虹 ニュートンの7色説の権威とその乗り越え

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ニュートンの7色説の権威とその乗り越え

虹の拡大図。上から順に、計算上の理想的図、実際に撮影された物、コンピュータ処理済みの図。クリックで拡大

虹の色数は文化の問題とする説

物理学者の桜井邦朋は『考え方の風土』(1979年)の中で「虹の色の数にしても、私たちは何の疑問もなしに7と答えられるのに、アメリカでは6としか答えられないことを知ったときには、まさに、文化的風土、言い換えれば思考のパターンなどに反映される知的風土が、彼我で完全に異なるのだという有無をも言わさぬ結論を示されたようで、私にはたいへんなショックであった」と書いている[54]。また言語社会学者の鈴木孝夫は『日本語と外国語』(1990年)の中で、欧米での同様な経験をふまえて「欧米では虹は5〜6色と思っている人が少なくない」[55]と書いていて、「こういう認識はそれぞれの言語の背後にある文化によってもともと違うと理解した方がいいのだ」と述べた[56]。さらに鈴木孝夫は「日本人にとっては虹の色は昔から七と決まっている。虹と言えば七色、七色と言えば虹というほど、この二つの結びつきは固い。(略)つまり日本文化の中では虹は七と決まっている。(略)このような連続的に存在する対象を、日本人が七つの離散的な部分に分節して分けるのは、多分に言語文化的な慣習のせいと言えよう」[57]とした。生物学者の日高敏隆も「日本では七色の虹がアメリカでは六色になり、ベルギーでは五色になってしまうのは、たいへんおもしろかった」と書いた[58]

虹の七色はニュートンの影響

このような考えに対して科学史家・科学教育研究者の板倉聖宣は、「日本人の虹は七色だとする常識の方が間違っていて、欧米人の方がまともだ」と批判した[59]。板倉は鈴木孝夫の説を否定し、日本で「虹が七色」と言われるようになったのは、幕末から明治時代初期に欧米の科学が導入されてから以後であることを明らかにした[60]。江戸時代の人々は「紅緑の虹」と書いていたが、それは中国伝来の表記法をそのまま用いたものだった[61]。江戸時代の西川如見(1648-1724)の絵には「紅緑の虹」として4色に彩色されたものがある[62]。江戸後期に宇田川榕庵はニュートンの音階と虹色の対応を翻訳紹介した[63]。明治以後の日本の学校教育では欧米から伝来した自然科学の入門書の「虹の色は七色」という記述に従って教えられることになった。明治初期に輸入され翻訳されベストセラーとなった『理学初歩』にも「虹の色はViolet、indigo、blue、green、yellow、orange、redの七色」と記されていたが、これはアメリカで書かれた入門書であった[64]

英語圏では虹の七色を覚えるために「Richard of York gave Battle in vain」(ヨークのリチャード挑戦はむなしかった)という語呂合わせがある[65]。日本でも「せき・とう・おう・りょく・せい・らん・し」と覚える方法があった[66]。日本もアメリカも、その他の近代科学の成果を受け入れた国々なら「ニュートンの虹は七色説」が教えられた[67]

アメリカでの六色への転換

欧米では1700年 - 1800年代の色彩学者のあいだでは、ニュートンの「虹は七色」説は否定されて、六色説が主流になっていた。明治中頃までには日本の色彩学者の間でも「ニュートンによる虹は七色説は誤りであり、あらゆる面から見て虹は六色とした方がいい」とされていた[68]。日本と欧米の色彩学者の間ではニュートンの権威は決定的なものではなかった[69]

しかし、1938年から1949年までのアメリカの小学校理科教科書では虹は7色と教えられていた。それが6色に変わったのはバーサ・モリス・パーカー(Bertha Morris Parker)[注 1]の『Teaching Manual to accompany』(1941年 - 1944年)の影響である[70]。そこには「プリズムを設置して壁に色の帯を映します。それを教科書の虹色の帯の図と壁に映った色帯を比べさせます。」そして「どれか壁の上の色帯に見つけるのが難しい色がありますか?それはどれですか?」と問うようになっていた[70]。そして「インディゴ(藍色)というのはほとんど青や紫と区別がつきませんね」と子どもたちに気づかせる授業を行い、「虹は七色ではなくて六色と考えた方がいい」「七色に見えなくても心配しなくてもいい」と教えるものだった[70]。アメリカでは1948年以降の教科書にはパーカーの「虹は、水色はなしの六色」が受け入れられた[71]

日本での虹の六色説の受け入れ

第二次世界大戦後に文部省が作った理科教科書はパーカーの単元別教科書をモデルにしていたが、虹は7色として、パーカーらの考えは受け継がなかった[72]。これによって「アメリカでは虹は6色、日本では7色」と別れることになった[73]

日本で「虹は6色」と書いてあるもっとも初期の本は近藤耕蔵[74]の『日用物理学講義』(1917年:大正6年)である。近藤は「スペクトルは6色に大別するがよし」と書いた[75]。近藤の考えは「青と菫の間に藍を入れると、この部分だけ色を細かく分けすぎることになるから、無理に藍を入れずに〈虹は6色〉としたほうがいい」というものだった[76]。しかしその当時物理学者が書いた教科書では虹は6色と書いたものは1冊も無かった[77]

