日産・グロリア
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8代目 Y31型系(1987年 - 1999年)
ハードトップ・セダン: 1987年 - 1991年
セダン一次改良車: 1991年 - 1995年
セダン二次改良車: 1995年 - 1999年
日産・グロリア(8代目) Y31型系 | |
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ハードトップ V20ツインカムターボ グランツーリスモSV(前期型) 1987年6月 - 1989年6月 | |
ハードトップ V30ターボ ブロアムVIP(後期型) 1989年6月 - 1991年6月 | |
セダン V20ツインカムターボ グランツーリスモSV(前期型) | |
概要 | |
別名 | 日産・セドリック(7代目) |
販売期間 | 1987年6月 - 1999年8月 |
設計統括 | 三坂泰彦 |
デザイン | 若林昇 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ / セダン |
駆動方式 | FR |
パワートレイン | |
エンジン |
VG30ET型 3.0L V6 SOHCターボ VG30E型 3.0L V6 SOHC VG20DET型 2.0L V6 DOHCターボ VG20E型 2.0L V6 SOHC RD28型 ディーゼル2.8L 直6 RB20P型 LPG2L 直6 CA20P→NA20P型 LPG2L 直4 |
変速機 |
5速 / 4速AT 5速MT |
サス前 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:セミトレーリングアーム/5リンクコイル |
サス後 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:セミトレーリングアーム/5リンクコイル |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,735mm |
全長 | 4,690mm |
全幅 | 1,695mm |
全高 | 1,445mm |
車両重量 | 1,380kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ディスク 後:ドラム |
データモデル | セダン 2.0カスタム 4速MTコラム |
系譜 | |
後継 | セダン:7代目セドリックセダンに統合 |
ボディはピラーレスハードトップとプレスドアのセダン。なお、セダンとハードトップモデルが同時にモデルチェンジを受けるのは、このY31型が最後となる。セダンは1999年までY31型が継続生産され、セドリックセダンと統合される形で消滅した。エンジンはガソリンエンジンはVG30ET、VG30E、VG20DET、VG20E。プロパンモデルとしてRB20P、CA20P。ディーゼルエンジンはRD28。VG20DETを初搭載したモデルでもあり、同時にグロリア史上(姉妹車のセドリックにとっても)初のDOHCエンジン搭載モデルとなる。トランスミッションは電子制御4速ATの設定が全グレードに設定されたが、VG20EとRD28には5速フロアMTも設定されていた(VG20E車はグランツーリスモ、クラシックSV、クラシック、スーパーカスタム、RD28はクラシック、スーパーカスタム)。ハードトップのコラムAT車は廃止され、セダンのコラムマニュアル車は営業車のみになった。一部グレードを除きリアサスペンションがセミトレーリングアームIRSとなった。ブロアムVIPには電子制御エアサス装着車が設定されていた。後の定番グレードとなるグランツーリスモ(ハードトップVG20DETグランツーリスモSV、グランツーリスモ、VG20Eグランツーリスモ)が初登場。高級車らしからぬスポーティさとVG20DET型エンジンの高い動力性能で若々しいイメージを持ち込みヒット作となった。現在でも人気を保ち続けており、1980年代後半を代表する日産車となっている。フロアAT車のパーキングブレーキが足踏み式化された。前期型および後期型のCMキャラクターとナレーションは前田美波里。販売終了前月までの新車登録台数の累計は16万4703台[13]。
- 1987年6月 - ハードトップ、セダンがモデルチェンジ。ワゴン・バンは先代のY30型を継続生産。
- 9月 - VG20E型エンジン車に「ブロアム」追加。
- 1988年6月 - セダンVG20DET車に「グランツーリスモSV」及び「RD28スーパーカスタム6人乗り」追加。AT車にシフトロックシステム採用。
- 10月 - 本革シート、JBLスピーカー、特別塗装色グリーンメタリック、同色アルミロードホイールを採用した特別限定車「V20ツインカムターボグランツーリスモスーパーSV」を発売。
- 1989年3月 - パーソナル キーの材質を洋白からステンレスに変更。
- 1990年8月 - VG20E・RD28車にV30E/V20ツインカムターボブロアムと同じワイドボディー、アルミロードホイールを装備した「ブロアムセレクション」(3ナンバー車)を追加。VG20DET車ブロアムに5ナンバー車復活。またVG30Eエンジン搭載車にクラシックSVの3ナンバー版でアルミロードホイールと専用ボディーサイドバッジを装備した30・SV(サーティー・SV)を追加。
- 10月 - 前期モデルで特別限定車であった「グランツーリスモスーパーSV」をカタログモデル化。同時に合わせて、「V20EグランツーリスモS」を追加。
- 1991年3月 - VG20E・RD28車に「クラシックS」を追加。
- 5月[14] - ハードトップの生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
- 6月 - セダンはビッグマイナーチェンジ。大幅変更を行う。ハードトップはY32型へ移行し販売終了。
- 1995年8月 - セダンは2回目のビッグマイナーチェンジ。3ナンバー車の外装はグリル、ヘッドランプ、およびバンパーのデザインを変更。5ナンバー車の外装はグリルとテールランプ変更。「V20EクラシックSV」、および「V20EスーパーカスタムG」を追加。同年6月にハードトップはY33型にモデルチェンジ。
- 1999年7月[15] - セダンの生産終了。在庫対応分のみの販売となる。同年6月、Y34型にフルモデルチェンジ。
- 8月 - セドリックセダン系に統合されるかたちでグロリアセダン系販売終了。
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ハードトップ グランツーリスモSV 前期型(リア)
