礼記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 08:58 UTC 版)
『礼記』の内容
全49篇の配列
『礼記』は、体系的な編纂物ではなく、雑多な内容が無秩序に並んでいる。これを体系的に捉えるため、鄭玄は『三礼目録』を作り、劉向の『別録』における各篇の分類に拠って、内容を以下のように分類した。
以下の表は、『礼記』全49篇を現行本『礼記正義』に従って配列し、そこに『三礼目録』に注記された劉向『別録』の分類を加え、内容の簡評を加えたものである。劉向の分類は、後世完全に承認されたわけではないが、最も古典的な分類方法として尊重されてきた。
番号 | 篇名 | 分類 | 『三礼目録』の簡評 |
---|---|---|---|
1 | 曲礼・上 | 制度 | 五礼(吉・凶・賓・軍・嘉)の総説。 |
2 | 曲礼・下 | 同上 | 同上 |
3 | 檀弓・上 | 通論 | 礼の総説。服喪に関することが多い。 |
4 | 檀弓・下 | 同上 | 同上 |
5 | 王制 | 制度 | 先王の政治制度(班爵・授禄・祭祀・養老)について論じたもの。 |
6 | 月令 | 明堂陰陽 | 1年12月の年中行事と天文や暦について論じたもの |
7 | 曾子問 | 喪服 | 喪の変礼について論じたもの。 |
8 | 文王世子 | 世子法 | 文王・武王・周公に関する逸事を論じたもの。 |
9 | 礼運 | 通論 | 五帝・三王の道理や、礼の変遷・法則について論じたもの。 |
10 | 礼器 | 制度 | 礼の規範的意義を説いたもの。「器」は規範の意味。 |
11 | 郊特牲 | 祭祀 | 祭天における犠牲について論じたもの。 |
12 | 内則 | 子法 | 家の内側の礼(儀則)について論じたもの。 |
13 | 玉藻 | 通論 | 礼服の規定や礼儀作法について論じたもの。 |
14 | 明堂位 | 明堂陰陽 | 明堂における諸侯の配列について論じたもの。 |
15 | 喪服小記 | 喪服 | 喪服についての細かい規定を論じたもの。 |
16 | 大伝 | 通論 | 祖宗・人親の大義について論じたもの。 |
17 | 少儀 | 制度 | やや重要性の少ない礼について論じたもの。 |
18 | 学記 | 通論 | 学問について論じたもの。 |
19 | 楽記 | 楽記 | 音楽理論について論じたもの。楽記は「がくき」と読む。 |
20 | 雑記・上 | 喪服 | 諸侯から士までの喪礼を論じた雑駁な記録の意味。 |
21 | 雑記・下 | 同上 | 同上 |
22 | 喪大記 | 喪服 | 君臣以下の喪礼について、大事なものを論じたもの。 |
23 | 祭法 | 祭祀 | 四代の祭祀について論じたもの。 |
24 | 祭義 | 祭祀 | 祭祀の意義について論じたもの。 |
25 | 祭統 | 祭祀 | 祭祀の根本について論じたもの。統は「本」の意味。 |
26 | 経解 | 通論 | 六芸(六経)の得失について論じたもの。 |
27 | 哀公問 | 通論 | 哀公と孔子との問答。礼についての論説。 |
28 | 仲尼燕居 | 通論 | 孔子と弟子との問答。礼についての論説。 |
29 | 孔子間居 | 通論 | 孔子と子夏との問答。君主の徳について論じたもの。 |
30 | 坊記 | 通論 | 人が不義に陥ることを防ぐためのものとして、礼を論じたもの。 |
31 | 中庸 | 通論 | 中庸の徳について論じたもの。 |
32 | 表記 | 通論 | 君子の徳が人々の規範となって現われることについて論じたもの。 |
33 | 緇衣 | 通論 | 政治的教訓(賢者を好むことなど)について論じたもの。 |
34 | 奔喪 | 喪服 | 他国にいて喪を知り帰国するときの礼について論じたもの。 |
35 | 問喪 | 喪服 | 喪中の礼について論じたもの。 |
36 | 服問 | 喪服 | 喪服の変化と喪礼についての論じたもの。 |
37 | 間伝 | 喪服 | 喪服の軽重、喪礼についての諸規則を論じたもの。 |
38 | 三年問 | 喪服 | 喪服の年月(3年)について論じたもの。 |
39 | 深衣 | 制度 | 深衣(普段着)について論じたもの。 |
40 | 投壺 | 吉礼 | 投壺の礼について論じたもの。 |
41 | 儒行 | 通論 | 哀公と孔子の問答。儒者のあるべき言動について論じたもの。 |
