永福寺 (別府市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 13:51 UTC 版)
周辺
- 上人ヶ浜 - 一遍が九州に初上陸した浜といわれている[14]。戦前までは「聖人ヶ鼻」と呼ばれていた[15]。公園として整備されており、別府海浜砂湯も設けられている[14]。
- 上人ヶ浜、上人ヶ浜町、上人本町、上人仲町、上人西町、上人南町 - 別府市内に残る一遍ゆかりの町名。
- 上人の湯 - 鉄輪温泉街にある共同浴場。入口に一遍像が祀られている[1]。
- 鉄輪むし湯 - 市営の共同温泉。一遍が渋の湯や熱の湯とともに開湯したという。受付前には一遍の木像がある[16]。
交通アクセス
脚注
関連項目
- ^ a b c “文化的景観別府の湯けむり景観保存計画第3部文化的景観保存計画第5章重要な構成要素と生活・生業維持の方針 (PDF)”. 別府市. 2019年8月31日閲覧。
- ^ a b c d “文化的景観別府の湯けむり景観保存計画第2部文化的景観の調査報告第4章歴史的変遷 (PDF)”. 別府市. 2019年8月31日閲覧。
- ^ a b c d e 「べっぷの文化財 (PDF) 」No.47 別府の仏教美術 (1)、別府市教育委員会・別府市文化財保護審議会、2017年3月。
- ^ “善光寺(ぜんこうじ)時衆の一大拠点”. 大分歴史事典. 大分放送. 2009年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月31日閲覧。
- ^ “鉄輪湯あみ祭り始まる 23日むし湯無料に”. 大分合同新聞. (2009年9月17日). オリジナルの2009年11月26日時点におけるアーカイブ。
- ^ ““地獄釜製の餅”どうぞ 鉄輪湯あみ祭り”. 大分合同新聞. (2011年9月22日). オリジナルの2011年10月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「新指定の文化財」『月刊文化財』405号、第一法規、1997、pp.15 - 16
- ^ a b 宮次男「研究資料 永福寺本遊行上人縁起絵」『美術研究』第333号、東京文化財研究所、1985年9月29日、 20-26頁。
- ^ 小泊立矢「時宗寺院松寿庵について」『別府史談』第11号、別府史談会、1997年、 1-12頁。
- ^ 紙本著色遊行上人絵伝〈巻第七/〉 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 紙本著色遊行上人絵伝〈巻第七/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 『日本絵巻物全集』第23巻〈遊行上人縁起絵〉、角川書店、1968年
- ^ 大場厚順 (2008年9月5日). “『「恵信尼特別展』 に寄せて”. 高田別院だより 第17号. 真宗大谷派 高田別院. 2019年8月31日閲覧。
- ^ a b “上人ヶ浜公園”. 別府市. 2019年8月31日閲覧。
- ^ 大野保治「別府今昔あれこれ話」『別府史談』第18号、別府史談会、2004年12月、 92-112頁。
- ^ “鉄輪むし湯”. 別府市. 2019年8月31日閲覧。
- 永福寺 (別府市)のページへのリンク