特捜最前線 番組についての逸話

特捜最前線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 16:04 UTC 版)

番組についての逸話

  • このドラマは、神代警視正役を演じた主演の二谷英明をはじめ、特撮ヒーロー番組出身者(あるいは怪獣映画常連出演者)である俳優が善悪を問わず数多く出演していることから、一部のファンから、「特撮最前線」と便宜上呼称されることもあった。なお、番組終了後の後継枠である『テレビ朝日水曜21時枠刑事ドラマ』でもこの要素が踏襲されている。
  • 前番組の『特別機動捜査隊』と同じ東映テレビプロによる作品ではあるが、前番組のスタッフの大半は新たにスタートした『ジグザグブルース』や『快傑ズバット』、『ロボット110番』に回されたため、スタート時は『特別機動捜査隊』と同時期に終了した『非情のライセンス』からの陣営で固められた。
  • スタート当初、「特捜最前線」のタイトルは筆書きのロゴタイプであったが、第53話からはゴシック調のタイトルロゴに変わった。ただし、地方局での再放送では、第53話以降でもエンドカードに第52話までの筆書きロゴを使用した例もあった。
  • 桜井がヘリを操縦するシーンでは、後に自家用操縦士まで実際に取得した藤岡自身が担当していた。紅林が操縦をしているシーンでは、横光はヘリの免許を有していないために実際には操縦していない(他の特命課のメンバーも同様)。いかにも本人が操縦をしているかのように見せることには苦労したという。また、二谷以外の全員が本物のアマチュア無線技士である。
  • 刑事が滅多に拳銃を撃たないことも特徴の一つである[注釈 16]。初期は発砲シーンもそれなりにあり、第57話、第79話、第104話、第154話、第171話など、幾度か大がかりな銃撃戦もあった。5年目以降は第276話や第361話など、発砲シーンが多く登場するにもかかわらず特命課は一発も撃っていないという回や、第335話や第436話など、銃器を所持した犯人に刑事が丸腰で立ち向かうという回も多く見られた。
  • 第1話の犯人逮捕シーンにレギュラーメンバーの中で高杉だけがいなかったり、地方ロケにも参加せず、他の刑事より明らかに出番が少ないなど、放送開始当初から西田敏行はかなり多忙であった。プロデューサーが「1クールでもいいから出演してほしい」と頼み込んで出演するに至ったという。
  • 桜井のキャラクターがアメリカでの過酷な経験で変わった、と設定されたのは、復帰の際に藤岡が「最近の刑事ドラマの刑事は人情刑事が多い。一人くらい非情に徹する男がいてもいいのではないか」と提案したことによる。
  • 最初、第1話の脚本は長坂秀佳・作によるものが予定されていた。しかしその台本を読んだパイロット監督の永野靖忠が「登場する刑事がみんな同じような台詞で、まるで『刑事くん』みたいだ」と難癖を付けたことを耳にして長坂は憤慨し、長坂は番組を降りることも考えたという。その台本は一度お蔵入りになりかけたものの「この台本は必ず使う」と言ったスタッフからの説得によって長坂も了承し、この作品は第7話『愛の刑事魂』として採用された[17]
  • 第123話「豪華フェリージャック・恐怖の20時間!」は当初、桜井主役の回だったが、桜井役の藤岡弘が撮影中に捻挫し撮影不可能になってしまったため、主役は紅林刑事に変更した。
  • 第215話「シャムスンと呼ばれた女!」では、内館牧子が岸牧子のペンネームで原案に初参加(「ドラマ」第1回プロット募集入選作品)。そのほか、第248話「殺人クイズ招待状!」でも原案に参加している。
  • 第277話「橘警部逃亡!」(原案:谷口義正、脚本:長坂秀佳)は、5周年記念としてプロットが一般公募され、応募総数3000通の中から谷口の作品が選ばれて、再編の上放送された。