東北帝大の物理学教授で光学を専門にしていた愛知敬一(1880年 - 1923年)は啓蒙書の中で「虹は6色」と書いたが、そのすぐ後の記述ではゆらいで「虹は7色」説を繰り返していた[78]。近藤の虹は6色説は、近藤の弟子以外には当時の教育関係者には受け入れられなかった。1942年の啓蒙書でも、霧吹きで作った虹の色を子どもに数えさせるお話の中で、最初に子どもに「赤、橙、黄色、緑、青、もっと濃い青、紫」と言わせて、大人が「もっと濃い青」を「藍」だと教えて、7色としている[79]。日本でも欧米でもニュートンの権威を乗り越えられたのは、物理学者ではなく色彩学者や技術者、実業教育研究関係の教師たち、科学啓蒙家といった人々だった[80]

日本の分光学の専門家がスペクトルの認識を変えたのは1947年の中村清二『中村物理学・上巻』で、「色の数を数えることはできない」としながらも6色をあげている[81]。1952年ごろまでに6色への転換が行われたが、その当時の検定教科書では大部分が虹は7色だった[82]。専門家がニュートンの権威を乗り越えても、日本では常識の権威を越えることができなかった。また、日本では早くから虹の教育は小学校の教材ではなくなったため、高校の物理で初めてスペクトルを習うことになり、高校の物理教科書で虹は6色となっていても、その一般常識を変えることが遅れた[83]


注釈

  1. ^ 教育学者のジョン・デューイが1896年に創立したシカゴ大学実験学校英語版の所属。
  2. ^ 初期には同性愛コミュニティで使用された象徴であり、そのためゲイプライド旗とも呼ばれる。

出典

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  8. ^ 西條敏美 2015, p. 50.
  9. ^ 西條敏美 2015, pp. 50–51.
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  26. ^ a b 板倉聖宣 2001b, p. 18.
  27. ^ 板倉聖宣 2001c, p. 58.
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  29. ^ 板倉聖宣 2001c, p. 60.
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  40. ^ ドイツのスコラ哲学者,自然学者。ラテン名 Theodoricus Teutonicus。ドミニコ会士で、1293年 - 1296年ドイツ管区長。プロクロスとアウグスチヌスの影響を受けて新プラトン主義的形而上学を展開,ドイツ神秘主義に影響を及ぼした。また虹の現象の画期的な説明を行なった。主著『知性と知られうるものについて』 De intellectu et intelligibili,『虹論』 De iride。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
  41. ^ 板倉聖宣 2001b, pp. 35–36.
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  50. ^ ニュートン 1981, p. 94.
  51. ^ a b 板倉聖宣 2001c, p. 73.
  52. ^ Isaac Newton, Optice: Sive de Reflexionibus, Refractionibus, Inflexionibus & Coloribus Lucis Libri Tres, Propositio II, Experimentum VII, edition 1740:
    Ex quo clarissime apparet, lumina variorum colorum varia esset refrangibilitate : idque eo ordine, ut color ruber omnium minime refrangibilis sit, reliqui autem colores, aureus, flavus, viridis, cæruleus, indicus, violaceus, gradatim & ex ordine magis magisque refrangibiles.
  53. ^ Waldman, Gary (1983). Introduction to Light: The Physics of Light, Vision, and Color (2002 revised ed.). Mineola, New York: Dover Publications. p. 193. ISBN 978-0486421186. https://books.google.com/books?id=PbsoAXWbnr4C&dq=%22the+color+he+called+indigo%22&pg=RA1-PA193 
    Newton named seven colors in the spectrum: red, orange, yellow, green, blue, indigo, and violet. More commonly today we only speak of six major divisions, leaving out indigo. A careful reading of Newton’s work indicates that the color he called indigo, we would normally call blue; his blue is then what we would name blue-green or cyan.
  54. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 9.
  55. ^ ドイツでは5色とされることも多い(鈴木孝夫、1978年、124頁)。全体の色の並びはロシア語ではもっと文学的に「すべての狩人キジがどこに留まるかを知りたい。」という文章の各単語の最初の文字(КОЖЗГСФ)が色を現わす単語の最初の文字になるようにして覚える。
  56. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 11.
  57. ^ 鈴木孝夫 1978, pp. 11–12.
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  59. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 10.
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  61. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 13.
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  67. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 18.
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  72. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 28.
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  74. ^ 明治6年神奈川県生まれ。神奈川尋常師範学校を明治29年に卒業。東京女子高等師範学校教授。(小野健司、2011、p.3)
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  76. ^ 小野健司 2011, p. 3.
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  81. ^ 板倉聖宣 2001a, p. 31.
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  92. ^ HippLiner -- A 3D interstellar spaceship simulator with constellation writing function
  93. ^ LIB_zine. “虹が持つスピリチュアルなメッセージとは? 特徴・状況別の意味10個”. 「マイナビウーマン」. 2023年8月7日閲覧。






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