「レイン=雨」と「ボウ=弓」が結びついた言葉である。西洋でも東洋でも大昔から「にじは雨の子、雨の作り出すもの、雨が大好きな生き物」と思われていた。[26]

虹生き物説の否定

虹が生き物ではないことを証明したのは「虹が人工的に作れる」という事実の発見だった。中国では1100年頃に「虹は物理現象だ」とする考えが始まり、宋の沈括(1031年 - 1095年)は、『夢渓筆談』(1088)に「虹はすなわち雨中の日の影なり。日が雨を照らせばこれあり」と書いた[29]。宋の朱熹(朱子)(1130年 - 1200年)に代表される人々は「虹は太陽が雲に映った影だ」とした[28]。紀元前300年代のギリシャのアリストテレスは、人工的に虹を作る方法を知っていた[30]。アリストテレスは『気象論』の中で「虹は我々の視線が太陽に向かって反射するものである」と考え、虹の色は   赤、   青、   緑の三色で、赤と緑の間にはしばしば   黄色が現れると書いた[31]。中国でも1100年前後、日本でも1650年頃には人工的に虹を作り出す方法が知られていた。滝や噴水などの水しぶきで虹ができることに気がついたことがきっかけと思われる。日本では1268年頃に書かれた『塵袋』全11巻の巻1第3項に「日が西にあれば虹は東にあり。影の映りむかいて見ゆ」と虹の生き物説を否定した[32]。日本で初めて虹を人工的に作る方法を記したのは京都の醍醐に住んでいた医者の中川三柳(なかがわさんりゅう)(1614年 - 1684年)である[33]江戸時代の1714年に西川如見(1648年 - 1724年)が書いた本には「あるとき、数人の子どもたちが家の軒下で遊んでいましたが、そのうちの一人が「虹を作って遊ぼうよ」と言い出して、水をいっぱい口に入れてきました。そして斜めに差し込む日光に向かって、太陽を背にして、水をふきだし、霧のようにしました。その霧の中に虹が現れたので、みんなは喜んで代わる代わる虹を作って楽しんでいました。」とある[34]

スコラ学者の発見

ディートリヒの虹の実験。1は水を満たしたフラスコの下部から赤い光が出ている。2はフラスコの下部から青い光が出ている。3はフラスコの上部を塞ぐと、下部の光が消えることから、フラスコの上から入った太陽光が内部で反射して下から出る光が色づいて見えることがわかる。

中国、日本、アリストレテスにも中世のスコラ学者にも解決できなかった問題は「虹の色はどうして発生するか」ということだった[35]。アリストテレスは「ものが見えるのは目から視線が出ているだめだ」と考えていた[36]。しかし、アリストテレスを受け継いだアラビアのイブン・ハイサム(965年 - 1039年)やイブン・シーナ(980年 - 1037年)は、「ものが目に見えるのは、その物体から出る光が目に入るからだ」と正しく理解した[36]。イブン・ハイサムは丸いガラス容器に水を満たして光の実験も行った[36]

虹はキリスト教では神との契約をあらすものとされていたため、中世のスコラ学者たちは虹の研究を盛んに行った[37]。アラビアの科学を受け継いだ中世ヨーロッパのスコラ学者アルベルトゥス・マグヌス(1193年または1206年 - 1280年)は、「虹は窓から入った光が、水を満たしたフラスコ瓶に当たって、反対の壁に跳ね返るのと似たものではないか」という考えに達した[36]。彼は「光線は雲から落ちる雨粒によって屈折させられるが、何回もの屈折によって強められる。水の入ったガラス瓶と同じようなたくさんの水滴が、それぞれの光を屈折させはね返すのから色が付くのではないか」と考えた[38]ロジャー・ベーコン(1219年 - 1292年)は「虹の見える角度」を測定して、「太陽の高度が42度以上だと虹が現れない」ということを発見した[39]

