翠 (広島市) 著名な出身者

翠 (広島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 14:21 UTC 版)

著名な出身者

政治・経済

  • 藤田正明(馬主、実業家、政治家) - 藤田組(現フジタ)副社長。参議院議員、同議長。
  • 藤田雄山(政治家) - 広島県知事。参議院議員。フジタ工業会長藤田定市の孫。

芸能・文化

  • 峠三吉(詩人) - 原爆投下時、翠町の自宅で被爆。戦後『原爆詩集』を刊行。
  • 角梨枝子(女優) - 戦後「ミス広島」に選ばれて映画界入りし、広島原爆をテーマとした映画「その夜は忘れない」などに出演した。

その他

  • 松重美人中国新聞社カメラマン) - 原爆投下時、翠町の電車通りに面する位置にあって理髪店を兼ねていた自宅で被爆した。当日彼が広島市街を撮影した写真のうちの2枚は、この自宅付近で撮影されたものである。

桜土手

本地区の南を通る広島県道86号翠町仁保線(黄金山通り)のうち、千田廟公園(あるいは広島電鉄宇品線県病院前停留所)付近から広島南警察署前交差点付近までの区間は「桜土手」(さくらどて / 「桜の土手」とも)と呼ばれる。

江戸期1663年皆実新開が造成されて以来、久しくこの道が新開地の南限であった。宇品新開の造成を経て大正期1916年から1920年にかけて宇品新開との境界線に堤防が築かれた時、土手道の両側に桜並木が植林されたことからこの道は桜土手と称されるようになり市内の桜の名所として知られた。現在でも、かつての堤防の上にある県病院前電停付近が前後の電停より若干高い位置にあるところに当時の名残がある[5]1941年昭和16年)、土手は暁部隊により埋め立てに使用するため削り取られ、その後車道として整備された[6]第二次世界大戦末期の1945年6月、この桜土手に広島電鉄宇品線から桜土手引込線が360mにわたって敷設されて電車が疎開され、戦後しばらくの間も被爆車両が留置されていた[7]

外部リンク


  1. ^ 『角川日本地名大辞典:広島県』p.772。
  2. ^ 現在の広島大学の旧制前身校の一つ。
  3. ^ 1961年以降、東千田キャンパスの附属小学校中学校・高等学校との校地交換により移転した。
  4. ^ 四国五郎『広島百橋』pp.197-198。
  5. ^ 長船友則『広電が走る街 今昔』p.90。
  6. ^ 四国、前掲。
  7. ^ 長船、前掲。


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