日本のアニメーション
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アニメーションごとの使用
アニメーションをコマ撮りを用いた平面アニメーションと立体アニメーション。別としてデジタルアニメーションに分けて記述する。
平面アニメーション
切り紙アニメーション
切り紙アニメーションとは主に切り紙を背景の上に置き、各部分を少しずつ動かしながらコマ撮りにし連続映写したアニメーション。後に、20世紀初頭ではまだ高価だったセル画を用いたアニメーションに移行していくが、それまでに日本のアニメーションの中心をなした手法である[21][22]。日本最古のアニメーション作品は何かについては諸説あるが、現存し、見ることのできる中で最も古い作品である『なまくら刀』(1917年)はこの切り紙アニメーションを主とし、一部に影絵アニメーションの手法も用いて作られていることが確認できる[23][24]。
切り紙アニメーションの制作者として特に著名な人物として村田安司をあげることができる[25]。アメリカでは急速にセルの普及が進み、日本においてもアニメーション制作に使われ始めたが未だ高価であった、いわゆる境目にあたる時期に時代遅れになりつつあった切り紙アニメーションの手法を追求し続けた作者と言える[26]。現在見ることのできる作品も比較的多く残っている[27]。
また、大藤信郎は、後に影絵アニメーションにおいて海外において複数の賞を受賞する作品を生み出すが、その初期においては切り紙アニメーションを数多く制作しており、切り紙に千代紙を使った独特のアニメーションを制作している[28][29][30]。
影絵アニメーション
影絵アニメーションとは切り紙アニメーションの応用で、主に切り紙の後ろから光を当てることで出来るシルエットを少しずつ動かしながらコマ撮りにし連続映写したアニメーション[31]。日本においては江戸時代から影絵遊びが存在し、明治時代には影絵芝居の講演も行われていたことから、影絵アニメーションが受け入れられやすい地盤があったと考えられる[32]。日本のアニメーション作品の中で現存している最古の作品である『なまくら刀』(1917年)においても、中心は切り紙アニメーションであるが、侍が深夜に辻斬りをするシーンの一部に影絵アニメーションが使われている[23][24]。
日本の影絵アニメーションの中で特に著名な作品を残した人物として大藤信郎をあげることが出来る[33][34]。元々は切り紙アニメーションや千代紙を使ったアニメーションで有名であった大藤信郎だが、セルアニメーションを中心に制作する時期を経て、後年は影絵アニメーションを数多く制作した[35]。なかでも第二次世界大戦後に制作された『くじら』(1952年)や『幽霊船』(1956年)では、色セロファンを使用したカラー影絵アニメーションがステンドグラスが動いているかのような独特の映像となっており、前者は1958年のカンヌ映画祭短編部門第二位を、後者は1956年のヴェネチア国際記録映画祭特別賞を受賞している[30][36]。
セルアニメーション
セルアニメーションとは透明なセル画の上に少しずつずらして描いた絵をコマ撮りにし連続映写したアニメーション。アニメーション制作における初のセルの使用は1914年のアメリカと考えられているが、日本においては高価であり切り紙アニメーションからの移り変わりとしてセルが用いられ始めた年代は主に1930年代と考えられ、中でもその初期において著名な作品として政岡憲三の『力と女の世の中』(1932年)がある[37]。当時としては新しい音声付きの作品(トーキー)であり、部分的にセルが用いられたとされる[37][38]。また、1930年代になると、複数のセルアニメーションが現存している[39]。
セルアニメーションを含むアニメーション技術が大きく上昇した時代としては、その後に続く制作において軍部がスポンサーとなり制作会社が委託を受けた時代で、[40][41]政府側から委託されたアニメーション制作はその内容に厳しい制約が課される一方で、潤沢な予算が確保され、統制品であったフィルム、高価なセル、多くのスタッフもそろえることができ、当時としての最新技術を実験・吸収することが可能であった[40]。政岡憲三の下で技術を学び、『力と女の世の中』の制作におけるスタッフでもあった瀬尾光世はこうした背景において、『桃太郎の海鷲』(1942年)『桃太郎 海の神兵』(1944年)といった国産初の長編アニメーションを手掛けている[41][42]。
