浅見義弘 浅見義弘の概要

浅見義弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 14:16 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

経歴・人物

浅見竹三郎の三男として埼玉県深谷市に生まれる[1][2][3][4]1931年(昭和6年)分家する[1][2]1922年(大正11年)東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省電気試験所研究員となる[1][2][3]1925年(大正14年)北海道帝国大学教授となり、12余年に渡り欧米各地に駐在し、帰国後の1936年(昭和11年)10月、工学博士となる[1][2]1946年(昭和21年)9月、同大学応用電気研究所長[3]、のち1960年(昭和35年)同大工学部長を経て、1962年(昭和37年)退官し、成蹊大学主任教授、1969年(昭和44年)同大工学部長となる[6]1971年(昭和46年)定年退職[6]

高周波放電の分野における国内のパイオニアで、プラズマインピーダンス特性を測定することで同調現象を見出し、電離層における電波伝搬理論を提唱した[6]。また、放電管における雑音の研究を行い、放電管の増幅作用および反結合発振作用を発見[6]。これを応用しプラズマを利用したマイクロ波増幅管の研究を行った[6]。ほか、スロットアンテナを開発、ダイポールアンテナへの着雪の影響の研究などを行った[6]。長年の研究成果を賞され、北海道新聞科学技術文化賞、電気学会浅野賞、電波技術功労賞、紫綬褒章勲二等瑞宝章などを受章した[6]

脚注

[脚注の使い方]

  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第11版 上』、ア128頁
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 上』、ア98頁
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第15版 上』、ア28頁
  4. ^ a b 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.23
  5. ^ 藤井寛一. "名誉員 浅見義弘先生を偲んで." 電氣學會雜誌 111.8 (1991): 641-642.
  6. ^ a b c d e f g 電子情報通信学会『知識の森』、14群(歴史・年表・資料)、3編 電子情報通信人名録、2019年3月10日閲覧。


「浅見義弘」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浅見義弘」の関連用語

浅見義弘のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浅見義弘のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの浅見義弘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS