玉音放送 エピソード

玉音放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/20 13:48 UTC 版)

エピソード

  • 公式には終戦の詔書が最初の玉音放送であるが、1928年(昭和3年)12月2日大礼観兵式に、ラジオ放送マイクが昭和天皇の肉声を意図せず拾ってしまい、これが放送されるというアクシデントが一度起こっている。宮中筋は「天皇の肉声を放送する事は憚りあり」として、これを数日後に封印されたことがあった[25]
  • 宮脇俊三の『時刻表2万キロ』・『時刻表昭和史』では父・宮脇長吉今泉駅で玉音放送を聴くが、その際も鉄道が動いていたことが描写されている。
  • 佐伯達夫(のちの高校野球連盟会長)は玉音放送を聴いた瞬間、「これで中等学校野球(現・高校野球)が復活するぞ」とひらめき、連盟設立に奔走するきっかけとなった。
  • 佐藤卓己の著書『八月十五日の神話』(ちくま新書、2005年)では、「当時の人々は、玉音放送の内容を理解できなかった(のちに流されたアナウンサーの解説で理解した)」「報道機関には前もって日本の降伏が知らされ、記者は敗戦を知ってうなだれるポーズを撮影した写真を、放送前にあらかじめ準備した」といったエピソードが紹介されている。
  • 詔書作成の過程で安岡正篤は「時運ノ趨ク所」(じうんのおもむくところ)は「成り行きまかせ」の意味であるため天皇の言葉としてふさわしくない、ここは道義の至上命令を意味する「義命ノ存スル所」[注 8]に変えるべきだ、と迫水久常に進言した。迫水はこれを受けて文案を作り直したが、そのあとの閣議で、漢和辞典に出ていないような難しい言葉では国民が理解できないだろうという意見があり、元に戻されてしまった。これについて安岡は「不見識きわまりない」と憤慨し、以後詔書について話すことを一切拒んだ[27]
  • 詔書の原案では「遺族ニ想ヲ致セハ断腸ノ思ヒアリ」となっていた。安岡は「断腸ノ思ヒ」は私情であり公の場で使うべきでないとして「五内為ニ裂ク」(ごだいためにさく)に変更するように指示した。この点も閣議で難解と指摘された。迫水は安岡から聞いたとおり、これは「五臓が引き裂かれる思い」の意味であって公に使える、と説明するとこのまま受け入れられた。迫水はのちになって「五内為ニ裂ク」は難解の見本のようなものと回想している[28]
  • その後、式典・行事などの報道で天皇の肉声が放送されるのは珍しいことではなくなったが、2011年3月16日、第125代天皇明仁は東日本大震災のあとメディアを通して全国民へ向け自ら語りかける形のビデオメッセージを発した。このような形のおことばは在位中の天皇として初めてであったため、一部では「平成の玉音放送」とも呼ばれた[29]
  • 第125代天皇明仁は後に2016年8月8日、自らの地位譲位に関する考えを述べるため、先の「おことば」と同様の形でビデオメッセージを発している。



注釈

  1. ^ この玉音(天皇の肉声)を録音されたレコード盤を玉音盤という。
  2. ^ のちにレコード盤消滅まで全盛となったビニール盤、バイナルではない。これが登場するのは1950年代
  3. ^ それに加え当時は電波管制のために全国共通の周波数(860キロサイクル)を用いていたうえに、後述の通り電波出力を通常より大きくしていたため、放送局間の地域では相互の電波が干渉し、受信状態が非常に悪くなった(『真空管の伝説』p.167)。
  4. ^ 日本はこの戦争で初めて外国に敗北し、降伏することになった。
  5. ^ この放送では「敗北」や「降伏」といった言葉を用いることができなかったため、昭和天皇はあえて明治天皇1895年明治28年)の三国干渉に屈服した際に述べた言葉(「堪ヘ難キヲ…」)を繰り返したとされる[4]
  6. ^ 内閣嘱託の小川一平及び大東亜省次官田尻愛義も作成に関与・協力したという[6]
  7. ^ メイン局の場合。他の局の場合も可能な限り出力の向上を行ったらしい(『真空管の伝説』p.167)。
  8. ^ 典拠は春秋左氏伝の『信以て義を行い、義以て命を成す』による[26]

