徳山村 (岐阜県)
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教育
中学校
- 徳山村立徳山中学校(1987年閉校)
- 徳山村立徳山中学校西谷分校(戸入:1961年閉校)
- 徳山村立徳山中学校東谷分校(櫨原:1961年閉校)
小学校
- 徳山村立徳山小学校(合併に伴って藤橋村立藤橋小中学校本郷分校となるが1987年12月休校、1993年3月閉校)
- 徳山村立徳山小学校塚分校(1983年休校、1987年閉校)
- 徳山村立徳山小学校山手分校(1985年休校、1987年閉校)
- 徳山村立徳山小学校戸入分校(1985年休校、1987年閉校)
- 徳山村立徳山小学校櫨原分校(1987年閉校)
- 徳山村立徳山小学校門入分校(1987年閉校)
徳山村の郷土資料
ダムに水没する茅葺屋根の民家を後世に残すため、いくつかの民家は岐阜県内の施設に移設復元された。このほか、「徳山の山村生産用具」5,890点が国の重要有形民俗文化財に指定され[27]、徳山民俗資料収蔵庫(揖斐川町東横山)で展示されている。
現存する徳山村の民家
- 旧宮川家
- 国登録有形文化財に登録。関市の岐阜県博物館の屋外施設として保存されている。岐阜県博物館#旧徳山村民家を参照。
- 旧増山家
- 徳山村に関する写真を数多く残した増山たづ子の家。岐阜市の岐阜ファミリーパークで保存。
- 旧広瀬家
- 揖斐川町の揖斐川歴史民俗資料館で保存。
- 旧神足家
- 旧岩菅家
- 関市の中池公園で保存
他に、岐阜県大野町の寺院、愛知県西尾市平原町(無の里休憩所として使用)、静岡県伊豆市の修善寺虹の郷(匠の村内の施設として使用)などに移築されている。
-
岐阜県博物館の館外施設としてに移築された旧宮川家
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岐阜ファミリーパークに移築された旧増山家
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揖斐川歴史民俗資料館に移築された旧広瀬家
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本巣民俗資料館に移築された旧神足家
-
民家内(旧増山家)
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農機具(旧増山家)
関連書籍
- 徳山村史編集委員会編『徳山村史』(大衆書房、1973年3月、全国書誌番号:73008036) - レコード「とく山の民よう」が付録する
- 岐阜大学教育学部編『揖斐郡徳山村方言』(岐阜大学教育学部郷土資料、1969年12月25日、NDLJP:9537019)
- 平方浩介著『じいと山のコボたち』(童心社フォア文庫、1982年4月1日、全国書誌番号:82043084)
- 平方浩介著『政代さん―1945年徳山村(今はダムの底)の記憶』(燦葉出版社、2020年7月30日、ISBN 978-4-87925-140-4)
- 平方浩介著『徳山ダムの話―日本一のムダ』(燦葉出版社、2022年10月20日、ISBN 978-4-87925-147-3)
- 大牧冨士夫著『たれか故郷を思わざる』(ブックショップ「マイタウン」、1990年8月、全国書誌番号:20737834)
- 大牧冨士夫著『徳山ダム離村記』(ブックショップ「マイタウン」、1991年10月、全国書誌番号:20737241)
- 大牧冨士夫著『ぼくの家には、むささびが棲んでいた―徳山村の記録』(編集グループSURE、2007年4月、全国書誌番号:22241736)
- 大西暢夫著『僕の村の宝物―ダムに沈む徳山村 山村生活記』(情報センター出版局、1998年1月22日、ISBN 4-7958-2652-8)
- 大西暢夫著『おばあちゃんは木になった』(ポプラ社、2002年5月、ISBN 4-591-07241-X)
- 大西暢夫著『水になった村―ダムに沈む村に生き続けたジジババたちの物語』(情報センター出版局、2008年1月13日、ISBN 978-4-7958-4792-7)
- 大西暢夫著『徳山村に生きる―季節の記憶』(農山漁村文化協会、2009年5月25日、ISBN 978-4-540-08304-4)
- 大西暢夫著『ホハレ峠―ダムに沈んだ徳山村百年の軌跡』(彩流社、2020年4月22日、ISBN 978-4-7791-2643-7)
- 「徳山村の自然と歴史と文化を語る集い」編『徳山村―その自然と歴史と文化』(ブックショップ「マイタウン」、1984年9月1日、NDLJP:9539620)
- 「徳山村の自然と歴史と文化を語る集い」編『徳山村―その自然と歴史と文化(2)』(ブックショップ「マイタウン」、1985年9月1日、NDLJP:9539846)
- ^ 2006年(平成18年)3月14日放送
- ^ 2006年(平成18年)8月30日放送
- ^ a b c d e f g h 『揖斐郡志』441-446頁
- ^ 「旧徳山村に旧村民が戻っている」ことについて - ウェイバックマシン(2007年7月10日アーカイブ分)、独立行政法人水資源機構
- ^ ホハレ峠を歩く
- ^ 『徳山村史』、403-405頁
- ^ 徳山ダム建設事業に関する報告 - ウェイバックマシン(2016年8月8日アーカイブ分)、独立行政法人水資源機構中部支社、2005年10月、15頁
- ^ 『徳山村史』、56頁
- ^ 「市町村別世帯数、人口、人口動態」『岐阜県統計書』(昭和61年)、14頁
- ^ 小谷和彦、藤岡比呂志『いんべ遺跡』 第55集、岐阜県文化財保護センター〈岐阜県文化財保護センター調査報告書〉、2000年3月31日、8頁。doi:10.24484/sitereports.1755 。
- ^ 『いんべ遺跡』〈岐阜県文化財保護センター調査報告書〉第55集、岐阜県文化財保護センター、2000年3月、8頁
- ^ 西濃地区遺跡リスト、岐阜県庁ホームページ
- ^ 『揖斐郡志』250頁
- ^ 『徳山村史』465-466頁
- ^ 明治11年7月22日太政官布告第17号
- ^ 明治12年2月18日岐阜県甲第10号布達
- ^ 明治17年7月5日岐阜県甲第67号布達
- ^ 明治22年6月27日岐阜県令第38号
- ^ 明治22年6月27日岐阜県令第39号
- ^ 岐阜県下郡廃置及郡界変更法律(明治29年4月20日法律第86号)『官報』第3839号、1896年(明治29年)4月20日付、300-301頁(NDLJP:2947118/5)
- ^ 「徳山ダム建設事業に関する事業実施方針」(昭和51年5月27日建設省告示第893号)『官報』本紙第14814号、1976年(昭和51年)5月27日付、11頁
- ^ 「村の廃置分合」(昭和62年1月29日自治省告示第2号)『官報』本紙第17983号、1987年(昭和62年)1月29日付、7頁
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、98頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 「小学校真っ二つ 食料・衣服を求める村民」『日本経済新聞』、1965年(昭和40年)9月16日.15面
- ^ 山内修「徳山白谷大崩壊」『砂防学会誌』第39巻第4号、砂防学会、1986年、32-34_2、CRID 1390282679043781120、doi:10.11475/sabo1973.39.4_32、ISSN 02868385。
- ^ 「昭和47年における特定地域に係る激甚災害の指定」(昭和48年2月26日政令第18号)『官報』本紙第13850号、1973年(昭和48年)2月26日付、2頁
- ^ 徳山の山村生産用具 - 国指定文化財等データベース(文化庁)(1987年3月3日指定)
- ^ “岐阜県の市外局番一覧”. 株式会社ラピッドテレコム 名古屋 (2023年9月27日). 2024年4月3日閲覧。
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