慈昌 慈昌の概要

慈昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 16:40 UTC 版)

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初め武蔵国新座郡時宗大平山法台寺の蓮阿に師事して出家、一遍の法流を伝えた。1561年永禄4年)岩瀬大長寺存貞に従って浄土宗に改宗した。その後武蔵国川越蓮馨寺をへて、1574年(天正2年)与野長伝寺を開創し、1584年(天正12年)には江戸増上寺の12世となる。1590年天正18年)徳川家康の関東入部にともない師檀の関係を持ち、増上寺は徳川家の菩提寺となった。1598年慶長3年)増上寺の寺地を現在の芝(東京都港区)に移して、家康の手厚い保護のもと京都知恩院とともに浄土宗の名刹となった。浄土宗法度や浄土宗関東十八檀林制度の議に参加し、また紫衣の綸旨を賜っている。「普光観智国師」の号を贈られた。現在、増上寺山内塔頭に「観智院」がある。

参考文献

  • 大谷愍成編『普光観智国師』増上寺・1919年
  • 橋本豊治『観智国師絵巻』ふこく出版・2002年

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