日産・グロリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 09:28 UTC 版)
初代 LSI型/S3型(1959年 - 1962年)
プリンス・グロリア(初代) BLSIP型 | |
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概要 | |
販売期間 | 1959年1月 - 1962年9月 |
設計統括 | 日村卓也 |
ボディ | |
乗車定員 | 6人 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン | 1.9L 直4 |
変速機 | 4速MT |
サス前 |
前:ダブルウィッシュボーンコイル 後:ド・ディオンアクスルリーフ |
サス後 |
前:ダブルウィッシュボーンコイル 後:ド・ディオンアクスルリーフ |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,535mm |
全長 | 4,380mm |
全幅 | 1,675mm |
全高 | 1,535mm |
車両重量 | 1,360kg |
その他 | |
ブレーキ | 4輪ドラム |
最高速度 | 135km/h |
プリンス自動車工業(発売開始当時は富士精密工業と称した)が製造・発売していた。開発期間を短縮する観点からALSI型スカイラインとシャシー、ボディーを流用し、シートや内・外装を高級化した。
- 1958年10月 - 第5回全日本自動車ショウ(後の東京モーターショー)に「スカイライン1900」として出品。
- 1959年1月 - 初代グロリア(BLSIP-1型)発売。直列4気筒OHV1,862cc GB30型、80馬力エンジンを搭載。戦後一般発売された日本車では初の3ナンバー車となった(1960年9月まで5ナンバー規格は1,500cc以下だったため)。
- 1960年2月 - マイナーチェンジBLSIP-2型。4灯式ヘッドランプを採用し、リアランプも4灯式に変更となる。
- 1961年2月 - マイナーチェンジBLSIP-3型。キャブレター改良等により出力向上し94馬力化。フロントグリルのメッシュデザイン変更、また1型、2型ではグリル内に配置されていたPRINCEのエンブレムが筆記体に変更の上、ボンネットへ移設。
- 8月 - リエージュ・ソフィア・リエージュラリーに出場するが、リタイア。
- 1962年 - リエージュ・ソフィア・リエージュラリーに出場するが、リタイア。
初代の生産台数は輸出を含めて約7万台[1]。
注釈
- ^ 試作車はボンネットフード先端回りが膨らんだような体裁であった。石橋正二郎の長男・石橋幹一郎によれば、開発が相当段階まで進んでからこれを見せられた石橋正二郎は「おたふくだ、器量が悪い」と酷評し、「発売を中止させろ」とまで発言したという。
- ^ 石橋は足袋販売事業で成功した明治末期にいち早く自動車を購入して以来、当時すでに50年に渡りアメリカ車を中心に乗り継いできた経験があり、市販商品としての自動車については一家言があった。
- ^ "石橋はアメリカ車を範とする派手で見栄えのするスタイリングを好み、簡素なデザインを是認しない志向があったが、これは外見が車の販売に影響するという現実的見地の意識を持っていた故でもある。実質的オーナーである石橋の意向に反し、経営幹部も技術陣も軍用飛行機メーカーのエンジニア上がりが多くを占めていたプリンス自動車側は、たびたび面従腹背な技術傾倒に陥った。
- ^ プリンス車のド・ディオンアクスル構造は、トレー型フレームに固定されたプロペラシャフトとディファレンシャルギア回りからのこもった異音発生傾向があり、ユーザーからはたびたびクレーム原因になった。特に4気筒の量販グレードで問題がひどかったという。
- ^ この異音は初代スカイライン/グロリアからの課題であったが、2代目グロリアでも根治せず、技術陣は対策に引き続き悩まされ続けた。結局克服できないまま、このモデルの次代であるS6系(日産合併後に生産開始された3代目グロリア・A30系)では、2代目スカイラインで手掛けていたフル・モノコックボディと、実用上手堅くトラブルの少ない通常のリジッド・アクスルの組み合わせへ移行することになった。
- ^ 中島飛行機出身のプリンス自動車技術系幹部の一人であった岡本和理(おかもと かずただ 1916-2002)は、晩年の回想[2]で、グロリアのS40系へのモデルチェンジがプリンス自動車社内で早くから「失敗」と見られており、発売から間もない1963年1月には失敗責任を追及する人事異動が行われたことを記している。
- ^ 岡本の回想によれば、発売翌年(1963年)にはS40グロリアは既に売れ行き不調で在庫車を抱えるようになっており、同年夏には村山工場敷地露天に置かれていた在庫のS40で、夏の高温から、生産時の内貼り固定用接着剤飛散が遠因で内装変色を起こす重大な品質不良が発覚。大量の内装張替え工事を強いられ、生産技術部長であった岡本が、当時住友銀行から送り込まれていた社長に糾弾される羽目になったという
- ^ なおセドリックのみ設定のあったSD20エンジンの200Dスタンダードは1981年4月以降はグロリアにも設定された。
- ^ グロリア専用のグレード名でセドリックはターボF(前期)、アーバンX(後期)
- ^ 道路運送車両の保安基準改正により、後部座席中央のシートベルト装備が義務化されたことによる措置。
- ^ ワゴンの8人乗りコラムAT車も1995年11月まで休止。
出典
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第98号19ページより
- ^ プリンス自動車エンジン設計部門OB「FG会」サイト内「昔のこと話そうかい」
- ^ a b c d e f g “グロリア”. 名車文化研究所 (21 Apl 2021). 2023年1月15日閲覧。
- ^ a b c d “グロリア スーパー6 (PA30D型) 諸元”. 名車文化研究所 (21 Apl 2021). 2023年1月15日閲覧。
- ^ a b “グロリア スーパーデラックス”. 日産ヘリテージコレクション. 2023年1月15日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第93号17ページより
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第18号19ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第21号7ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第58号13ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第33号9ページより。
- ^ “グロリアバン(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ “グロリアワゴン(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第81号7ページより。
- ^ “グロリア(日産)1987年6月~1991年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ “グロリアセダン(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ “グロリア(日産)1991年6月~1995年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第41号11ページより。
- ^ “グロリア(日産)1995年6月〜1999年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第91号5ページより。
- ^ “グロリア(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第38号9ページより。
- 1 日産・グロリアとは
- 2 日産・グロリアの概要
- 3 初代 LSI型/S3型(1959年 - 1962年)
- 4 2代目 S40型系(1962年 - 1967年)
- 5 3代目 A30型系(1967年 - 1971年)
- 6 4代目 230型系(1971年 - 1975年)
- 7 5代目 330型系(1975年 - 1979年)
- 8 6代目 430型系(1979年 - 1983年)
- 9 7代目 Y30型系(1983年 - 1999年)
- 10 8代目 Y31型系(1987年 - 1999年)
- 11 9代目 Y32型系(1991年 - 1995年)
- 12 10代目 Y33型系(1995年 - 1999年)
- 13 11代目 Y34型系(1999年 - 2004年)
- 14 車名の由来
固有名詞の分類
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