嶺南 (中国)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 16:02 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動かつて中国がベトナムの北部一帯を支配し、紅河(ソンコイ河)三角州に交趾郡を置くなどしていた時期には、ベトナム北部も嶺南に含まれていたが、今日使われる「嶺南」の概念からはベトナムは除かれる。また、「嶺南」という語が単に広東・広西・海南の三省区のみを指して使われ、江西省と湖南省の五嶺山脈以南の部分が除外される場合もある。
嶺南は「嶺外」、「嶺表」とも称される。「表」とは「外」を意味し、嶺表は中国中心部から見て五嶺よりも外側という意味になる。嶺南も、中原を中心とした地域名称である。
嶺南は中国の他の地域とは五嶺で隔絶され、気候や環境も異なっており、現在でも他の地域とは若干異なった文化や習慣を有している。
概要と歴史
嶺南は「五嶺の南」を意味する。五嶺(南嶺山脈)とは
嶺南は、古代は百越の地と呼ばれた。中原とは言葉の通じず風習も異なる南方諸民族(百越族)が住んでおり、呉や越を通じて中原ともわずかながら交渉を持っていた。
やがて中国皇帝の支配が及ぶようになり、秦末漢初には南越国が置かれた。晋書・地理志下では、秦代に建てられた南海郡・桂林郡・象郡を「嶺南三郡」と称しており、北は五嶺、南は南海、西は雲貴、東は福建に接する範囲が嶺南であったことがわかる。この範囲内には、象郡に属する現在のベトナム北部も含まれるが、唐代後期に安南都護府が形骸化すると中国のベトナムに対する支配は失われ、宋代以後はベトナムは嶺南に含まれることはなくなった。
五嶺は非常に険しく、長年にわたり天然の障壁として交通の妨げになっていた。その結果、嶺南は中原とは異なる経済・文化を営んできた。北方人は嶺南を「蛮夷の地」と呼んできた。唐代、嶺南出身者で唯一宰相となった張九齢は大庾嶺の山中に梅関古道を開き、以後、徐々に南北の往来が増え始めた。
自然条件
気候
北回帰線が嶺南の中部を横断している。嶺南は温帯夏雨気候に属し、モンスーンの影響を受け、亜熱帯や海洋性気候の色合いが強い。また雷州半島から海南島にかけては熱帯モンスーン気候に属している。高温・多雨が嶺南の気候的特徴であり、夏が長く冬は短く、山岳部以外で霜が降りたり雪が降ったりすることはない。熱帯収束帯に入る期間が長く、年間日照時間は余り長くないが、緯度が低いために日射量が非常に多い。モンスーンの影響から年間の風向も大きく異なり、夏は風速の小さな南風が多く、冬は風速の強い北風が多い。春と秋は風向も気候も一定しない。
気温が高く雨量も多いことから、動植物や果樹、花の種類が豊富である。動植物資源的には、中国の他の地方よりも恵まれているといえる。
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