戦後になると、一般へのテレビの普及が進む中で、アメリカから輸入されたアニメーションとは別に国産のテレビアニメーションも模索されたものの、アニメーション制作には多くの経費と人員がかかり、民間のみにおいて安定的にテレビシリーズとしてのアニメーションを放映することは難しい状況であったとされる[8]。著名な漫画家であり自身が経営者でもあった手塚治虫が率いる虫プロダクションは、アニメーション制作における膨大な労力を解決するために、3コマ撮り(1秒間8枚)、止め絵、バンクシステムなど多くの省力化を併用することによって、「一話30分毎週放映」というスタイルを実現させた[8]。また、このような手法を用いて作成された『鉄腕アトム』が視聴率では最大40%を超え、多くのキャラクターグッズを売り上げたことにより、テレビの商業アニメーションが成立する状況を作り上げた。逸話として、スタッフが手塚治虫の方針に「アニメーションとは言えない」と主張したのに対し、「私たちが作るのはアニメーションではなく、テレビアニメである」と応じたという[43]。
しかし、このようなテレビメディアに適応した方式が全てであったわけではなく、フルアニメーションを基本としてたとされる東映動画スタッフの中でも、ジブリ作品を手掛けた宮崎駿や、ルパン三世などを手掛けた大塚康生は批判的であったとされる[44]。例えば大塚康生は、「三コマ撮りとは言いますが、三コマに一枚の絵どこじゃなくて、止め、バンクの連続で、アニメは動かすものだと信じていた僕たちにとっては到底受け入れがたいものでした。」とする[45]。毎週30分の商業アニメーションという量のために省力化のための手法をいくつも導入するのか、人員とコスト、時間は多くかかるものの滑らかに動くアニメーションを実現するのか、戦後の日本のセルアニメーションにも対立軸は存在してきた。
現在では、セルアニメーションは、省力化、効率化のためにデジタル制作に移行しており、かつての中心とされてきた商業アニメーションとしてのセル素材は使われていない[46]。
立体アニメーション
人形アニメーション
人形アニメーションとは人形の位置、もしくは姿勢を少しずつ動かしながらコマ撮りにし連続映写したアニメーション[47]。日本においては1930年代等にどれほどの規模で人形アニメーションが制作されていたかは定かではない。理由として語の定義の問題がある。アニメーションという語がコマ撮りと連続映写という正確な意味を持って使用され始めたのは主に1950年代以降であって、それ以前には人形アニメーションは人形映画と呼ばれる範囲内にあった[48]。しかしこの人形映画という語は、人形が自ら動いているように見えるという広範な意味を含んでおり、即ち操り人形など人形劇も含み、人形映画が行われた記録があっても現存した映像がなければそれが人形劇を指すのか、正確に人形アニメーションを指すのか定かではないためである[49]。しかし、荻野茂二による『FELIXノ迷探偵』(1932)がアニメーションとして作られていることから、1930年代においても人形アニメーションが制作されていたことは確認されている[50][51]。
人形アニメーションの第一人者とされる人物として、持永只仁があげられる。戦時中に旧満州にわたり、帰国後に日本の人形アニメーション映画の制作に携わった。持永は、その経歴からロシアやフランス、アメリカで制作されていた人形アニメーションと接する機会がなかったため、独自の人形アニメーションの技術を考案していたという[52]。アサヒビールのCMアニメーションである『ほろにが君とみつ子さん』(1953)を制作すると、その後も『ちびくろさんぼのとらたいじ』(1956)『こぶとり』(1957)など子供向け童話としての人形アニメーションを含む多くの作品を制作した。同時に、日本の人形アニメーションにおける多数の後継者を送り出したとされる[52]。
1990年代以降ではデジタル技術の発展により制作方法も移り変わっているものの、人形アニメーションのカテゴリーに入る作品としてはNHK教育テレビ(Eテレ)のプチプチ・アニメで放送されている人形アニメーションや、PUI PUI モルカー、JUNK HEADなどがあげられる。
クレイアニメーション
クレイアニメーションとはクレイ(粘土)の位置や形を少しずつ変えながらコマ撮りにし連続映写したアニメーション。クレイアニメーションの始まりはアメリカの『ガンビー』(1953年)とされ、他の主要なアニメーションに比べれば後発であるが、スイスの『ピングー』など、日本ではなじみ深い作品も少なくない[12]。他に比べれて安定しない粘土という素材を用いるため触るだけでも形が変わり、また長時間の撮影では型崩れしやすく[12]、針金等を粘土の中に通して固定するなど工夫を必要とする。一方で形が変わりやすいという特徴を生かして独特のアニメーションが作られてきた。