出典

  1. ^ <4> 戦争 人間性奪い家庭も破壊”. 中国新聞 (2009年8月21日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。
  2. ^ 日本ラジオ博物館 玉音放送とラジオ
  3. ^ 平和祈念展示資料館 戦地で聞いた玉音放送
  4. ^ ベン=アミー・シロニー『天皇陛下の経済学』山本七平監訳、光文社文庫、1986年昭和61年)p.153。
  5. ^ 官報 號外 (PDF)”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 印刷局 (1945年8月14日). 2018年8月15日閲覧。
  6. ^ 吉川弘文館『国史大辞典』第7巻「終戦の詔書」(執筆者 : 波多野澄雄))。
  7. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.456 - 457 2012年
  8. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.464 - 466 2012年
  9. ^ a b DO楽 昭和史再訪セレクション vol.56 玉音放送 「終戦」の記憶、鮮烈に刻む”. 2011年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月15日閲覧。
  10. ^ a b “「玉音放送」記録の原盤、初公開へ 宮内庁が8月に予定”. 朝日新聞. (2015年7月9日). http://www.asahi.com/articles/ASH793411H79UTIL005.html 2015年7月10日閲覧。 
  11. ^ a b “玉音放送:深夜 軍服姿で録音”. 毎日新聞. (2015年8月1日). http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20150801mog00m040003000c.html 2015年9月24日閲覧。 
  12. ^ 半藤一利『日本のいちばん長い日 決定版』文藝春秋、2006年、p284・p291。ISBN 978-4-16-748315-9
  13. ^ この章、竹山昭子『玉音放送』(晩聲社、1989年、ISBN 4891881844)、および『戦争と放送』(社会思想社、1994年、ISBN 4390603698)より。
  14. ^ 玉音放送の全文 現代語訳及び英文 Imperial Rescript on Surrender”. 加藤恕(ひろし)のバードビュー(Bird's eye view) (2015年8月14日). 2019年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月2日閲覧。
  15. ^ a b c d e f “「玉音放送」の原盤 来月にも初めて公開へ”. NHK. (2015年7月9日). オリジナルの2015年7月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150708225521/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150709/k10010144271000.html 2015年8月5日閲覧。 
  16. ^ a b c “皇居内の戦争記録、8月1日公開 防空壕内の映像など”. 日本経済新聞. (2015年7月9日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG09H8Q_Z00C15A7CR8000/ 2015年7月10日閲覧。 
  17. ^ 私たちが耳にしてきた“玉音放送”とは? - NHKアーカイブス・2015年7月31日
  18. ^ “反乱軍の手逃れ70年…曲折あった原盤の命運”. 産経ニュース. (2015年8月1日). http://www.sankei.com/life/news/150801/lif1508010012-n1.html 2015年9月23日閲覧。 
  19. ^ a b “玉音放送、10秒以上短かった…原盤を初の公開”. 読売新聞. (2015年8月1日). オリジナルの2015年8月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150805022343/http://www.yomiuri.co.jp/national/20150801-OYT1T50015.html 2015年8月5日閲覧。 
  20. ^ 昭和21年5月にラジオ放送された昭和天皇のお言葉
  21. ^ もう一つの玉音放送「食糧問題に関するお言葉」 戦後復興に向け国民に助け合い呼びかけ
  22. ^ “宮内庁:玉音放送原盤、8月1日に初公表”. 毎日新聞. (2015年7月9日). オリジナルの2015年7月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150710195945/http://mainichi.jp/select/news/20150710k0000m040032000c.html 2015年8月5日閲覧。 
  23. ^ “「玉音放送」原盤を初公開”. NHK. (2015年8月1日). オリジナルの2015年7月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150731224618/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150801/k10010174441000.html 2015年8月5日閲覧。 
  24. ^ “よみがえる昭和天皇の肉声、原盤奪おうと事件も”. 読売新聞. (2015年8月1日). オリジナルの2015年8月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150805022643/http://www.yomiuri.co.jp/national/20150801-OYT1T50016.html 2015年8月5日閲覧。 
  25. ^ 竹山昭子『ラジオの時代 ― ラジオは茶の間の主役だった』(世界思想社、2002年、141-148頁、ISBN 4790709418
  26. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 p.438 2012年
  27. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 p.490 2012年
  28. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.458 - 459 2012年
  29. ^ 岩井克己 (2011年4月1日). “戦後初、天皇陛下の全国民への語りかけ”. 論座. 2013年7月20日閲覧。
  30. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.468 - 473 2012年
  31. ^ ザ・プレミアム「玉音放送を作った男たち」(テレビマンユニオン)/ザ・プレミアム「玉音放送を作った男たち」(NHK番組表)
  32. ^ 玉音放送・戦没者追悼式ほか[終戦70年特別企画] - ニコニコ動画
  33. ^ “「玉音放送」ニコ生で8/15正午より放送、戦後70年を終戦特番で考える”. マイナビニュース. (2015年8月14日). http://news.mynavi.jp/news/2015/08/14/519/ 2015年8月15日閲覧。 





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