日産・グロリア
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5代目 330型系(1975年 - 1979年)
日産・グロリア(5代目) 330型系 | |
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セダン 前期型 デラックス 1975年6月 - 1977年6月 | |
4ドアハードトップ 後期型 2800Eブロアム 1977年6月 - 1979年6月 | |
概要 | |
別名 | 日産・セドリック(4代目) |
販売期間 | 1975年6月 - 1979年6月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
2・4ドアハードトップ 4ドアセダン ライトバン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
2.8/2.0L 直6 2.0L 直4 ディーゼル2.2L 直4 |
変速機 |
3速AT 5速 / 4速MT |
サス前 |
前:ダブルウィッシュボーンコイル 後:リジッド半楕円リーフ |
サス後 |
前:ダブルウィッシュボーンコイル 後:リジッド半楕円リーフ |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,690mm |
全長 | 4,785mm |
全幅 | 1,705mm |
全高 | 1,430mm |
車両重量 | 1,445kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ディスク 後:ドラム |
最高速度 | 180km/h(4ドアHT 2800SGL) |
エンジンは排ガス対策の困難なSUツインキャブは廃止され、主力となる2,000ccはL20型シングルキャブ仕様のみ。2,600ccは2,800ccに拡大され、セダンのタクシー仕様は4気筒2,000ccのH20P型LPG仕様のみ。全車が50年排出ガス規制適合。エクステリアでは、当時流行したサイドウインドのホップアップラインを強調したデザインだった。ヘッドライトはセダン・バンと4ドアハードトップが丸型4灯、2ドアハードトップが角型2灯。セドリックとグロリアの違いはフロントグリルとテールランプの造形違いのみとなった。キャッチフレーズは「アダルトのグロリア」。販売終了前月までの新車登録台数の累計は12万5772台[8]。
- 1975年6月 - モデルチェンジ。
- 10月 - 2000GL-E/SGL-Eを追加。触媒装置その他で80 - 90kg増加した2,000cc車の非力を補う目的でもあった。また230系以来の5速MTも復活した。
- 1976年6月 - 乗用車は51年排出ガス規制適合で331型へ。4ドアハードトップに角型ヘッドライト・ボディ同色ホイールカバーを追加したFタイプを追加。また、GL仕様のホイールカバーがSGL仕様のホイールカバーと同一となる。セダン、ハードトップの型式が統一される。
- 1977年6月 - マイナーチェンジ。最高級グレード2800E「ブロアム」を4ドアハードトップFシリーズ、2ドアハードトップ、セダンに追加。2ドアハードトップ2800ブロアムの新設に伴い、2ドアハードトップ2800SGLを廃止。4ドアハードトップ2800SGL・Fタイプもニッサンマチックフロアタイプ専用グレードの4ドアハードトップFタイプ2800ブロアムの新設上の理由で5速マニュアルのみの設定となった。『ブロアム』シリーズの4ドアモデルのトランスミッションはニッサンマチック(3速オートママチック)のみの設定だが、2ドアハードトップ2800ブロアムに限り、ニッサンマチックフロアタイプと5速マニュアルが設定された(2ドアハードトップ2800SGL廃止による代替措置)。グロリア初のSD22型OHV2200ディーゼルエンジン搭載車をセダンとバンに設定。4ドアハードトップのコラムシフト車も廃止(次の430系で設定車あり)。ハードトップ車にアルミロードホイールがオプション設定される。
- 1978年11月 - 乗用車の53年排出ガス規制適合で332型へ。2800ブロアム並みの装備を取り入れた2000SGL-Eエクストラをセダンと4ドアハードトップに追加。ハードトップ系ブロアムとSGL-Eエクストラにラジアルタイヤを標準装備。2800SGLを廃止し、2800SGL-Eに変更。この変更により、4ドアハードトップの角型2灯モデル(Fシリーズ)のエンジンラインナップは2ドアハードトップ同様、EGIのみの設定となり、その4ドアハードトップの販売の主力がFシリーズに移行した為、4ドアハードトップの丸型4灯モデル(クラシックシリーズ)は4速フロアMTとの組み合わせの2リッターキャブレターのみの設定になった。
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セダン(後期型)
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4ドアハードトップ 2800Eブロアム(リア)
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4ドアハードトップ 2800Eブロアム(車内)
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バン デラックス
注釈
- ^ 試作車はボンネットフード先端回りが膨らんだような体裁であった。石橋正二郎の長男・石橋幹一郎によれば、開発が相当段階まで進んでからこれを見せられた石橋正二郎は「おたふくだ、器量が悪い」と酷評し、「発売を中止させろ」とまで発言したという。
- ^ 石橋は足袋販売事業で成功した明治末期にいち早く自動車を購入して以来、当時すでに50年に渡りアメリカ車を中心に乗り継いできた経験があり、市販商品としての自動車については一家言があった。
