支那方面艦隊
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歴代参謀長
- 杉山六蔵少将 1937年10月20日~
- 草鹿任一少将 1938年4月25日~
- 井上成美中将 1939年10月23日~
- 大川内傳七中将 1940年10月1日~
- 田結穣少将 1942年3月16日~
- 宇垣完爾少将 1943年9月1日~
- 左近允尚正中将 1944年12月15日~1945年11月30日
編制
1937年12月1日 第三・第四艦隊再編時の編制
1939年11月15日 三コ遣支艦隊新編時の編制
- 支那方面艦隊・・・司令長官及川古志郎大将[6]
- 第一遣支艦隊(旧第三艦隊)・・・司令長官谷本馬太郎中将
- 第11戦隊:安宅、勢多、堅田、比良、保津、鳥羽、熱海、二見、伏見、隅田、橋立
- 附属:漢口方面特別根拠地隊、九江基地隊
- 第二遣支艦隊(旧第五艦隊)・・・司令長官高須四郎中将
- 第三遣支艦隊(旧第四艦隊)・・・司令長官野村直邦中将
1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制
1942年7月14日 ミッドウェー海戦後の編制
- 第一遣支艦隊・・・牧田覚三郎中将
- 宇治、安宅、勢多、樫田、比良、保津、熱海、二見、伏見、隅田
- 附属:漢口警備隊、九江警備隊
- 第二遣支艦隊・・・原清中将
- 嵯峨、橋立、鵯、鵲
- 香港方面特別根拠地隊
- 附属:厦門警備隊
- 海南警備府部隊・・・砂川兼雄中将
- 鴻
- 海南警備府
- 横須賀鎮守府第4特別陸戦隊、舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊、佐世保鎮守府第8特別陸戦隊
- 第15、16警備隊
- 上海方面根拠地隊
- 鳥羽
- 栗、栂、蓮
- 第13、14砲艦隊、第1、2砲艇隊
- 舟山島警備隊、南京警備隊、上海港務部、上海海軍特別陸戦隊
- 青島方面特別根拠地隊 ※旧第三遣支艦隊
- 雉
- 首里丸、日本海丸
- 附属:出雲、多々良、牟婁丸、白沙
1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制
- 第二遣支艦隊・・・副島大助中将
- 海南警備府部隊・・・松木益吉中将
- 第254海軍航空隊
- 海南警備府
- 横須賀鎮守府第4特別陸戦隊、舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊、佐世保鎮守府第8特別陸戦隊
- 第15、16警備隊
- 上海方面根拠地隊
- 鳥羽、安宅、宇治、興津
- 栗、栂、蓮
- 第14砲艦隊
- 舟山島警備隊、南京警備隊、上海港務部、上海海軍特別陸戦隊
- 揚子江方面特別根拠地隊 ※旧第一遣支艦隊
- 青島方面特別根拠地隊
- 首里丸
- 附属:第256海軍航空隊、白砂
1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制
- 第二遣支艦隊・・・副島大助中将
- 嵯峨、舞子、初雁
- 香港方面特別根拠地隊
- 厦門方面特別根拠地隊
- 海南警備府部隊・・・松木益吉中将
- 第254海軍航空隊
- 海南警備府
- 横須賀鎮守府第4特別陸戦隊、舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊、佐世保鎮守府第8特別陸戦隊
- 第15、16警備隊
- 上海海軍特別陸戦隊
- 上海方面根拠地隊
- 鳥羽、安宅、宇治、興津
- 栗、栂、蓮
- 舟山島警備隊、南京警備隊、上海港務部
- 揚子江方面特別根拠地隊
- 須磨、多々良、勢多、堅田、保津、熱海、二見、伏見、隅田、比良、鳴海
- 九江警備隊
- 青島方面特別根拠地隊
- 首里丸
- 附属:第256海軍航空隊
1945年6月1日 最終時の編制
- 第二遣支艦隊 司令長官:藤田類太郎中将