  • 放送当時トミー(現:タカラトミー)からボードゲームが発売された。テレビ朝日・東映の正規の公認商品だったが、パッケージは作品とはなんら関係ない外国人の刑事3人のイラストが描かれていた。
  • 最高視聴率27.4パーセントを記録した時のテレビ朝日・高橋正樹プロデューサー(当時)の談話
「脚本を大事にして、なるべくオーソドックスに描いてきたことが結果的に良かったかも」
「(視聴率30パーセントの大台という期待については)上がれば上がったでコワイのが実感。あまり視聴率を意識せず、これまでどおりオーソドックスに地味にやっていきます」
  • 1985年には、レギュラー出演者が一人ずつレコードをリリースし、最終的にはそのベストアルバムまで出す計画が組まれていた。藤岡弘の歌う挿入歌の「右手に枯れたバラ」はその第1弾シングルであったが、このシングルを出したきり計画自体がフェードアウトした。
  • 第418話「少年はなぜ母を殺したか!」は全編法廷の中だけ(しかもそれまでの過程は画面では描写されず、法廷での攻防のみのシーンだけで進行する)という異色作だった。監督・辻理によれば、この作品ではリアリティーにこだわり、裁判所への見学やリサーチを行って撮影したという。また役者には「台本を持たないでセットに入ってほしい」と依頼したり、助監督に実際の裁判資料とそっくりな物を作らせた(セリフを書いたわけではない)という。作品の視聴率は16.4パーセント(ビデオリサーチ関東地区調べ)と、まずまずの数字を残した。
  • 誠直也の降板は、一部スタッフとの折り合いや役に関していろいろと思うところがあったことが理由と言われている。第435話(「特命課・吉野刑事の殉職!」)の脚本に竹山洋、監督に三ツ村鐵治を指名したのは、誠本人である。脚本家の長坂はDVD-BOXボーナスディスク収録のインタビューにおいて、ドラマ終了から数年後、自身の江戸川乱歩賞受賞記念パーティーの席で誠と再会した際、撮影当時に誠が吉野の人物設定に関して少なからず不満を持っていたということを知り、その件も含め酒の席でお互い朝まで語り合った末、和解したことを告白している。また、誠自身もファミリー劇場の取材で長坂と人物設定を巡り一時確執があったことと、降板を自ら申し出た事実を明らかにしている。
  • 当番組は『ニュースステーション』のスタートに伴い、水曜22時枠から木曜21時枠への時間変更をした。その第1弾は、「疑惑のXデー・爆破予告1010!」で、当番組初の期首特番の2時間ドラマ(1985年10月10日木曜20時 - 21時48分まで放送)として放送されたが、再放送では、前編と後編に分けて放送された(2話連続放送を行っているファミリー劇場では前後編に分かれたものを繋げて放送した)。本放送時は、オープニングが始まる前に、1分30秒ほどのダイジェストが流れた。スペシャルが終了して次回予告の直前に、主演の二谷英明とレギュラーメンバーが集結して新メンバーが加わったことと時間枠が変更をしたことを視聴者にアピールした。また、本放送時には前半と後半に一回ずつ「特捜最前線は、10月17日より木曜夜9時放送になります。ますます面白い“特捜最前線”どうぞご期待下さい!」と画面上にテロップが流された。新メンバーには、三ツ木清隆と渡辺篤史が特命課の刑事役で加入し、豪華ゲストとして二谷夫人の白川由美をはじめ、大場久美子浅茅陽子高城淳一渥美国泰らが出演。この時の視聴率は、12.4パーセント(ビデオリサーチ関東地区調べ)。
