玉音放送 玉音放送の概要

玉音放送

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特に1945年昭和20年)8月15日正午日本標準時)に、当時日本唯一の放送局だった社団法人日本放送協会(現在のNHKラジオ第1放送)から放送された、昭和天皇による終戦の詔書大東亜戦争終結ノ詔書)の音読放送を指すことが多く、本項ではこの放送について記述する。

この放送は、第二次世界大戦における日本のポツダム宣言受諾による終戦を日本国民に伝えるもので、日本ではこの玉音放送のあった8月15日を終戦の日あるいは終戦記念日と呼び、以後毎年のように、日本政府主催で全国戦没者追悼式を行い、正午に黙祷を行うのが通例となっている。なお、正式に日本が降伏したのは、それから半月後の降伏文書が調印された同年9月2日のことである。

概要

御署名原本「大東亜戦争終結ノ詔書」
1頁目
2・3頁目 2頁目に補入や、紙を貼って訂正を行った跡が見られる。
4・5頁目
6・7頁目

ソ連対日参戦を受けて、1945年(昭和20年)8月14日日本御前会議において鈴木貫太郎首相が昭和天皇の判断を仰ぎ、7月26日に連合国から示されていたポツダム宣言の受諾を最終決定した(いわゆる聖断)。

ポツダム宣言は「全日本国軍隊ノ無条件降伏」(第13条)などを定めていたため、その受諾は太平洋戦争において、日本が降伏することを意味した。御前会議での決定を受けて同日夜、詔書案が閣議にかけられ若干の修正を加えて文言を確定した。詔書案はそのまま昭和天皇によって裁可され、終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書)として発布された。この詔書は、天皇大権に基づいてポツダム宣言の受諾に関する勅旨を国民に宣布する文書である。ポツダム宣言受諾に関する詔書が発布されたことは、中立国スイスおよびスウェーデン駐在の日本公使館を通じて連合国側に伝えられた。

昭和天皇は詔書を朗読してレコード盤録音させ[注 1]、翌15日正午よりラジオ放送により国民に詔書の内容を広く告げることとした。この玉音放送は法制上の効力を特に持つものではないが、天皇が敗戦の事実を直接国民に伝え、これを諭旨するという意味では強い影響力を持っていたと言える。当時より、敗戦の象徴的事象として考えられてきた。鈴木貫太郎以下による御前会議のあとも陸軍の一部には徹底抗戦を唱え、クーデターを意図し放送用の録音盤を実力で奪取しようとする動きがあったが、失敗に終わった(宮城事件、録音盤事件)。

前日にはあらかじめ「15日正午より重大発表あり」という旨の報道があり、また当日朝にはそれが天皇自ら行う放送であり、「正午には必ず国民はこれを聴くように」との注意が行われた。当時は電力事情が悪く間欠送電となっている地域もあったが、特別に全国で送電されることになっていた。また、当日の朝刊は放送終了後の午後に配達される特別措置がとられた。

アメリカ軍は数日前から宝塚などに15日の空襲予告を行っていたが[1]、15日の未明の土崎空襲を最後に爆撃を停止した。

放送は正午に開始された。はじめに日本放送協会の放送員(アナウンサー)・和田信賢によるアナウンスがあり、聴衆に起立を求めた。続いて情報局総裁・下村宏が天皇自らの勅語朗読であることを説明し、君が代の演奏が放送された。その後4分あまり、天皇による勅語の朗読が放送された。再度君が代の演奏、続いて「終戦の詔書をうけての内閣告諭」などの補足的文書のアナウンスが行われた。

放送はアセテート盤[注 2]のレコード、玉音盤ぎょくおんばん再生によるものであった。劣悪なラジオの放送品質のため音質がきわめて悪く[注 3]天皇の朗読に独特の節回しがあり、また詔書の中に難解な漢語が相当数含まれていたために、「論旨はよくわからなかった」という人々の証言が多い。玉音放送を聴く周囲の人々の雰囲気などで事情を把握した人が大半だった[2][3]