- 香港方面特別根拠地隊 司令官:大熊譲少将 砲艦:舞子、水雷艇:初雁
- 厦門方面特別根拠地隊 司令官:原田清一中将 掃海艇:第102号掃海艇
- 海南警備府部隊 司令長官:伍賀啓次郎中将
- 海南警備府
- 横須賀鎮守府第4特別陸戦隊
- 舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊
- 佐世保鎮守府第8特別陸戦隊
- 第15警備隊
- 第16警備隊
- 海南海軍施設部 司令官:辺見尚義技術大佐
- 第一海軍施設部 司令官:藤田敬一技術大佐
- 上海海軍特別陸戦隊 司令官:森徳治少将
- 上海方面特別根拠地隊 司令官:勝野実中将
- 舟山島警備隊
- 南京警備隊
- 上海港務部
- 揚子江方面特別根拠地隊 司令官:澤田虎夫中将
- 第21砲艦隊 砲艦:鳥羽、安宅
- 第23砲艦隊 砲艦:宇治、興津
- 第24砲艦隊 駆逐艦:栗、蓮
- 九江警備隊
- 青島方面特別根拠地隊 司令官:金子繁治中将
- 第324設営隊 第108号輸送艦 第144号輸送艦
- 第3213設営隊
- 中支那海軍航空隊 司令官:梅崎卯之助大佐 戦闘機×52機
- 所属艦艇
- 駆逐艦2隻
- 砲艦5隻
- 水雷艇1隻
- 掃海艇1隻
- 輸送艦2隻
- 他軍艦14隻
- 輸送船20隻
- 支援船2隻
脚注
注釈
- ^ 西太平洋方面の作戦を担当する第三艦隊(司令長官高橋伊望中将)は[40]、1941年(昭和16年)4月10日に再編された[41]。対米英作戦では「比島部隊」としてフィリピン攻略に従事する[42]。
- ^ 同日附(1939年11月15日)で内南洋諸島を担当する第四艦隊(司令長官片桐英吉中将)が新編された[43]。新編時は第17戦隊(千歳、神威)と第30駆逐隊という戦力だった[44]。翌年にかけて増強されるが、依然として弱小部隊であった[45]。
- ^ 日本列島東方海面~北東方面を担当する第五艦隊(司令長官細萱戊子郎中将)は、1941年(昭和16年)7月25日に再編された[46]。
- ^ 当時の参謀は、末国正雄少佐。
- ^ 当時の参謀は、菊池朝三中佐。
- ^ 当時の参謀は、光延東洋中佐。
- ^ 当時の参謀は、有泉龍之助少佐。
- ^ 当時の参謀は、相徳一郎中佐。
出典
- ^ a b 戦史叢書91 1975, pp. 358a-359支那方面艦隊・第四艦隊新編と艦隊平時編制標準改定 ― 昭和十二年十月
- ^ 戦史叢書91 1975, p. 435.
- ^ 戦史叢書72 1974, p. 188第三艦隊の編成と派遣陸軍部隊の護衛、上陸掩護
- ^ a b 戦史叢書72 1974, pp. 431–432第四艦隊及び第十軍の編成
- ^ a b 戦史叢書79 1975, pp. 4–7支那方面艦隊の兵力配備
- ^ a b c 戦史叢書91 1975, pp. 432–434三コ遣支艦隊の新編の第四艦隊の独立 ― 昭和十四年十一月十五日
- ^ a b 戦史叢書79 1975, pp. 128a-130支那方面艦隊の改編(遣支艦隊の創設)
- ^ a b 戦史叢書79 1975, p. 357d第三遣支艦隊の廃止
- ^ a b 戦史叢書79 1975, pp. 381–382〔既存兵力の整理〕
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 001a付表第一(「中國方面海軍作戦<2>」)中國方面主要作戦年表
- ^ a b 戦史叢書79 1975, p. 468a日本軍の降伏式
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 83–85北清事変幸亥革命勃発間の警備
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 85–88革命勃発と海軍中央部、第三艦隊の措置
- ^ 戦史叢書91 1975, p. 126.