  • 9周年記念犯人当て懸賞付きドラマとして放送された第460話と第461話の懸賞品は、「正解者の中から抽選で日産サニー1300DX(B12型・通称トラッドサニー)を1名様に、3組6名様にハワイ旅行ペアご招待」というものだった(応募総数26214通のうち、正解者は713通)。この企画の記者会見で、長門裕之は「殉職するんなら出るんじゃなかった!」。また、脚本の長坂は「時間枠が変わって、視聴率も以前よりも下がって『何か手がないか?』って、高橋Pから相談され、『それじゃあ蒲生警視を殺していいか?』って言った。インパクトがないと視聴者にとって大事件じゃないからね。“犯人当て懸賞ドラマ”は?、というアイデアは五十嵐文郎Pが考えた。俺には、最後のダイイング・メッセージのアイデアがあったのでOKした」というコメントを残している。なお、視聴率は第459話が9.4パーセント、第460話が10.9パーセント(ビデオリサーチ関東地区調べ)とふるわなかった。
  • 「特捜」が水曜22時から木曜21時へ枠移動する事によって、旧時間帯の視聴者が離れ結果的に番組の寿命を縮めたと言われている。脚本家の藤井邦夫は、その時期に20本近い脚本を提供しているが、当時を回想し「時間帯が変わったので、少し(内容を)明るくしてというのはあった」と述べている。
  • 第488話の放送終了後の1986年12月19日 - 1986年12月24日までの5泊6日の日程で、特捜メンバーと行く「特捜ハワイツアー」が企画された。料金は17万9000円。旅行の企画はテレビ朝日と特捜最前線制作者が行なった。
  • 『ファンタスティック・コレクションNo.49 快傑ズバット』(朝日ソノラマ刊)におけるインタビューで[要ページ番号]、長坂は盟友である市川森一を『特捜』に招聘し、彼との(脚本での)対決シリーズを展開したいと抱負を語っているが、実際に市川が『特捜』を手掛けることは無かった。
  • 1992年にバンプレストから発売されたゲームソフト『ヒーロー戦記 プロジェクト オリュンポス』の劇中に、桜井と津上がそれぞれ本郷猛城茂にそっくりな刑事として登場している。このゲームでの津上は風船爆弾事件の際に奇跡的に生還したという設定になっている。
  • 500回記念当時の脚本・長坂秀佳のコメント
「タイトルは高橋Pがつけた。いいタイトルだったね。最終回の3本もそうなんだ。ただ、もう少しスマートにしたかったかな、『父の十字架』とか。でもこういうタイトルのそろえ方は好きなんだよ」
この500回記念エピソードの視聴率(ビデオリサーチ関東地区調べ)は、前編「退職刑事船村・鬼」13.3パーセント。後編「退職刑事船村II・仏」11.6パーセントだった。
  • 1979年の中期からエンディングテロップの旧存クレジットと新規クレジットで字体が微妙に異なる現象がおきる(目安はそのスタッフの担当表記)。旧存の方は回を追うごとに新規クレジットに差し替えされた(中でも長坂秀佳、塙五郎、天野利彦、野田幸男はサブタイの後に脚本監督表記が付くようになった1984年春に差し替えされた)。また劇中テロップの字体や表記演出も回によって一貫しておらず、「つづく」のテロップに至っては縦書き表記だったり、その当時の他の東映作品の使用分を流用したりといった現象も見られた。また縦スクロール表記だった第68話・第69話・第436話では全て新規に作り直されている。
  • 同じ東映で製作された「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」(フジテレビ系で1985年から1986年に放送)に主演した南野陽子の述懐によれば、「スケバン刑事」と「特捜最前線」は同じ東映東京撮影所でスタジオ撮影が行われていて、それも隣の隣のスタジオのご近所同士だったことから、スタッフや出演者らが裏方で交流していて、夏夕介などはよく「スケバン刑事」のスタジオで出演者らとお茶を飲んでいたとのこと。
  • BGM(劇伴)の中には、木下忠司が書いたものではなく、アメリカ映画の音源集を流用しているものがあり、「プラン9・フロム・アウタースペース」(エド・ウッド監督作品)などで確認できる。

