第二次コンゴ戦争 第二次コンゴ戦争の概要

第二次コンゴ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 13:29 UTC 版)

第二次コンゴ戦争(アフリカ大戦争)

第二次コンゴ戦争の交戦国
黒: コンゴ民主共和国 (DRC)、緑: 反DRC連合、濃青: DRC連合、薄青: DRC連合(直接は介入せず)
戦争第二次コンゴ戦争
年月日:1998年8月20日から2003年7月18日
場所:コンゴ民主共和国
結果:死者600万・ルサカ停戦協定英語版1999年7月)、サンシティ合意2002年4月19日)、プレトリア包括和平合意2002年12月)
交戦勢力
周辺国家:
コンゴ民主共和国
アンゴラ
チャド
リビア
ナミビア
ジンバブエ
スーダン (alleged)
ウガンダ反政府組織:

LRA

  • 民主連合軍英語版 (ADF)
  • ウガンダ国民救済戦線英語版 (UNRF II)
  • 国民主義・統合主義戦線英語版 (FNI)

反ルワンダ政府軍:

反ブルンジ政府軍:

ルワンダ連合軍:

ウガンダ連合軍:

反アンゴラ政府軍:
UNITA

支援国:
ウガンダ
ルワンダ
ブルンジ
Note: ルワンダとウガンダは2000年6月、コンゴの国境をまたいだところで短期間の戦争状態になっていた。
指導者・指揮官
ローラン・カビラ
ジョセフ・カビラ
サム・ヌジョマ
ディモ・ハマアンボ英語版
ロバート・ムガベ
エマーソン・ムナンガグワ
コンスタンティーノ・チェンガ英語版
ペランス・シリ英語版
ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス
ジョアン・デ・マトス英語版
イドリス・デビ
ジョゼフ・コニー (LRA)
Bulenda Padiri (マイマイ),
Lwengamia Dunia (マイマイ)
ジャンピエール・ベンバ (コンゴ解放運動英語版)
エルネスト・ワンバ・ディア・ワンバ英語版 (コンゴ民主連合)
ローラン・ンクンダ (ツチ グループ)
ジョナス・サヴィンビ
アントニオ・デンボ英語版
ヨウェリ・ムセベニ
ポール・カガメ
ピエール・ブヨヤ
戦力
マイマイ: 20–30,000 
インテラハムウェ: 20,000+
コンゴ民主連合: 不明,
ルワンダ: 8,000+
損害
数千人 数千人
キサンガニでウガンダ人2000人
キサンガニ戦で4000人の反逆者が殺害・捕縛・行方不明4,000

  1. ^ 武内進一・編「戦争と平和の間 紛争勃発後のアフリカと国際社会」アジア経済研究所、2008年11月5日 内「第2章 コンゴ民主共和国の和平プロセス」武内進一・著 p128
  2. ^ SADC Interventions in the Democratic Republic of the Congo”. ACCORD. 2018年7月15日閲覧。


「第二次コンゴ戦争」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第二次コンゴ戦争」の関連用語

第二次コンゴ戦争のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第二次コンゴ戦争のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第二次コンゴ戦争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS