蒲田宝塚・テアトル蒲田 蒲田宝塚・テアトル蒲田の概要

蒲田宝塚・テアトル蒲田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 08:09 UTC 版)

テアトル蒲田・蒲田宝塚
Kamata Takarazuka/Theatre Kamata
情報
正式名称 テアトル蒲田、蒲田宝塚
完成 1950年
開館 1950年7月14日
閉館 2019年9月5日
収容人員 (2館合計)643人
設備 ドルビーステレオDLP Cinema
用途 映画上映
運営 東京蒲田文化会館
所在地 144-0051
東京都大田区西蒲田7-61-1
東京蒲田文化会館4階
位置 北緯35度33分43.41秒 東経139度42分42.72秒 / 北緯35.5620583度 東経139.7118667度 / 35.5620583; 139.7118667 (テアトル蒲田・蒲田宝塚
Kamata Takarazuka/Theatre Kamata
)
座標: 北緯35度33分43.41秒 東経139度42分42.72秒 / 北緯35.5620583度 東経139.7118667度 / 35.5620583; 139.7118667 (テアトル蒲田・蒲田宝塚
Kamata Takarazuka/Theatre Kamata
)
アクセス 蒲田駅から徒歩5分
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概要

大田区西蒲田の「東京蒲田文化会館」の4階にあった。各館とも2階席が存在したが、末期には作品の初日(特にファミリー向け作品)以外はほとんど使用されていなかった。

以前は同ビルにイトーヨーカドーが出店していたが2004年に撤退、閉館時点では肉のハナマサや100円ショップセリアなどとなっていた。

歴史

  • 1950年(昭和25年)7月14日、蒲田西口商店街繁栄の策として商店街150軒が出資した蒲田西口連合映画株式会社の直営でテアトル蒲田が開館。開館番組は東宝映画「夢は儚なく」。
  • 1955年(昭和30年)12月1日、蒲田宝塚劇場が杉山権蔵の経営により隣接して開館。「青い果実」より東宝映画封切館となり、テアトル蒲田は洋画系となる。
  • 1956年(昭和31年)、テアトル蒲田をテアトル東映に変更。東映特選番組を上映。
  • 1964年(昭和39年)6月、ともに東京蒲田文化会館4階に移る。館名をテアトル蒲田・カマタ宝塚に変更し現在に至る。
  • 1995年蒲田パレス座が閉館して以降、2002年平和島シネマサンシャインビッグファン平和島内)がオープンするまでは大田区内で唯一の映画館であった。
  • 2013年10月にDLP Cinemaプロジェクターが導入され、デジタル上映となった。
  • 2019年8月29日をもって蒲田宝塚が閉館、閉館番組は「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION[1]
  • 2019年9月5日をもってテアトル蒲田が閉館、閉館番組は「アルキメデスの大戦[1]



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