最終回について

  • 「特捜最前線」終了決定当時のテレビ朝日広報部のコメント
「視聴率だけ(が理由)ではありません。3年前から二谷さんから他の仕事にも力を入れて行きたいという申し出があり、その時は『(番組開始から)10年まで頑張りましょう!』と言ってここまで来ました。10年ひと区切りと言いますから、いい潮時と思います。淋しさよりも、役目を終えたという満足感が強いです」[1]
  • 主要脚本家の一人でもある藤井邦夫の終了決定当時のコメント
「長坂さんはまだイイですよ。オレなんか、何も知らずに書き終えてから(番組終了を)知らされた。だからオレたちの脚本は、シリーズが終わるつもりの本じゃないんだ」
  • 最終回における主演・二谷英明の視聴者へのメッセージ
「この10年間に渡って、特捜最前線をご支援いただき、本当に有り難うございました」
  • 二谷以下レギュラーメンバーが全員集結した最終回の視聴率は、11.2パーセント(ビデオリサーチ関東地区調べ)だった。
  • 横光は「なぜ、特捜最前線は終了したのか」との問いに、「やはり誠ちゃんと大滝さんが抜けたのが大きかった。あんな個性的な人が抜けた後は、なかなか埋められない」「最後はマンネリだったかもしれない。プロデューサーとしても500回というのが一つの目安だった。みじめに視聴率が下がって終わるよりもいいところで終わろうというのがあった」とコメントしている。また、個人的な意見として「特捜が終了した後に、年に1、2回スペシャル版を作る体制を残しておけなかったことが残念だと思う」とも語っている。
  • 最終回のエンディングで、警視庁刑事部から独立した警視庁特命捜査部が新設され、特命捜査課のメンバーが発令された異動先は以下のように設定されている。
    • 特命捜査部長……神代
    • 特命捜査部特命捜査第一課……橘(課長)、時田、紅林
    • 特命捜査部特命捜査第二課……桜井(課長)、叶、犬養、杉
  • 番組終了後に二谷英明、本郷功次郎、横光克彦が出演した企業向けビデオ『ビジネス最前線』が発表された。このビデオには内田稔など特捜常連の演劇集団 円のメンバーが多数出演していた。
  • 1981年ごろに「特捜最前線」を放送していた直前に放送されていた「欽ちゃんのどこまでやるの」に、当時の特捜最前線のレギュラー出演者が揃って萩本家のお茶の間にゲスト出演している。

注釈

  1. ^ 枠移動後初回は20:00 - 21:48の2時間SPとして放送。
  2. ^ 大滝自身も新潟県上越市で生まれ、東京都で育った。
  3. ^ 現実の刑事生活で40年続けるのは不可能である。
  4. ^ 第29話では神代が「20年来のつきあい」と発言。
  5. ^ 初期には「落としの船さん」「落としの一(ピン)さん」と呼ばれることもあった。
  6. ^ 第105話・第351話はゲスト扱い。
  7. ^ 青森県出身と語るシーンもある。ちなみに演じた西田本人は福島県出身
  8. ^ また西田が運転するシーンも度々あったが、のちに本人は運転免許を持っていないと話している。
  9. ^ 第145話は未出演、第351話はゲスト扱い。
  10. ^ 荒木がフォー・セインツのドラマーだったため。
  11. ^ ファミリー劇場での談話[出典無効]
  12. ^ 第351話はゲスト扱い。
  13. ^ なお加入当時のオープニングでは飛び降りて銃を発砲するシーンであったが、オープニングがリニューアルされたことで間も無く変更となる。
  14. ^ のちに(株)エースヘリコプターに改称したが、2002年12月解散した。
  15. ^ 例えば、「キネマ旬報2006年12月上旬特別号の宮城正樹「懐かしのテレビ・ドラマ『特捜最前線』『服部半蔵 影の軍団』『柔道一直線』」では、チリアーノ名義でクロード・チアリが歌っているとしている[要ページ番号]
  16. ^ この路線はのちに『はぐれ刑事純情派』や『相棒』に引き継がれた。
  17. ^ 一部地域を除き、20:57 - 21:00に『今夜のドラマスペシャル』も別途放送。
  18. ^ 地上波での新作放送は26年ぶりとなる(BS・CSを除く)。
  19. ^ 1981年に秋田放送から移行。移行後から1985年3月までは同時ネット、同年4月以降は遅れネット(1987年時点では日曜22:00[24])。
  20. ^ 1980年3月まではフジテレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット局、同年4月から1993年3月まではフジテレビ系フルネット局。
  21. ^ a b 1985年9月までは同時ネット。同年10月以降は遅れネット。
  22. ^ a b 当該地域のおけるANN加盟局の変更(日本テレビ系列とのクロスネット局化)に伴う移行。
  23. ^ 1978年8月時点で水曜24:23 - 25:15のフィルムネット
  24. ^ 水曜日放送時代は同時ネット、1985年10月の枠移動後は最終回まで遅れネット
  25. ^ 正式社名は静岡県民放送。
  26. ^ 月曜日 22:00 -22:54枠
  27. ^ 1981年3月までは同時ネット、同年4月以降は遅れネット。
  28. ^ 1980年4月当時は同時ネットでありながらもテレビ朝日と同じスポンサーではなく、地元スポンサーと混ぜた。画像より
  29. ^ 水曜日放送時代は同時ネット、1985年10月の枠移動後もそのままの時間帯で最終回まで遅れネット

