登久姫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/12 07:41 UTC 版)
とくひめ 登久姫(福姫) | |
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生誕 | 1576年 岡崎城 |
死没 | 1607年12月7日(31歳) 信濃飯田城 |
生涯
天正4年(1576年)3月、岡崎城で生まれた。登久姫が4歳の時に父が切腹し、翌年に母が美濃に帰ったため、登久姫と妹・熊姫は祖父・家康と側室の西郡局に養育された。天正17年(1589年)8月、豊臣秀吉の仲介で小笠原氏当主・小笠原秀政と結婚し、秀政との間に六男二女をもうけた。慶長12年(1607年)10月、 信濃飯田城にて32歳で「ホウソウ」により急逝した[1]。
子女
- 長女:万姫(敬台院) - 阿波徳島藩主・蜂須賀至鎮室
- 長男:忠脩 - 世嗣だったが大坂夏の陣で戦死
- 次男:忠真 - 信濃松本藩第2代藩主
- 次女:千代姫(保寿院) - 肥後熊本藩初代藩主・細川忠利室
- 三男:忠知 - 三河吉田藩初代藩主
- 四男:松平重直 - 豊後高田藩初代藩主
- 五男:忠慶 - 因幡守、子孫は家臣
- 六男:長俊 - 徳川家光の小姓、従五位下出雲守
墓所
登久姫(福姫)の位牌は福岡県京都郡の平照山峯高寺にあるが、墓(宝篋印塔)は、長野県飯田市松尾町の峯高寺にある[1]。墓には徳川家の三つ葉葵の紋が刻まれている[2]。脇には、「福姫の墓」として飯田観光協会の案内板が建てられている。
小笠原氏は松本城、明石城、小倉城に転封していったが、それぞれの城下町には峯高寺という寺院が建立され、飯田の峯高寺が伝えられていった[3]。
登場作品
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』
- 『徳川諸家系譜 第二』
- 1 登久姫とは
- 2 登久姫の概要
- 登久姫のページへのリンク