日本の慰安婦 連合国(進駐軍・ソ連軍)と慰安婦

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日本の慰安婦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 06:20 UTC 版)

連合国(進駐軍・ソ連軍)と慰安婦

対日戦争に勝利した連合国の軍隊が日本の旧支配地域に進駐すると、治安の維持の為、慰安所が設置され、日本人女性が慰安婦として連合国の将兵の相手をした。

横須賀市安浦に設置した慰安所に群がる連合国軍将兵

アメリカ軍

占領軍の性対策については警視庁1945年8月15日の敗戦直後から検討し、8月22日には連合軍の新聞記者から「日本にそういう施設があることと思い、大いに期待している」との情報が入った[192]。また佐官級の兵士が東京丸の内警察署に来て、「女を世話しろ」ということもあった[193]。8月17日に成立した東久邇内閣国務大臣 近衛文麿警視庁総監 坂信弥に「日本の娘を守ってくれ」と請願したため、坂信弥は一般婦女を守るための「防波堤」としての連合軍兵士専用の慰安所の設営を企画し、翌日の8月18日には橋本政実 内務省警保局長による「外国軍駐屯地に於る慰安施設について」との通達が出された[193]

特殊慰安施設協会(RAA)の設置

戦後日本内地への占領軍(米軍)による日本の一般女性に対する強姦事件が予測された為、日本政府は「日本女性の貞操を守る犠牲として愛国心のある女性」を募集し、連合軍向けの慰安所(特殊慰安施設協会)を設立し、総計55,000人が集まった[194]

特殊慰安施設協会1945年8月22日に設置され、その他の地域でも慰安所、施設の設置が進められたが30日に上陸した進駐軍横須賀横浜をはじめ、民家に侵入し日本人女性を強姦する事件が多発した[195][196]。28日、9月2日開業予定の小町園慰安所には機関銃で武装したアメリカ軍兵士達が乗り込みすべての慰安婦たちを強姦した[197]。横浜では、100名を超える武装したアメリカ兵が開業前日の慰安所に乗り込み慰安婦14名を輪姦した[197]

連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の軍医総監による慰安婦斡旋の要請

占領軍(米軍)は特殊慰安施設協会だけでは満足できずに、GHQ軍医総監と公衆衛生福祉局長サムス大佐が1945年9月28日に、東京都衛生局防疫課長与謝野光に対して、都内で焼け残った花街5カ所と売春街17カ所に触れながら、占領軍用の女性を世話してくれと要求した[198][199]。また、与謝野光は将校、白人兵士、黒人兵士用の仕分けの相談も応じた[199][200]。またGHQは「都知事の責任において進駐軍の兵隊を性病にかからせてはいけない」と検診を命令し、与謝野はこれを受けて東京都令第一号と警視庁令第一号で性病予防規則を制定し、週一回の強制検診を実施した[199]

作家の早川紀代によれば、当時の慰安所は東京、広島、静岡、兵庫県、山形県、秋田県、横浜、愛知県、大阪、岩手県などに設置された[201]。また右翼団体の国粋同盟(総裁 笹川良一)が連合軍慰安所アメリカン倶楽部を9月18日に開業している[202]

1952年の奈良の慰安施設RRセンターでは2500名の慰安婦がいた[203]

1951年9月8日に連合国諸国とのサンフランシスコ講和条約締結後も在日米軍による犯罪は続いた[203]。(「占領期日本における強姦」参照)

朝鮮半島

朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ慰安所、慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた[204][205]

朝鮮戦争では韓国人女性が慰安婦として韓国政府の政策により集められる(韓国軍慰安婦)とともに、日本人慰安婦も在日米軍基地周辺、また朝鮮半島へも日本人慰安婦が連れて行かれたこともあった[206][203]

ソ連軍

朝鮮の端川で母や未亡人らが終戦後のソ連軍による強姦や暴行から娘らを無事に先に逃すために邦人男性に託して自らは慰安婦人会を作って残留すると語ったという話[207]、また「戦勝国民化」した朝鮮人が反旗を翻し海州市では男性官公吏は強制労働をさせられ女性は慰安隊にさせられているといった話が、戦後間もない国会で引揚者から語られている[208]

日本領となっていた満州朝鮮半島に進軍してきたソ連兵が強姦行為を各地で繰り返していた為、通化市では一定の女性を慰安婦として用意し彼女らを相手とすることでソ連軍の了解を取り付けたという話[209]や、開拓団においては大古洞開拓団三江省 通河県)ではソ連軍の要請を受け2名の志願者が慰安婦として提供されたという話[210] 、その他にも女性が慰安婦として提供された黒川開拓団や郡上村開拓団の例がある[211]。(「引揚者#ソ連軍占領下地域」「強姦の歴史#戦時の強姦」も参照)


  1. ^ 1945年まで、朝鮮や台湾の住民は日本国籍者だった。
  2. ^ 芸娼妓解放令1872年)や、朝鮮での「娼妓類似営業の取締」(1881年[51])、娼妓取締規則1900年)等では「芸娼妓・娼妓」と呼んだ。
  3. ^ 「慰安」とは、一般に「心をなぐさめ、労をねぎらうこと。また、そのような事柄」「日頃の労をねぎらって楽しませること」を意味する[52][53][54]
  4. ^ 林博史は募集広告を出したのが何者かについては、触れていない[101]:106。前述の朝鮮半島の広告は、業者が出したものである[102]
  5. ^ 強制連行#事典類の採録状況と解説」参照。主に朝鮮人に対する労務動員に関して用いられる[115]:61





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