ドイツのフライブルクのディートリヒ英語版(1250年頃 - 1310年頃)(ラテン名はテオドリクス)[40]は、「虹の色はどうしてできるのか」を研究していたが、ある日、蜘蛛の巣についた水滴がまるで虹のように輝いて見えることに気がついた[41]。ディートリヒはもっと大きな水滴を作るために、丸いフラスコに水を入れて、太陽の光を当てればきれいな色が見えるかもしれないと考えて実験した。フラスコの中で反射した太陽光の光点が、フラスコの下の縁に位置するようにすると、それまで白く見えていた光が赤く変わるのを発見した。そのままフラスコを少しずつ下に下げると、光は「    赤→    黄→    緑→    青」と変化した[42]。ディートリヒはこの色の順番が虹と同じあることを確認した[42]。ディートリヒはさらにこの光がどこから入っているのかを確かめ、フラスコの上から入った太陽光が内部で反射して、フラスコの下の方から出ると色が付くことを発見した[43]。ディートリヒはさらに、フラスコをもっと上に上げると、今度は下から入った光が反射して上から出る時にも色が付くことを発見し、これは副虹と同じ順番に色が見えることも確認した[44]

分光学的発見の過程

プリズムによる白色光の色分解
三角プリズムで分光した太陽光

1600年代に入ると望遠鏡が発明され、光の屈折の研究が本格化し、プリズムによる分光実験が注目を浴びるようになった[45]。イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイは1623年の『偽金鑑識官』の中で「虹はつねに太陽の動く方向と同じ方向へ動く」ことを明らかにし、「虹は太陽に同伴し、それに付き従って運動する」と書いた[46]

フランスの哲学者であるルネ・デカルト1637年に刊行された『方法序説』で、虹が大気中の細かな水滴で太陽光が屈折して生じるものであることを突き止め、虹をよく調べることができるように、ディートリヒと同じく、丸いガラス瓶を水で満たしたものを使って実験を行い、虹角を42度と計算した[47]。これらの光を再び集めれば白い光が再現されるだろうと示唆した[48]

その後ボヘミアのプラハ大学医学部教授のマルキ(Marci)(1595年 - 1667年)は1648年の著書でプリズムによる分光実験の結果を示し、光は屈折角の相違で分光することを示し、さらに「一度分光した光をさらに屈折させても分光しない」ことを発見した[45]

イギリスの物理学者であるアイザック・ニュートン(1642年 - 1727年)は、プリズム1対に凸レンズとスリットを組み合わせた実験を行い、「一度プリズムで分けた光をまた一つにまとめると、もとのような白色光になる」ということを実験で示し、「白色の太陽光線は、虹のような色の光が混じったものである」ことを完全に証明した[45]。ニュートンはその成果を1672年に発表し、虹の色を    赤・    黄・    緑・    青・   紫 の5色とした。しかし、ニュートンは「色帯の幅が色によって異なること」が気になり、音階の7つの音の差もその幅が一定ではないことに気がつき、「光のスペクトルの色幅」と「音階の音の幅」を対照させる仮説を思いついて、スペクトルの色を7色と考えた。そこで   橙と   藍を加えて7色とした[45]。ニュートンの『光学』は1704年に出版されたが、その本の前の方では「5色」としている[49]が、後半では音階との対照も取り入れて7色としている[50][51]。ニュートンのスペクトルと音階の対照は間違っていたため、現在では無視されているが、「7色説」の権威だけは残って後世に影響を与えた[51]

ニュートンはプリズムに白色光をあてると虹色が見られることから、光は様々な粒子の混合体であるという「光の微粒子説」を唱えたが、ロバート・フッククリスティアーン・ホイヘンスなどから激しく批判された。

ニュートンの最初の五色
ニュートンの最後の七色
現代の七色

ニュートンはラテン語cæruleusindicus と記し[52]、それぞれ blue (青)、indigo (藍) と翻訳されたが、cæruleusセルリアンブルーの語源でもあるように、空色の意味で使い、濃い青を意味するために indicus という新しい言葉を使ったものである。したがって現代語ではシアンと青に相当する[53]


注釈

  1. ^ 教育学者のジョン・デューイが1896年に創立したシカゴ大学実験学校英語版の所属。
  2. ^ 初期には同性愛コミュニティで使用された象徴であり、そのためゲイプライド旗とも呼ばれる。

