第1回十字軍 第1回十字軍の成功後

第1回十字軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 06:14 UTC 版)

第1回十字軍の成功後

十字軍国家1135年

第1回十字軍は、エルサレム王国アンティオキア公国エデッサ伯国トリポリ伯国十字軍国家と呼ばれる国家群をパレスティナとシリアに成立させ、巡礼の保護と聖墳墓の守護という宗教的目的を達成した。第1回十字軍が成功したことは、誰にとっても予想外な出来事だった。君主層は西欧の安定によって失われていた武力の矛先を富み栄えた東方に見出し、占領地から得た略奪品によって遠征軍は富を得ることができた。また、十字軍国家の防衛やこれらの国々との交易で大きな役割を果たしたのはジェノヴァ共和国ヴェネツィア共和国といった北イタリアの都市国家である。これらイタリア諸都市は占領地との交易を行い、東西交易(レヴァント貿易)で大いに利益を得た。

エルサレムから西欧に帰ってきた将兵たちは、英雄視された。フランドルのロベール2世はエルサレムにちなんで「ヒエロソリュマタヌス」と呼ばれた。ゴドフロワ・ド・ブイヨンの生涯は死後数年を経たずして伝説となり武勲詩などに歌われた。一方、十字軍将兵の不在はその間の西欧情勢に変動をもたらした。例えば、ノルマンディー地方は領主ロベール・カルトゥース(ノルマンディー公ロベール)不在の間に弟ヘンリー1世の手に渡っていた。帰還した兄は弟と争い、1106年にはタンシュブレーの戦いが起きた。

また、東ローマ帝国は十字軍国家が建国されたことで、イスラム諸国からの圧迫はなくなったが、今度は十字軍国家と対立することになった。

正教会とカトリックの和解が十字軍を唱えたカトリック教会指導者側の当初の動機の一つだったにもかかわらず、両者の溝は十字軍により深刻化した。両教会はそれまで、教義上は分裂しつつも名目の上では一体であり、互いの既存権益を尊重しつつ完全な決裂には至っていなかったが、十字軍が正教会のエルサレム総主教を追放し、カトリックの総大司教を置いたことで、この微妙な関係は崩れ断絶が深まった。この緊張はコンスタンティノープルが徹底的に略奪される第4回十字軍において頂点に達することになる。

イスラム諸国は依然として内紛をやめず、争いに十字軍国家を利用するため、これらと同盟を結んだ。このあとイスラム勢力の軍もいくつかの戦いで十字軍を破ったが、積極的な反十字軍を企図する者は現れなかった。イスラム国家が西からのキリスト教徒を放逐するのは、12世紀中葉のザンギー朝のヌールッディーンアイユーブ朝サラーフッディーンの時代になる。

十字軍としての意識

当時は十字軍という呼び名は無く、単に「十字をつけた者」と呼ばれた。「十字軍」という言葉が最初に現れるのは第1回十字軍の100年ほど後である。彼らは、聖地を奪回するという名目以外に、免償(罪の償いの免除)を求めてエルサレムへ向かう「巡礼者」(ペレグリナトーレス)という意味もあった。

十字軍運動の魅力の秘密

もともと十字軍は一部の騎士に対する呼びかけであったが、やがて膨大な人数を動員して移民活動のような状況を呈することになった。十字軍への呼びかけというのは当時のカトリック教徒にとって魅力のある言葉だったのである。東方のビザンツ帝国やイスラム諸国がもたらす発達した文化や洗練された工芸品や文物、富は西欧の人々を魅了していたのである。下級騎士は封建制度の息苦しさと貧困から逃れようとし、農民や職人も貧しく困難な日常から逃れたいという気持ちを持ち、東方には豊かで文明的ではあるが柔弱な世界が広がっていた。西ヨーロッパ中世におけるキリスト教徒の2つの生き方、聖なる戦士と巡礼者が一つに結びついたのである。戦闘に参加した者に免償が与えられる、あるいは戦闘で死んだ者が殉教者となりうるというのは、十字軍運動の中で初めて生まれた概念であった。そして十字軍に参加することで与えられる免償は、エルサレムへ詣でるという巡礼者としての免償と、キリスト教戦士として戦うという免償の二重の意味があるため、どちらにせよ免償を受けられるというのが魅力であった。このように宗教的なものから、世俗的なものまで、さまざまな動機によって十字軍運動に身を投じたのである。

霊性と世俗の間

十字軍の主要な従軍者は貴族でも相続権を持たない子弟か、また貧しい下級騎士が一山あてようと財産目当てで志願したものであった。一方では十字軍運動に参加した当時の人々にとって重要なのは、地上の富だけでなく霊的(精神的)な富であったとの考えもある。一般的には十字軍士を駆り立てたものは、宗教的情熱、名誉欲、冒険、領土・財産欲の組み合わせであり、その比重は人と時代により違う。

数ある研究の一つは、宗教的情熱は従来想像された以上に強かったのではないかと述べている。ケンブリッジ大学の歴史学者ジョナサン・ライリー・スミス英語版自身の研究によって、十字軍への参加が出発時にそれなりの出費を強いるものであったことを明らかにしている[要出典]。中心的な存在であった諸侯層、ヴェルマンドゥワのユーグやノルマンディー公ロベール、トゥールーズ伯レーモン・ド・サンジルなどは資産を売り払って十字軍の編成費用を捻出している。

現世的な富よりも宗教的な情熱が騎士を動かしたことの証左として、ゴドフロワ・ド・ブイヨンと弟のブルゴーニュ伯ボードゥアンが、かつて教会と争ったことの償いとして、自らの土地を教会に寄進して出発したことが挙げられる。もっともその寄進記録は聖職者が書いたもので、ゴドフロワ自身が書いたものではないため、信仰深い騎士として美化している部分はあるが、2人の財産が教会所有となったのは確かである。








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