山本鼎
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山本 鼎 | |
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自画像(1915年) | |
生誕 | 1882年10月24日 愛知県額田郡岡崎町 |
死没 | 1946年10月8日 (63歳) 長野県上田市 |
墓地 | 東京都江戸川区一之江 国柱会墓所 |
国籍 | 日本 |
教育 | 東京美術学校 |
著名な実績 | 版画家・洋画家・教育者 |
愛知県額田郡岡崎町(現・岡崎市)出身。16歳からは長野県上田市に住み、美術の大衆化、民衆芸術運動のなかに身を投じた。長男は詩人の山本太郎。画家で詩人の村山槐多は従弟。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 「山本鼎年譜」(上田市立美術館 2014, pp. 182–189)
- ^ 『東京美術学校一覧〔従明治35年至明治36年〕』東京美術学校、1902年、p.88
- ^ 『官報』第6827号、明治39年4月6日、p.150
- ^ 『東京美術学校一覧 従明治39年至明治40年』東京美術学校、1907年、p.122
- ^ 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年、p.ヤ138
- ^ “上田市立美術館で「山本鼎のすべて展」 自由学園の記録史料を多数紹介”. 学校法人自由学園HP (2014年9月22日). 2019年2月24日閲覧。
- ^ “ロングセラー今昔物語No.45 クレパス:大正生まれの和製画材 「クレパス」の変遷を追う”. 2013年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月8日閲覧。
- ^ “山本鼎(やまもとかなえ) | 田中智学先生に影響を受けた人々 | 宗教法人 国柱会”. www.kokuchukai.or.jp. 2020年9月15日閲覧。
- ^ 『日本写生紀行』(アトリヱ社, 1930)
- ^ 石井柏亭『日本絵画三代志』創元選書、1942年、P.215頁。
- ^ 長野県 1989
- ^ さらに1925年8月24日には農林省により財団法人の認可を得た(『官報』第3903号、大正14年8月26日、p.677)
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