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セダン クラシックSV(1991年6月~1995年8月)
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セダン クラシック(1995年8月~1999年7月)
注釈
- ^ 試作車はボンネットフード先端回りが膨らんだような体裁であった。石橋正二郎の長男・石橋幹一郎によれば、開発が相当段階まで進んでからこれを見せられた石橋正二郎は「おたふくだ、器量が悪い」と酷評し、「発売を中止させろ」とまで発言したという。
- ^ 石橋は足袋販売事業で成功した明治末期にいち早く自動車を購入して以来、当時すでに50年に渡りアメリカ車を中心に乗り継いできた経験があり、市販商品としての自動車については一家言があった。
- ^ "石橋はアメリカ車を範とする派手で見栄えのするスタイリングを好み、簡素なデザインを是認しない志向があったが、これは外見が車の販売に影響するという現実的見地の意識を持っていた故でもある。実質的オーナーである石橋の意向に反し、経営幹部も技術陣も軍用飛行機メーカーのエンジニア上がりが多くを占めていたプリンス自動車側は、たびたび面従腹背な技術傾倒に陥った。
- ^ プリンス車のド・ディオンアクスル構造は、トレー型フレームに固定されたプロペラシャフトとディファレンシャルギア回りからのこもった異音発生傾向があり、ユーザーからはたびたびクレーム原因になった。特に4気筒の量販グレードで問題がひどかったという。
- ^ この異音は初代スカイライン/グロリアからの課題であったが、2代目グロリアでも根治せず、技術陣は対策に引き続き悩まされ続けた。結局克服できないまま、このモデルの次代であるS6系(日産合併後に生産開始された3代目グロリア・A30系)では、2代目スカイラインで手掛けていたフル・モノコックボディと、実用上手堅くトラブルの少ない通常のリジッド・アクスルの組み合わせへ移行することになった。
- ^ 中島飛行機出身のプリンス自動車技術系幹部の一人であった岡本和理(おかもと かずただ 1916-2002)は、晩年の回想[2]で、グロリアのS40系へのモデルチェンジがプリンス自動車社内で早くから「失敗」と見られており、発売から間もない1963年1月には失敗責任を追及する人事異動が行われたことを記している。
- ^ 岡本の回想によれば、発売翌年(1963年)にはS40グロリアは既に売れ行き不調で在庫車を抱えるようになっており、同年夏には村山工場敷地露天に置かれていた在庫のS40で、夏の高温から、生産時の内貼り固定用接着剤飛散が遠因で内装変色を起こす重大な品質不良が発覚。大量の内装張替え工事を強いられ、生産技術部長であった岡本が、当時住友銀行から送り込まれていた社長に糾弾される羽目になったという
- ^ なおセドリックのみ設定のあったSD20エンジンの200Dスタンダードは1981年4月以降はグロリアにも設定された。
- ^ グロリア専用のグレード名でセドリックはターボF(前期)、アーバンX(後期)
- ^ 道路運送車両の保安基準改正により、後部座席中央のシートベルト装備が義務化されたことによる措置。
- ^ ワゴンの8人乗りコラムAT車も1995年11月まで休止。
出典
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第98号19ページより
- ^ プリンス自動車エンジン設計部門OB「FG会」サイト内「昔のこと話そうかい」
- ^ a b c d e f g “グロリア”. 名車文化研究所 (21 Apl 2021). 2023年1月15日閲覧。
- ^ a b c d “グロリア スーパー6 (PA30D型) 諸元”. 名車文化研究所 (21 Apl 2021). 2023年1月15日閲覧。
- ^ a b “グロリア スーパーデラックス”. 日産ヘリテージコレクション. 2023年1月15日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第93号17ページより
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第18号19ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第21号7ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第58号13ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第33号9ページより。
- ^ “グロリアバン(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ “グロリアワゴン(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第81号7ページより。
- ^ “グロリア(日産)1987年6月~1991年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ “グロリアセダン(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ “グロリア(日産)1991年6月~1995年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第41号11ページより。
- ^ “グロリア(日産)1995年6月〜1999年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第91号5ページより。
- ^ “グロリア(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第38号9ページより。
- 1 日産・グロリアとは
- 2 日産・グロリアの概要
- 3 初代 LSI型/S3型(1959年 - 1962年)
- 4 2代目 S40型系(1962年 - 1967年)
- 5 3代目 A30型系(1967年 - 1971年)
- 6 4代目 230型系(1971年 - 1975年)
- 7 5代目 330型系(1975年 - 1979年)
- 8 6代目 430型系(1979年 - 1983年)
- 9 7代目 Y30型系(1983年 - 1999年)
- 10 8代目 Y31型系(1987年 - 1999年)
- 11 9代目 Y32型系(1991年 - 1995年)
- 12 10代目 Y33型系(1995年 - 1999年)
- 13 11代目 Y34型系(1999年 - 2004年)
- 14 車名の由来
固有名詞の分類
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