出典

  1. ^ a b 週刊TVガイド 1986年12月19日号 p.36「REPORT・長寿ドラマ『特捜最前線』が来春3月終了へ!」
  2. ^ かつては所轄署での刑事部署を実際に「捜査課」と称していたが、「捜査一課」「捜査二課」といった名称および呼称は本庁および道府県警察本部にのみ存在する。
  3. ^ 丸の内警察署は警視庁管内に実在する警察署である。
  4. ^ 現実世界での警察庁の課長職は警視長の階級にある警察官が就任する。また、警察庁は行政機関であり、事件を捜査をする実動執行部隊は存在しない。
  5. ^ 現実では1985年(昭和60年)3月31日に公務員の60歳の定年退職制度が施行されていて船村は、その年の6月6日に60歳の誕生日を迎えたのだが公務員の規定で翌年の3月31日(1986年(昭和61年)3月31日)が定年退職日だったので定年退職日の半年以上前に自己都合退職している事になる。
  6. ^ セダン黒色・330前期2000DX→430前期280Eブロアム
  7. ^ C110前期2ドアハードトップ2000GTX(通称:ケンメリ)白色→C210前期ゼダン2000GT-E.S(通称:丸目ジャパン)黄色→C210後期セダン2000GT-E.S(通称:角目ジャパン)銀色→R30前期セダン2000ターボGT-E.X(通称:ニューマン)銀色
  8. ^ セダン白色・330前期2000SGL→430前期200E-SGL
  9. ^ 4ドアHT・前期V20ターボSGL、黒色
  10. ^ 前期銀色
  11. ^ 前期黒色
  12. ^ 4ドアHT・R31前期GTパサージュツインカム24V(通称:7th・セブンス)白色
  13. ^ Y30前期黒色
  14. ^ 後期V20ターボブロアム
  15. ^ 前期白色
  16. ^ 前期黒色
  17. ^ 『昭和40年男』2016年4月号(クレタパブリッシング)109-112ページ「長坂秀佳インタビュー」より。
  18. ^ a b c d e f g 東映ビデオ - 特捜最前線「DVD-BOXに収録する ファンが選ぶベストエピソード」結果発表※なお同順位の場合を含む。
  19. ^ a b c d e f g 東映ビデオ - 特捜最前線DVD-BOX
  20. ^ 刑事ドラマの最高峰「特捜最前線」25年ぶりに復活! - 映画.com(2012年7月20日 06:00)
  21. ^ 平岡祐太:「特捜最前線」復活に手応え - MANTANWEB(2012年08月30日)
  22. ^ web ザ テレビジョン (2013年9月28日). “上川隆也の“一筆入魂”ポスターを公開!「特捜最前線2013」がいよいよ明日オンエア!!”. 2013年9月30日閲覧。
  23. ^ “伝説の「特捜最前線」が上川隆也主演で26年ぶりに復活! ED曲は笹野高史が熱唱”. クランクイン!!. (2013年9月18日). オリジナルの2014年4月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140413194858/http://www.crank-in.net/entertainment/news/26779 2013年9月30日閲覧。 
  24. ^ 昭和62年2月付け東奥日報テレビ欄の秋田テレビのテレビ欄
  25. ^  YBSテレビ基本番組表 1978年8月号参照。
  26. ^ 1985年10月2日、10月15日、1987年3月31日 信濃毎日新聞 テレビ欄






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