- ^ 戦史叢書72 1974, p. 110海軍中央部、第三艦隊の措置
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 111–112「「鳥羽、伏見、隅田」の武装解除
- ^ 戦史叢書72 1974, p. 112b河用砲艦の武装復旧
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 112c-113河用砲艦の警備任務の再開
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 115–116第七戦隊の編成と揚子江警備
- ^ 戦史叢書72 1974, p. 120遣支艦隊の編成及び第一遣外艦隊への改編
- ^ 戦史叢書72 1974, p. 168第二遣外艦隊の新編
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 184–189昭和七年の上海事変
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 251–253昭和六年度―満州・上海事変と第三艦隊新編
- ^ 戦史叢書72 1974, p. 189停戦協定成立
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 179–180昭和七年後半から第二遣外艦隊解隊までの情勢
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 256–258艦隊平時編制標準改定と聯合艦隊の常設 ― 昭和八年
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 240–245三 盧溝橋事件勃発す
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 355–356支那事変の大海令
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 356–357現地艦隊の増勢
- ^ 戦史叢書91 1975, p. 358b.
- ^ a b 戦史叢書79 1975, p. 002a付表第二(「中國方面海軍作戦<2>」)支那方面艦隊主要部隊指揮官一覧表
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 359–360支那事変に伴う戦時編制の発足 ― 昭和十二年十一月
- ^ 戦史叢書72 1974, pp. 487–488十三年一月~三月末の実施経過
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 400–403戦時編制と出師準備計画のあり方
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 10支那方面艦隊司令長官の更迭
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 90–98海南島攻略作戦
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 98.
- ^ a b 戦史叢書79 1975, p. 002b付表第二
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 431–432艦隊編制の年度戦時編制からの遊離
- ^ a b c 戦史叢書79 1975, p. 241b第三艦隊の新設
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 513a-514第三艦隊・第一航空艦隊・海南警備府新編
- ^ 戦史叢書91 1975, p. 513b.
- ^ 戦史叢書91 1975, p. 433.
- ^ 戦史叢書91 1975, p. 002a付表第二 聯合艦隊編制推移表(昭和十四年十一月十五日~十六年十二月十日)
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 445–446第四艦隊の意義と応急戦時編制
- ^ a b 戦史叢書91 1975, p. 516第五艦隊・南遣艦隊の追加的新編
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 128b.
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 141a支那方面艦隊司令長官の交送
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 141b.
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 142–143海外からの援蒋物資補給の情況
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 146–167航空作戦
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 156–157〔零式艦上戦闘機の登場〕
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 518–519北部仏進駐の紛糾と米国の対応
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 158–159〔北部佛印進駐〕
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 190–232北部佛印進駐作戦
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 241d-244泰、佛印国境紛争対策
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 244–256対佛印威力顕示作戦(S作戦)
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 241a在支航空兵力の撤収
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 512–513第六艦隊・第十一航空艦隊新編
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 269–270基地航空部隊の改編
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 271–279主要航空作戦
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 278–279南進政策に絡む諸航空作戦
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 163–164海南島の作戦
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 241c海南警備府の新設
- ^ 戦史叢書91 1975, p. 514.
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 526–528南部仏印進駐の決定 ― 「対米英戦ヲ辞セズ」
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 288–294南部佛印進駐計画
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 298–304「ふ」号作戦部隊の行動
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 528–530全面禁輸と軍令部
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 305–307南遣艦隊の新設
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 315南部佛印進駐と南遣艦隊の設置
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 279a航空部隊の引き揚げと爾後の作戦
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 279b.
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 319–321支那方面艦隊の現状
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 320–321支那方面艦隊兵力部署(昭和16年12月1日)
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 355–356海軍の作戦指導
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 356aソロモン諸島方面の戦局悪化の影響
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 356b-359支那方面艦隊兵力の縮小並びに転移
- ^ 戦史叢書79 1975, p. 469a支那方面艦隊機構の改称
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 469b-475終戦処理の結末
- ^ 戦史叢書79 1975, pp. 129–130.
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