沖縄サンバカーニバル
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概要
地元のサンバチーム、オ・ペイシ・キ・リ・ダ・コザによる主催で、毎年11月23日前後に沖縄国際カーニバルのメインイベントとして開催される。 沖縄市の目抜き通りであるコザゲート通りを全面通行止めにし、サンババンドによるステージ、サンバダンスコンテスト、サンバパレードなど多彩なイベントが繰り広げられる。 パレードには地元市民らを中心に約300名が参加し、東京や大阪、神戸、福岡などのサンバチームからの参加者も数多い。 2012年より2014年まで、前夜祭が北谷町美浜で開催されていた。
歴史
2000年に沖縄市タウンマネージメント機関(タウンマネージメント協議会)が主催する地域活性化のための新規事業誘致企画、ドリームショップコンテストが行われ、沖縄サンバカーニバル開催を事業計画に盛り込んだ飲食店舗、「サンバ居酒屋オ・ペイシ」がグランプリに選出される。ちなみにこのときの審査委員長は、沖縄民謡界の重鎮、照屋林助。また俳優の玉城満も審査員として参加。
サンバ居酒屋オ・ペイシは同年7月、沖縄で初めての本格的なサンバチーム、オ・ペイシ・キ・リ・ダ・コザ(略称オ・ペイシ)を結成。ピースフル・ラブ・ロック・フェスティバルや世界のウチナーンチュ大会、オリオン・ビアフェストなどに出演するなど、活動を開始。なお、このチーム名はポルトガル語で「コザの笑う魚」という意味。(サンバ居酒屋オ・ペイシは2007年にサンパウロへ移転)
オ・ペイシは2001年11月に沖縄国際カーニバル・民俗芸能大パレードにて初めて大掛かりなパレードを開催。同実行委員会よりパレード演舞部門最優秀賞を授与される。これを機に、オ・ペイシは沖縄国際カーニバル実行委員会に対し、サンバチーム単独でのイベント開催を陳情。それが認められた2003年から、イベント名を沖縄サンバカーニバルと定め、沖縄国際カーニバル内のメインイベントのひとつとして、単独のステージ、パレードを開催することとなった。
沖縄サンバカーニバル立ち上げ時には、コンテスト形式のパレードを目指し、オ・ペイシを分割して第2のサンバチーム、イーリャ・ド・スウを結成。2003年のパレードでは2チームがテーマソング、山車、仮装などを別個に制作し、チーム対抗形式をとった。この年の審査員にはうちなー噺家で俳優の藤木勇人、元ディアマンテスのキーボード奏者、ボブ石原など、県内の著名人が多く協力している。
2006年からはオ・ペイシ1チームがパレードする形式となっている。
特徴
テーマを沖縄に関する事象に限定し、沖縄の歴史、文化を参加者、観客が一体となって見つめなおせる演出を心掛けている。パレードでのテーマソングは必ず日本語で作られ、ウチナーグチ(沖縄方言)も多くまじえた歌詞となっている。
固有名詞の分類
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