神沢杜口
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神沢 杜口(かんざわ とこう、1710年(宝永7年) - 1795年3月11日(寛政7年2月11日))は、江戸時代中期の随筆家、歴史家、俳人。通称は与兵衛、諱は貞幹。別号に可々斎[注釈 1]、其蜩庵[注釈 2]、静坐百六十翁[注釈 3]など。京都町奉行所の与力を務めた後、晩年『翁草』200巻を書き上げた。
注釈
- ^ 「可は其の可に任せ、不可は其の不可に任す」の意。[要出典]
- ^ 「その日暮らし」の意。[要出典]
- ^ 蘇軾「事無くして此に静坐すれば、一日是れ両日。若し七十年を活くれば、便ち是れ百四十。」に依る。貝原益軒『養生訓』にもこれを引用する箇所がある。[要出典]
- ^ 京都西町奉行所与力入江家と考えられる。享保5年(1720年)10歳の時、近所の京都東町奉行所与力神沢家に養子入りした。このことは、2019年、関西大学(院聴講生)奥野照夫氏が、上記入江家子孫宅にて翁草の杜口自筆原本を再発見(一時行方不明になっていた)したことにより確実となった。京都新聞 昭和63年3月26日夕刊記事「宗政龍大教授 著者自筆の原本と確認 枚方の子孫保存」。日本近世文学会2020年度秋季大会発表「奥野照夫:『翁草』自筆原本の書誌学的考察」を参照。
- ^ 『翁草』巻百六十七、巻百九十など
- ^ 『参考義士篇』より「寺坂吉右衛門信行」
- ^ 「赤城義士篇参考」「四十六臣傳」など異題もあり(筑波大学附属図書館)
出典
- ^ 『翁草』巻百六十六九十
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