義烈空挺隊 編成

義烈空挺隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 21:48 UTC 版)

編成

階級は出撃時の階級で表記する。

番機 機体番号 操縦手 指揮官 乗員数 結果 備考
1番機 4484 諏訪部忠一大尉 奥山道郎大尉 14名 被撃墜、全滅 陸軍中野学校二俣分校卒業者4名搭乗
2番機 4132 酒井敏夫少尉 宇都木伍郎中尉 14名 被撃墜、全滅
3番機 4136 新妻幸雄少尉 石山俊雄少尉 14名 被撃墜、全滅
4番機 6540 町田一郎中尉 原田宣章少尉 14名 突入成功、全滅
5番機 4082 菊谷少尉 菅田寿美少尉 14名 突入断念、帰投 搭乗員は飛行60戦隊、空挺隊員は挺進第1連隊に統合
6番機 4138 松尾克己曹長 梶原哲己少尉 14名 被撃墜、全滅
7番機 6156 中原正徳准尉 棟方哲三少尉 14名 被撃墜、全滅
8番機 4475 小川軍曹 山田満寿雄中尉 14名 突入断念、帰投 搭乗員は飛行60戦隊、空挺隊員は挺進第1連隊に統合
9番機 6547 久野正信中尉 渡部利夫大尉 14名 被撃墜、全滅
10番機 6001 小野曹長 熊倉順策少尉 14名 突入断念、帰投 搭乗員は飛行60戦隊、空挺隊員は挺進第1連隊に統合
11番機 4161 吉沢曹長 村上信行中尉 14名 突入断念、帰投 不時着時に1名殉職[100]、搭乗員は飛行60戦隊、空挺隊員は挺進第1連隊に統合
12番機 4307 木村正雄曹長 渡辺祐輔少尉 14名 被撃墜、全滅

12機中、1機が突入成功、7機が被撃墜、4機が突入断念。
168名中、112名(67%)が戦死[101](突入断念した1機が不時着した際の殉職者1名を含まず)。

隊員の主な武装

装備名 部隊装備数
九四式拳銃 73
九九式短小銃 42
一〇〇式機関短銃 37
九九式軽機関銃 12
八九式重擲弾筒 11
九七式手榴弾九九式手榴弾 2,015
二瓩柄付爆薬 46
九九式破甲爆雷 171
一瓩爆発灌 44
三式手投爆雷 44
焼夷剤 189
十年式信号拳銃 1

隊員の辞世の句・言葉

義烈空挺隊

吾が頭 南海の島に 瞭さるも
我は微笑む 國に貢せば — 奥山 道郎大尉

拝啓 御両親様
忠秋は本日敵飛行場に斬込みます
生前は何一つも出来ず申訳ありません
リツ高坊には呉々も宜しく御伝え下さい
祖父母様へも宜しく御伝え下さい
其れから私物梱包一個軍刀一振送ります
承知ください
二十四歳で玉砕です
附記
死後の処置について
イ 金銭貸借なし
ロ 婦人関係なし
リッチャン
必勝を信じ 後に続くものを確信し 今より征く 何もできずにすまなかった 元気で暮せ 高坊
軍刀をやる 立派な日本人になれ 負けるな 父母様をたのむ
 

神州不滅 — 阿部 忠秋少尉[102]
奥山に 名もなき花と 咲きたれど
散りてこの世に 香りとどめん — 今村 美好曹長
念願の日が遂にきました。本当にこの日をどんなにか待っていたか知れません。
咲いた花なら散らねばなりません。立派な花を咲かせて御覧に入れます — 伊藤 馨軍曹[103]

皇国に生を享け今や25年、父母上様御愛育の下、今日あるを得、此の勇快無比の作戦に突撃隊の一因として選ばれましたことは、無常の光栄であると共に、小生心中より喜びに堪えません。
何の惜しむ処がありませう。数多の兄上様を戴き、何の憂ひもありません。此の上は只々立派に大任完遂致し、華と散るのみであります。
決して悲しんで下さるな。自分程幸福者はありません。
父母上様 有難き

— 田村 文人伍長[104]

第三独立飛行隊

武士の 行くべき途は ただひとつ

散って甲斐ある 命なりせば

五月雨の 落つる雫も 今日はなく

我の征途を 守るらん — 久野 正信中尉
待つありて 眺むる月の 涼しさよ
また咲きいでん 靖国のみや — 新妻 幸雄少尉
よしや身は 千々に散るとも 来る春に
また咲きいでん 靖国のみや — 関 三郎軍曹

注釈

  1. ^ 作戦時には九七式重爆撃機を使用した。
  2. ^ 20㎜機銃で武装した96式小型トラックをグライダーで沖縄のアメリカ軍飛行場に降下させて、飛行場のアメリカ軍機を攻撃するという作戦

出典

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