玉音放送において「朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」(私は米国英国支那蘇連の4か国に対し、共同宣言を受け入れると帝国政府に通告させた)という文言が「日本政府はポツダム宣言を受諾し、降伏する」ことを表明するもっとも重要な主題ではあるが、多くの日本国民においては、終戦と戦後をテーマにするNHKなどの特集番組の、“皇居前広場でひれ伏して天皇に詫びる人々”の映像とともに繰り返し流される「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」の部分が戦時中の困苦と占領されることへの不安を喚起させ、特に印象づけられて有名である[注 4][注 5](この文章は「以て万世の為に太平を開かんと欲す。朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚(しんい。信頼)し常に爾臣民と共にあり」(これ―被占領の屈辱に耐えること―によって世界を平和にして欲しい。私はここに国体を護持することができ、忠実なお前たち臣民の赤誠を頼って常にお前たち臣民とともにある)と続く)。

終戦詔書

大東亜戦争終結ノ詔書』は「終戦詔書」とも呼ばれ、天皇大権に基づいてポツダム宣言を受諾する勅旨を国民に宣布するために8月14日付で詔として発布され、同日の官報号外にて告示された[5]。大まかな内容は内閣書記官長迫水久常が作成し、8月9日以降に漢学者・川田瑞穂(内閣嘱託)が起草、さらに14日に安岡正篤大東亜省顧問)が刪修して完成[注 6]し、同日の内に天皇の裁可があった。大臣副署は当時の内閣総理大臣・鈴木貫太郎以下16名。第7案まで議論された。

喫緊の間かつ、きわめて秘密裏に作業が行われたため、起草・正本の作成に十分な時間がなく、また詔書の内容を決める閣議において、戦争継続を求める一部の軍部の者によるクーデターを恐れた陸軍大臣阿南惟幾が「戦局日ニ非あらざるニシテ」の改訂を求め、「戦局必スシモ好転セス」に改められるなど、最終段階まで字句の修正が施された。このため、現在残る詔書正本にも補入や誤脱に紙を貼って訂正を行った跡が見られ、また通常は御璽押印のため最終頁は3行までとし7行分を空欄にしておくべき慣例のところ4行書かれており、文末の御璽を十分な余白がない場所に無理矢理押捺したため、印影が本文にかぶさるという異例な詔勅である。全815文字とされるが、異説もある(本文は802文字)。

終戦詔書の原本は、内閣総務課の理事官・佐野小門太が浄書したものである[7]

当初、迫水久常は分かりやすい口語体による放送にしようと考えていた。内閣嘱託の木原通雄とともに案を作り始めたが、一人称と二人称をどうするかという基本的な点で行き詰まってしまった。つまり、それまで天皇が国民に直接語りかけることなどなかったため、天皇が自分自身のことを何と呼ぶのか、また、国民に対して「おまえたち」と言うのか「みなさん」と言うのか、適当な表現を考えつかず、結局実現はできなかった[8]




注釈

  1. ^ この玉音(天皇の肉声)を録音されたレコード盤を玉音盤という。
  2. ^ のちにレコード盤消滅まで全盛となったビニール盤、バイナルではない。これが登場するのは1950年代
  3. ^ それに加え当時は電波管制のために全国共通の周波数(860キロサイクル)を用いていたうえに、後述の通り電波出力を通常より大きくしていたため、放送局間の地域では相互の電波が干渉し、受信状態が非常に悪くなった(『真空管の伝説』p.167)。
  4. ^ 日本はこの戦争で初めて外国に敗北し、降伏することになった。
  5. ^ この放送では「敗北」や「降伏」といった言葉を用いることができなかったため、昭和天皇はあえて明治天皇1895年明治28年)の三国干渉に屈服した際に述べた言葉(「堪ヘ難キヲ…」)を繰り返したとされる[4]
  6. ^ 内閣嘱託の小川一平及び大東亜省次官田尻愛義も作成に関与・協力したという[6]
  7. ^ メイン局の場合。他の局の場合も可能な限り出力の向上を行ったらしい(『真空管の伝説』p.167)。
  8. ^ 典拠は春秋左氏伝の『信以て義を行い、義以て命を成す』による[26]