- ^ "石橋はアメリカ車を範とする派手で見栄えのするスタイリングを好み、簡素なデザインを是認しない志向があったが、これは外見が車の販売に影響するという現実的見地の意識を持っていた故でもある。実質的オーナーである石橋の意向に反し、経営幹部も技術陣も軍用飛行機メーカーのエンジニア上がりが多くを占めていたプリンス自動車側は、たびたび面従腹背な技術傾倒に陥った。
- ^ プリンス車のド・ディオンアクスル構造は、トレー型フレームに固定されたプロペラシャフトとディファレンシャルギア回りからのこもった異音発生傾向があり、ユーザーからはたびたびクレーム原因になった。特に4気筒の量販グレードで問題がひどかったという。
- ^ この異音は初代スカイライン/グロリアからの課題であったが、2代目グロリアでも根治せず、技術陣は対策に引き続き悩まされ続けた。結局克服できないまま、このモデルの次代であるS6系(日産合併後に生産開始された3代目グロリア・A30系)では、2代目スカイラインで手掛けていたフル・モノコックボディと、実用上手堅くトラブルの少ない通常のリジッド・アクスルの組み合わせへ移行することになった。
- ^ 中島飛行機出身のプリンス自動車技術系幹部の一人であった岡本和理(おかもと かずただ 1916-2002)は、晩年の回想[2]で、グロリアのS40系へのモデルチェンジがプリンス自動車社内で早くから「失敗」と見られており、発売から間もない1963年1月には失敗責任を追及する人事異動が行われたことを記している。
- ^ 岡本の回想によれば、発売翌年(1963年)にはS40グロリアは既に売れ行き不調で在庫車を抱えるようになっており、同年夏には村山工場敷地露天に置かれていた在庫のS40で、夏の高温から、生産時の内貼り固定用接着剤飛散が遠因で内装変色を起こす重大な品質不良が発覚。大量の内装張替え工事を強いられ、生産技術部長であった岡本が、当時住友銀行から送り込まれていた社長に糾弾される羽目になったという
- ^ なおセドリックのみ設定のあったSD20エンジンの200Dスタンダードは1981年4月以降はグロリアにも設定された。
- ^ グロリア専用のグレード名でセドリックはターボF(前期)、アーバンX(後期)
- ^ 道路運送車両の保安基準改正により、後部座席中央のシートベルト装備が義務化されたことによる措置。
- ^ ワゴンの8人乗りコラムAT車も1995年11月まで休止。
出典
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第98号19ページより
- ^ プリンス自動車エンジン設計部門OB「FG会」サイト内「昔のこと話そうかい」
- ^ a b c d e f g “グロリア”. 名車文化研究所 (21 Apl 2021). 2023年1月15日閲覧。
- ^ a b c d “グロリア スーパー6 (PA30D型) 諸元”. 名車文化研究所 (21 Apl 2021). 2023年1月15日閲覧。
- ^ a b “グロリア スーパーデラックス”. 日産ヘリテージコレクション. 2023年1月15日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第93号17ページより
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第18号19ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第21号7ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第58号13ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第33号9ページより。
- ^ “グロリアバン(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ “グロリアワゴン(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第81号7ページより。
- ^ “グロリア(日産)1987年6月~1991年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ “グロリアセダン(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ “グロリア(日産)1991年6月~1995年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第41号11ページより。
- ^ “グロリア(日産)1995年6月〜1999年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第91号5ページより。
- ^ “グロリア(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第38号9ページより。
- 1 日産・グロリアとは
- 2 日産・グロリアの概要
- 3 初代 LSI型/S3型(1959年 - 1962年)
- 4 2代目 S40型系(1962年 - 1967年)
- 5 3代目 A30型系(1967年 - 1971年)
- 6 4代目 230型系(1971年 - 1975年)
- 7 5代目 330型系(1975年 - 1979年)
- 8 6代目 430型系(1979年 - 1983年)
- 9 7代目 Y30型系(1983年 - 1999年)
- 10 8代目 Y31型系(1987年 - 1999年)
- 11 9代目 Y32型系(1991年 - 1995年)
- 12 10代目 Y33型系(1995年 - 1999年)
- 13 11代目 Y34型系(1999年 - 2004年)
- 14 車名の由来
固有名詞の分類
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