制作工程におけるデジタル制作への置き換えによって、他のアニメーションと同様に従来に比べれば作りやすくなっていることは同じで、日本においてはNHK教育テレビ(Eテレ)のプチプチ・アニメのクレイアニメーションや、劇場版クレヨンしんちゃんの第二作(1994年)以降のオープニングアニメーションなどがあげられる。
デジタルアニメーション
デジタルアニメーションは、コンピュータ上で生成されるアニメーション、広義には従来のアニメーション制作の一部または大部分をデジタルに置き換えて生成されたアニメーションを含む[14]。ここでは、従来のアニメーション制作の置き換えとしてのデジタルアニメーションについて記述する。
日本における従来のセルアニメーションとしての商業アニメーションについては、2004年の時点で高橋望がスタジオジブリを例にあげて説明するところでは、スタジオジブリの作品で最初にデジタル技術が取り入れられた作品は『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)であり、図書館に並ぶ本棚に関するシーンにCGを取り入れた後、『もののけ姫』(1997年)において全体の1割に何らかのデジタル技術が投入され、『千と千尋の神隠し』(2001年)の段階では全編フルデジタルで作成されたと述べる[53]。ここでいうフルデジタルとは、従来ではセルに複写して彩色していた以降の作業を全てデジタルで行うというものである。つまり、アニメーターが絵を描くところまでは同じで、その後に従来セルを用いていた部分の代替としてスキャナでデジタル化し彩色作業を行い、従来撮影にあたっていた作業の代替として背景データとの合成、デジタル効果等を加えてデータとして完成させるというものである[18]。故に、2004年の時点においてもセルは使われていないに等しい。このような工程になったことによるメリットとして、絵を一枚ごとに処理する手間は変わらないとしつつも、パソコン上での彩色による省力化、セルといったいくつかの画材の不要化による管理の低コスト化、セルの傷が画面に出てしまうといったアクシデントの心配の不要化、彩色する際の色数の無限化、データ化による完成した作品管理の低コスト化をあげる[15]。その上で、ジブリにおいてはいわゆる従来のセルアニメの表現を踏み外さない範囲でデジタル技術をいかに取り込むかのチャレンジがなされてきたと述べる[54]。
2016年時点になると、日本動画協会が作成した『アニメーション分野におけるデジタル制作環境整備に係る調査研究』によると、米国をはじめとした海外のアニメーション作品は21世紀初頭から急速に3DCGによる制作にシフトし、工程のほとんどはコンピュータのソフトウェアを介したデジタルデータによる制作に移行し、3DCG技術の進歩や省力化に取り組み、その為の制作管理の手法やシステムも生み出され、現在の世界で制作されるアニメーション作品のほとんどは3DCG作品となったとしている[55]。一方で、日本では手描きのアニメーションの特徴を生かしつつ、手描きでは実現不可能な表現に3DCGを利用する手法に進んでいるとする。つまり、海外の3DCGアニメーション特化に対し、日本のアニメーションは従来の手描きのスタイルが高度化した独自の方向に発展しているとした上で、デジタル化に伴う問題点を指摘している[55]。
このようなデジタルへの移行は、いわゆる従来セル素材を用いてきた日本の商業アニメーションとしての「アニメ」の中のみで進んでいるわけではなく、人形アニメーションやクレイアニメーションなど、特に立体アニメーションにおいて恩恵は非常に大きいとされる[19]。撮影段階では、デジタルカメラによる制作が一般的になった現在では、カメラマンをアニメーターが容易に兼任できるようになってきており、また、撮影された映像を基にデジタルマットペイントや、デジタル合成などを駆使して映像を作り上げていくなど、旧来に比べてアイディアを形にすことが容易になっている[19]。
注釈
出典
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- 1 日本のアニメーションとは
- 2 日本のアニメーションの概要
- 3 アニメーションごとの使用
- 4 脚注
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