出典

  1. ^ <4> 戦争 人間性奪い家庭も破壊”. 中国新聞 (2009年8月21日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。
  2. ^ 日本ラジオ博物館 玉音放送とラジオ
  3. ^ 平和祈念展示資料館 戦地で聞いた玉音放送
  4. ^ ベン=アミー・シロニー『天皇陛下の経済学』山本七平監訳、光文社文庫、1986年昭和61年)p.153。
  5. ^ 官報 號外 (PDF)”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 印刷局 (1945年8月14日). 2018年8月15日閲覧。
  6. ^ 吉川弘文館『国史大辞典』第7巻「終戦の詔書」(執筆者 : 波多野澄雄))。
  7. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.456 - 457 2012年
  8. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.464 - 466 2012年
  9. ^ a b DO楽 昭和史再訪セレクション vol.56 玉音放送 「終戦」の記憶、鮮烈に刻む”. 2011年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月15日閲覧。
  10. ^ a b “「玉音放送」記録の原盤、初公開へ 宮内庁が8月に予定”. 朝日新聞. (2015年7月9日). http://www.asahi.com/articles/ASH793411H79UTIL005.html 2015年7月10日閲覧。 
  11. ^ a b “玉音放送:深夜 軍服姿で録音”. 毎日新聞. (2015年8月1日). http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20150801mog00m040003000c.html 2015年9月24日閲覧。 
  12. ^ 半藤一利『日本のいちばん長い日 決定版』文藝春秋、2006年、p284・p291。ISBN 978-4-16-748315-9
  13. ^ この章、竹山昭子『玉音放送』(晩聲社、1989年、ISBN 4891881844)、および『戦争と放送』(社会思想社、1994年、ISBN 4390603698)より。
  14. ^ 玉音放送の全文 現代語訳及び英文 Imperial Rescript on Surrender”. 加藤恕(ひろし)のバードビュー(Bird's eye view) (2015年8月14日). 2019年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月2日閲覧。
  15. ^ a b c d e f “「玉音放送」の原盤 来月にも初めて公開へ”. NHK. (2015年7月9日). オリジナルの2015年7月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150708225521/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150709/k10010144271000.html 2015年8月5日閲覧。 
  16. ^ a b c “皇居内の戦争記録、8月1日公開 防空壕内の映像など”. 日本経済新聞. (2015年7月9日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG09H8Q_Z00C15A7CR8000/ 2015年7月10日閲覧。 
  17. ^ 私たちが耳にしてきた“玉音放送”とは? - NHKアーカイブス・2015年7月31日
  18. ^ “反乱軍の手逃れ70年…曲折あった原盤の命運”. 産経ニュース. (2015年8月1日). http://www.sankei.com/life/news/150801/lif1508010012-n1.html 2015年9月23日閲覧。 
  19. ^ a b “玉音放送、10秒以上短かった…原盤を初の公開”. 読売新聞. (2015年8月1日). オリジナルの2015年8月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150805022343/http://www.yomiuri.co.jp/national/20150801-OYT1T50015.html 2015年8月5日閲覧。 
  20. ^ 昭和21年5月にラジオ放送された昭和天皇のお言葉
  21. ^ もう一つの玉音放送「食糧問題に関するお言葉」 戦後復興に向け国民に助け合い呼びかけ
  22. ^ “宮内庁:玉音放送原盤、8月1日に初公表”. 毎日新聞. (2015年7月9日). オリジナルの2015年7月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150710195945/http://mainichi.jp/select/news/20150710k0000m040032000c.html 2015年8月5日閲覧。 
  23. ^ “「玉音放送」原盤を初公開”. NHK. (2015年8月1日). オリジナルの2015年7月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150731224618/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150801/k10010174441000.html 2015年8月5日閲覧。 
  24. ^ “よみがえる昭和天皇の肉声、原盤奪おうと事件も”. 読売新聞. (2015年8月1日). オリジナルの2015年8月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150805022643/http://www.yomiuri.co.jp/national/20150801-OYT1T50016.html 2015年8月5日閲覧。 
  25. ^ 竹山昭子『ラジオの時代 ― ラジオは茶の間の主役だった』(世界思想社、2002年、141-148頁、ISBN 4790709418
  26. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 p.438 2012年
  27. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 p.490 2012年
  28. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.458 - 459 2012年
  29. ^ 岩井克己 (2011年4月1日). “戦後初、天皇陛下の全国民への語りかけ”. 論座. 2013年7月20日閲覧。
  30. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp.468 - 473 2012年
  31. ^ ザ・プレミアム「玉音放送を作った男たち」(テレビマンユニオン)/ザ・プレミアム「玉音放送を作った男たち」(NHK番組表)
  32. ^ 玉音放送・戦没者追悼式ほか[終戦70年特別企画] - ニコニコ動画
  33. ^ “「玉音放送」ニコ生で8/15正午より放送、戦後70年を終戦特番で考える”. マイナビニュース. (2015年8月14日). http://news.mynavi.jp/news/2015/08/14/519/ 2015年8月15日閲覧。 





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