出典

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  3. ^ 西條敏美 2015, p. 8.
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  7. ^ 西條敏美 2015, pp. 32–33.
  8. ^ 西條敏美 2015, p. 50.
  9. ^ 西條敏美 2015, pp. 50–51.
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  24. ^ 板倉聖宣 2001b, p. 33.
  25. ^ 板倉聖宣 2001b, p. 19.
  26. ^ a b 板倉聖宣 2001b, p. 18.
  27. ^ 板倉聖宣 2001c, p. 58.
  28. ^ a b 板倉聖宣 2001c, p. 59.
  29. ^ 板倉聖宣 2001c, p. 60.
  30. ^ 板倉聖宣 2001b, p. 22.
  31. ^ 西條敏美 2015, p. 31.
  32. ^ 板倉聖宣 2001c, p. 61.
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  40. ^ ドイツのスコラ哲学者,自然学者。ラテン名 Theodoricus Teutonicus。ドミニコ会士で、1293年 - 1296年ドイツ管区長。プロクロスとアウグスチヌスの影響を受けて新プラトン主義的形而上学を展開,ドイツ神秘主義に影響を及ぼした。また虹の現象の画期的な説明を行なった。主著『知性と知られうるものについて』 De intellectu et intelligibili,『虹論』 De iride。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
  41. ^ 板倉聖宣 2001b, pp. 35–36.
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  43. ^ 板倉聖宣 2001b, p. 40.
  44. ^ 板倉聖宣 2001b, p. 42.
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  46. ^ 西條敏美 2015, p. 60.
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  49. ^ ニュートン 1981, p. 24.
  50. ^ ニュートン 1981, p. 94.
  51. ^ a b 板倉聖宣 2001c, p. 73.
  52. ^ Isaac Newton, Optice: Sive de Reflexionibus, Refractionibus, Inflexionibus & Coloribus Lucis Libri Tres, Propositio II, Experimentum VII, edition 1740:
    Ex quo clarissime apparet, lumina variorum colorum varia esset refrangibilitate : idque eo ordine, ut color ruber omnium minime refrangibilis sit, reliqui autem colores, aureus, flavus, viridis, cæruleus, indicus, violaceus, gradatim & ex ordine magis magisque refrangibiles.
  53. ^ Waldman, Gary (1983). Introduction to Light: The Physics of Light, Vision, and Color (2002 revised ed.). Mineola, New York: Dover Publications. p. 193. ISBN 978-0486421186. https://books.google.com/books?id=PbsoAXWbnr4C&dq=%22the+color+he+called+indigo%22&pg=RA1-PA193 
    Newton named seven colors in the spectrum: red, orange, yellow, green, blue, indigo, and violet. More commonly today we only speak of six major divisions, leaving out indigo. A careful reading of Newton’s work indicates that the color he called indigo, we would normally call blue; his blue is then what we would name blue-green or cyan.
  54. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 9.
  55. ^ ドイツでは5色とされることも多い(鈴木孝夫、1978年、124頁)。全体の色の並びはロシア語ではもっと文学的に「すべての狩人キジがどこに留まるかを知りたい。」という文章の各単語の最初の文字(КОЖЗГСФ)が色を現わす単語の最初の文字になるようにして覚える。
  56. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 11.
  57. ^ 鈴木孝夫 1978, pp. 11–12.
  58. ^ 日高敏隆 1978, p. 21.
  59. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 10.
  60. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 12.
  61. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 13.
  62. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 14.
  63. ^ 野村正雄 2020, p. 23.
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  66. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 19.
  67. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 18.
  68. ^ 小野健司 2011, pp. 9–10.
  69. ^ 小野健司 2011, p. 11.
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  71. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 27.
  72. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 28.
  73. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 29.
  74. ^ 明治6年神奈川県生まれ。神奈川尋常師範学校を明治29年に卒業。東京女子高等師範学校教授。(小野健司、2011、p.3)
  75. ^ 小野健司 2011, pp. 2–3.
  76. ^ 小野健司 2011, p. 3.
  77. ^ 小野健司 2011, p. 5.
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  80. ^ 小野健司 2011, p. 12.
  81. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 31.
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  92. ^ HippLiner -- A 3D interstellar spaceship simulator with constellation writing function
  93. ^ LIB_zine. “虹が持つスピリチュアルなメッセージとは? 特徴・状況別の意味10個”. 「マイナビウーマン」. 2023年8月7日閲覧。






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