東海林のり子
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ニッポン放送の同期
なお、「オールナイトニッポン」の初代パーソナリティの一人である高岡尞一郎も枇杷阪と同期であることが明言されている[22]ので、すなわち東海林と同期であると思われる。
その他
- 踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル(1998年)
- 女と愛とミステリー「芸能記者・柳田信吉の挑戦」(2003年) - スナックママ・のり子 役
- 葵 徳川三代(2000年、NHK大河ドラマ) - リポーター 役
- ツヨシしっかりしなさい(1994年、テレビアニメ) - 東海林レポーター役(第79話特別出演)
著書
- 『へこたれないじゃん』扶桑社文庫) 1994.4
- 『まけるなしんちゃん 阪神大震災の子どもたち』ポプラ社いきいきノンフィクション 1995.10 のち文庫
- 『有名人『若さの秘密』 裏・側・編 (現場から東海林のり子がお伝えします シリーズ第1弾)』ダイナミックセラーズ出版, 1995.2
- 『お悔やみ』扶桑社文庫) 1995.4
- 『Mother & sons 東海林のり子と10人のロッカー達』1-2、編著. ベストセラーズ, 1995-96
- 『ホット・トーク・ロッカーズ』編・著. ワニブックス, 1997.12
- 『Heart beat ロッキン・ママwith 11組のミュージシャンの、ドキドキワクワク対談集 Popbeat presents』編・著. 主婦と生活社, 2000.6
- 『「芸能界」心にしみる、いい話』二見書房, 2001.11
- 『夫を粗大ゴミにしない銀の法則人生を豊かにする金の法則』幻冬舎, 2003.9
- 『東海林のり子の「人生yesの法則」』シンコーミュージック・エンタテイメント, 2008.5
- 『我がままに生きる。』 (TWJ BOOKS) トランスワールドジャパン, 2020.8
共著
- 『失敗しないお葬式 日本一の最年長リポーターと日本一の葬儀司会者がお勧めする』木野島光美共著. 文芸社, 2009.9
- 『あなたの隣にある危機(リスク)糖尿病網膜症 早期受診で失明を防ぐ』右田雅義共著. 保健同人社, 2018.3
- 『美淑女になるために 訪れる「おひとりさま」を華やかに生きるヒント』岡野あつこ共著. 徳間書店, 2019.11
注釈
- ^ 本人によると、元々出演予定だった東京の少年少女合唱団の子たちが戦時により疎開し、小学校の音楽教師経由で代打出演の話が舞い込んだとのこと[3]。
- ^ 本人によると「毎年立教、一橋大学、慶応大学、早稲田大学で競う英語劇コンテストがありました。当時立教のESSは、日本の物語を英訳して出場するのが習わしでした」とのこと。
- ^ 後継番組「リビング4」にも引き続き出演した。番組について詳しくは、リビング11を参照。
- ^ 東海林によると、「女がニュースを読むと信憑性がなくなるから」などと、今では考えられないような言葉で返されたという[10]。
- ^ 東海林は、人を通じて出演を依頼されたが当時ビジュアル系バンドというものを知らず、「Xって何?よく分からないけどとにかく行ってみるわ」と出演を決めた。
- ^ 本人は、「80歳を過ぎているから人間ドックとかで調べたらどこか悪いに決まってる。仮に『ここにポリープがあります』なんて言われたら、常にそのことが気になってしまうから、それだったら知らない方がいいです」と語っている[7]。
- ^ ただし媒体によっては、「3時のあなた」をリポーターデビュー作とする場合もある[3][17]。
出典
- ^ 民間放送全職員人名簿 昭和42年度版
- ^ a b c d e f g 岡野誠. “「“低俗なワイドショーの名刺はいらない”と偉そうに…」事件レポーターの元祖・東海林のり子(89)が語る“低俗なメディア”だから伝えられる大切なこと”. 文春オンライン. 文藝春秋. 2024年2月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 週刊現代2022年4月30日・5月7日号「私の地図」第517回・東海林のり子p80-82
- ^ a b “東海林のり子、批判を浴びても “事件現場” から伝え続けた真実(その5)”. 週刊女性PRIME (2019年8月13日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ “歴代受賞者”. 日本女性放送者懇談会 SJWRT. 2016年6月21日閲覧。
- ^ “「葬儀には、故人の人柄が表れる」 リポーター・ラジオパーソナリティー 東海林のり子さん 【インタビュー前編】~日々摘花 第7回~”. 家族葬のファミーユ【Coeurlien】 (2023年11月10日). 2024年4月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “迷わず現場に飛び込む。83歳、「人生YESの法則」”. マンション生活情報サイト「Wendy-Net」よりMs Wendy. 2022年5月30日閲覧。
- ^ “東海林のり子、批判を浴びても “事件現場” から伝え続けた真実(その6)”. 週刊女性PRIME (2019年8月13日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ a b “「息子へ受け継がれた、亡き夫の思い」 リポーター・ラジオパーソナリティー 東海林のり子さん 【インタビュー後編】~日々摘花 第7回~”. 家族葬のファミーユ【Coeurlien】 (2023年11月10日). 2024年4月11日閲覧。
- ^ a b “東海林のり子、批判を浴びても “事件現場” から伝え続けた真実(その4)”. 週刊女性PRIME (2019年8月13日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ a b c d “東海林のり子が現場で伝えた真実と、今でも信じている「HIDEさんは自殺ではない」(2ページ目)”. 週刊女性PRIME (2024年1月11日). 2024年2月19日閲覧。
- ^ a b 長谷川晶一 (2021年5月21日). “東海林のり子が語気を強めた「宮崎勤事件に振り回された平成の始め」 | 日刊SPA! | ページ 2”. 日刊SPA!. 2024年2月19日閲覧。
- ^ a b 「10万人の宮崎勤」はあったのか?(dragoner) - 個人 - Yahoo!ニュース
- ^ a b “東海林のり子、批判を浴びても “事件現場” から伝え続けた真実(その8)”. 週刊女性PRIME (2019年8月13日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ a b “東海林のり子、批判を浴びても “事件現場” から伝え続けた真実(その7)”. 週刊女性PRIME (2019年8月13日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ “東海林のり子、批判を浴びても “事件現場” から伝え続けた真実(その3)”. 週刊女性PRIME (2019年8月13日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ a b “東海林のり子、批判を浴びても “事件現場” から伝え続けた真実(その2)”. 週刊女性PRIME (2019年8月13日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ AzcoTV - YouTubeチャンネル
- ^ 魅力人チャンネル JapanアクターズTV
- ^ JAPANアクターズTV - YouTubeチャンネル
- ^ 番組公式サイト
- ^ 1997年11月7日放送「いまに哲夫のオールナイトニッポンDX」に高岡が電話出演した際、パーソナリティのいまにが明言。
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