42 | 大学 | 通論 | 学問と政治について論じたもの。 |
43 | 冠義 | 吉事 | 冠礼(成人式の礼)について論じたもの。 |
44 | 昏義 | 吉事 | 婚姻の礼について論じたもの。 |
45 | 郷飲酒義 | 吉事 | 郷での飲酒(親睦会)の礼について論じたもの。 |
46 | 射義 | 吉事 | 燕射・大射の礼の意義について論じたもの。 |
47 | 燕義 | 吉事 | 君臣燕飲(宴会)の礼について論じたもの。 |
48 | 聘義 | 吉事 | 諸侯間の聘問(訪問・見舞い)の礼について論じたもの。 |
49 | 喪服四制 | 喪服 | 喪服の制を仁義礼智の四者に配当して論じたもの。 |
各篇の作者
全49篇各篇の作者が誰であるかは、古来問題とされてきた。いずれも推測であるが、著明なものを挙げると以下のようになる。
- 王制篇‐『史記』封禅書を根拠として、前漢の文帝の時に博士に編纂させたもの。比較的有力な学説とされている。
- 月令篇‐秦の呂不韋が編纂させた『呂氏春秋』十二紀とほぼ同内容。『呂氏春秋』を引き写したものとされている。比較的有力な学説とされている。
- 楽記篇‐一説に前漢の武帝のときに河間献王が編纂させたといわれている。その他、公孫尼子、荀子などの説もある。
- 中庸篇‐『史記』孔子世家を根拠として、子思の作であるとされている。批判もあるが、定説とされている。
- 坊記篇‐子思の作とみなす学者もいる。
- 表記篇‐子思の作とみなす学者もいる。
- 緇衣篇‐公孫尼子の作ともいわれ、また子思の作ともいわれている。
- 三年問篇‐『荀子』礼論に重複部分がある。
- 大学篇‐朱熹は孔子(経)と曾子(伝十章)の作とする。長く定説とされてきたが、根拠はなく、現在では否定されている。
各篇の単行
『礼記』は礼に関する諸文献を集めたものであるため、書物として厳密な体系を備えているわけではない。そのため「喪服」篇や「中庸」篇などは、『礼記』本体とは別に、独立して読まれるようになった。『礼記』の各篇が単行書として取られたものには以下の礼がある。
- 王制篇‐宋代に独立した注釈が作られた
- 月令篇‐後漢時代から独立して扱われていた。最も有名なのは唐の玄宗が作らせた『刊定礼記月令』である。
- 中庸篇‐『漢書』芸文志に『中庸説』が存在し、もともと独立的な性格を持っていた。宋(南朝)のときにも単行書として注釈され、以後も独立して扱われることが多かった。宋代にも多くの注釈が作られたが、特に朱熹が作った章句は四書の一つとして尊崇を集めた。以後、おびただしい注釈書が作られた。
- 大学篇‐程顥・程頤兄弟が単行書として扱い、朱熹が章句を作って四書の一つになった。以後、おびただしい注釈書が作られた。
- 深衣篇‐宋代以後、多くの研究が生れた。
- ^ a b 中国思想辞典. 研文出版. (1984). p. 414. ISBN 487636043X
- ^ 『隋書』経籍志「漢初,河間獻王又得仲尼弟子及後學者所記一百三十一篇獻之。時亦無傳之者。至劉向考校經籍,檢得一百三十篇,向因第而敍之。…戴德刪其煩重,合而記之,為八十五篇,謂之『大戴記』。而戴聖又刪大戴之書,為四十六篇,謂之『小戴記』。漢末馬融,遂傳小戴之學。融又定月令一篇、明堂位一篇、樂記一篇,合四十九篇。」
- ^ 錢大昕『廿二史考異』漢書卷三「記百三十一篇、七十子後學者所記也。按、鄭康成『六蓺論』云「戴德傳記八十五篇、戴聖傳記四十九篇」、此云「百三十一篇」者、合大小戴所傳而言。『小戴記』四十九篇、曲禮・檀弓・雜記、皆以簡策重多分為上下、實止四十六篇、合大戴之八十五篇、正協百卅一之數。隋志謂「月令・明堂位・樂記三篇、為馬融所足」、蓋以明堂陰陽三十三篇、樂記二十三篇、別見蓺文志、故疑為東漢人附益、不知劉向別錄已有四十九篇矣。月令三篇、小戴入之禮記、而明堂陰陽與樂記仍各自爲書、亦猶三年問出於荀子、中庸・緇衣出於子思子、其本書無妨單行也。記本七十子之徒所作、後人通儒各有損益。河閒獻王得之、大小戴各傳其學、鄭氏『六蓺論』言之當矣。謂大戴刪古禮二百四篇爲八十五篇、小戴又刪為四十九篇、其說始於晉司空長史陳邵、而陸德明引之、隋志又附益之。然『漢書』無其事、不足信也。」
- ^ 藤川正數 (1960). 魏晉時代における喪服禮の研究. 敬文社
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