森奈みはる
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もりな みはる 森奈 みはる | |
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本名 | 田鎖 みはる(たぐさり みはる) |
生年月日 | 1968年3月16日(54歳) |
出生地 | 埼玉県 |
血液型 | O |
職業 | 女優 |
ジャンル | 舞台 |
活動期間 | 1988年 - |
活動内容 |
1988年:宝塚歌劇団入団、花組配属 1991年:花組トップ娘役就任 1995年:宝塚歌劇団退団、以降女優として活躍。 |
著名な家族 | 母:武蔵野裕美(宝塚歌劇団41期生) |
公式サイト | 森奈みはるの「こざる日記」 |
主な作品 | |
宝塚歌劇 『ブラック・ジャック 危険な賭け』 『たけくらべ』 『哀しみのコルドバ』 | |
備考 | |
宝塚歌劇団卒業生 |
来歴・人物
堀越高等学校卒業。高校在学中にタレントとして活動する。高校の同級生には本田美奈子、南野陽子、岡田有希子、長山洋子などがいた。
1986年、高校卒業後、宝塚歌劇団出身である母の薦めで宝塚音楽学校に入学する。74期生。
1988年、宝塚歌劇団入団。入団時の成績は11番。『キス・ミー・ケイト』で初舞台を踏み、花組に配属。同期には和央ようか・麻乃佳世・白城あやか・渚あきら。
1991年、『ディーン』にてバウホール公演初ヒロイン。その後、安寿ミラの相手役としてトップ娘役に就任。『心の旅路』、『メランコリック・ジゴロ』、『ブラック・ジャック 危険な賭け』、『火の鳥』などの代表作を残す。
1995年、『哀しみのコルドバ/メガ・ヴィジョン』を最後に安寿と共に宝塚歌劇団を退団する。以後、ミュージカル・舞台などで活動する。
在団当時、同時期にトップ娘役を務めた同期の麻乃(月組)・白城(星組)と共に「74期3人娘」と称された。
森奈にあこがれて入った生徒も多く、元雪組トップ娘役の紺野まひるもその一人である。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
花組時代
- 1988年3〜5月、『キス・ミー・ケイト』*初舞台
- 1988年9〜11月、『フォーエバー!タカラヅカ』ガウンの美女
- 1989年2月、『硬派・坂本竜馬!』
- 1990年2月、『エル・アミーゴ』マルガリータ
- 1991年1〜4月、『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』王女(アントワネットの子供)/新人公演:小公女(本役:路あかり)
- 1990年9〜11月、『秋…冬への前奏曲』ハンナ/新人公演:ナディア(本役:ひびき美都)*新人公演初ヒロイン
- 1991年1〜4月、『春の風を君に…』新人公演(東京):柳緋玉(本役:ひびき美都)/『ザ・フラッシュ』歌う淑女他
- 1991年2月、バウホール公演『小さな花がひらいた』 あつ
- 1991年6〜11月、『ヴェネチアの紋章』ヴェロニカ/新人公演:オリンピア(本役:香坂千晶)/ 『ジャンクション24』ホワイトキラー女、リズ他
- 1991年8月、バウホール公演『ディーン』 ピア・アンジェリ
花組トップ娘役時代
- 1992年2〜6月、『白扇花集』娘S1、夕顔 /『スパルタカス』ルシア *トップ披露公演
- 1992年8〜12月、『心の旅路』ポーラ /『ファンシータッチ』
- 1992年10〜11月、『フラワー・ドラム・ソング』メイ・リー
- 1993年2〜6月、『メランコリック・ジゴロ』フェリシア /『ラ・ノーバ!』フィアナ
- 1993年8〜12月、『ベイ・シティ・ブルース』オリヴィア /『イッツ・ア・ラブストーリー』シモーヌ,デュエットの女他
- 1993年10〜11月、『ワン・タッチ・オブ・ヴィーナス』 ヴィーナス
- 1994年3〜7月、『ブラック・ジャック 危険な賭け』アイリス/如月恵(二役) /『火の鳥』
- 1994年5〜6月、『たけくらべ』美登利
- 1994年9〜11月、『冬の嵐、ペテルブルグに死す』リザヴェータ/ 『ハイパー・ステージ!』
- 1995年1〜4月、『哀しみのコルドバ / メガ・ヴィジョン』エバ・シルベストル *退団公演
- 1月17日の阪神淡路大震災により以降の大劇場公演は全日程中止
- 1995年3月、『LAST DANCE』アルディラ
- 1995年5月、『安寿ミラ 宝塚大劇場さよならショー』
- さよならショーのみが星組公演後に上演され、これをもって退団。
- 1 森奈みはるとは
- 2 森奈みはるの概要
- 3 宝塚歌劇団退団後の主な活動
- 4 脚注
固有名詞の分類
- 森奈みはるのページへのリンク